拍手log ローは、自室に足を運びながら腕の中の小さな体温について考えていた。

顔の特徴、瞳や髪の色、まだ小さいが爪の形、身体的特徴を見る限りこの子供は間違いなくイッカクだろう。船長室に行けば採血等の設備もあるから調べれば更にその結果がこの子供の正体を突き詰める筈だ。

だが、自分の名前を知らないと言った事、ごめんなさいと謝った時の表情、頭を撫でようと手を伸ばした時の反応。その全てが物語っているのは、この子供が、子供の身に余る過酷な環境にあるという事だった。

「…おい」

「はい」

ローが腕の中で身体を強張らせている子供に声を掛けると、彼はそっと顔を上げた。条件反射のように硬質な声で返された返事が、少し悲しい。

「お前は普段誰と暮らしてる?」

「……おかあ、さんと」

「父親はいないのか」

「?、うん」

真っ直ぐ伺うように見上げてきていた子供の視線が周りを探るように動いて、それから小さな声で母親と言った。小さな子供のその緊張具合から全てが腑に落ちて、それから言いようもない苛立ちが腹の底から込み上げてきた。

この子供は、イッカクは、唯一の肉親だろう母親と二人で暮らしている。そこまではいい。だがそれから、それからがローにとって、イッカクの恋人として許せない事実だった。

この子供は、恐らく親に愛されていない。

それは肩からずり落ちたツナギの隙間から見える青黒い痣と彼自身の反応から察するに余る事だった。思わず少年を抱き締める腕に力が篭もる。危害を加える気もない自分がただ抱き上げているだけでこんなに身を固くさせているのだ、恐らく今のイッカクにとっては体温と暴力が結びついているのだろう。

「…そうか」

大海賊時代、あまり裕福と言えない人間もいる中で珍しい話でもないが、ローにはどうしても許せない事だった。

「…ここは、どこ?」

少しの沈黙の後、拙い言葉で子供が尋ねた。身体の大きさからざっと五歳程度と見ていたが、もしかしたら肉体年齢はもう少し上なのかもしれない。精神年齢と知能の程度は、あるいはもう少し年下の子供のそれと当てはまるかもしれないが。ローは見上げてくる子供の問に答えるべく口を開いた。

「おれの船」

「ふね?」

「…海賊船だ」

「かいぞくなの?」

「…あぁ」

見上げてくる瞳にそれ以上の恐怖が差すことも少し考えたが、海賊だと答えたあとのその子供の反応を見る限り、それが正しい選択だったと分かった。

「いい、なぁ…かいぞくは、じゆうなんでしょう?」

「…あぁ、そうだ」

「じゆう、は、いいことだって、おきゃくさんがいってた」

子供はローから少し視線を外して、ポツリと他人事のように呟いた。その言葉の中から一つの気になる単語を見つけて、ローは眉を寄せる。

「客?」

「…おかあさんと、おくのおへやにはいるの、おれがはいると…「きょうがそがれる」んだって」

はいったらおかあさんにぶたれるから、だめなの。おかあさんは「ごくつぶし」のおれを、そだててくれているから。

拙い言葉でそう伝えてきた幼い恋人に、ローはぎり、と歯を食いしばった。その女については、イッカクを産んだことのみ感謝できる。その他、この子供を現段階で最低限養っている事までは。だが、最低限しか我が子を構わないどころか手まで上げる娼婦らしい母親と聞いて、少しローの頭に不穏な考えが過った。

「…まさか、お前自身は客と、何もしてねぇよな?」

なんの気無しにさらりと言うことを心がけたが、息が詰まって不自然な所で言葉が切れた。もしもこの子供が客にまで暴力を振られていたり、あまつさえ、客を取らされているようなことがあれば。

あれば、どうする?

この子供の本来存在するはずの場所は過去だ。自分が干渉していい場所にも、出来る場所にはいない。結果ローには何もしてやれることはないのだ。ふと気が付いてしまった己の無力さに、ローの表情が意図せず曇った。

「おはなしするよ、えぇと、うみはきれいとか、おおきいとか、いっぱい」

しかしその質問に対する答えは案外平和なものだった。海賊もこの子供の母親とした後だと子供に手を出すほど性欲も有り余ってはいないらしい。

「…そうか」

「うん」

だからかいぞくはこわくない。ぽつりと零した子供の頭を、ローはそっと撫で付けた。それならこの子供をハートの海賊団で世話していくことも可能そうだ。まだ頭を撫でられる意味を理解していない子供を抱きかかえたまま、ローは船長室に歩みを進めた。





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