拍手log 週末の昼、仕事が一通り終わったら着替えて街に繰り出す。今は海の上、派手なフラミンゴを模した船で航海中だ。整髪料で固めた髪はシャワーで洗い流してロシナンテと似たふわふわの髪質のままに放っておく。集金で回る先には一筋縄では行かないチンピラも多く、硝煙だか血だか煙草だかの匂いが上につくことも多い。そんな格好で丸一日過ごすのは堪えかねる、というのもあるがそれ以外にも理由がある。

髪を乾かして、櫛で撫で付けるように梳かす。伊達眼鏡と言われても判別の付かない薄い色のレンズのサングラス、薄いピンクのワイシャツにシンプルな黒いスーツを紙袋にしまう。ファミリーの誰かに見られたらこんな服がお前の部屋にあったのかと笑われてしまいそうだ。因みに今着ているのは黒いワイシャツにシンプルなネクタイ、それからファイヤー柄のチノパンだ。これはなんの主張なんだろう、と自分の服ながらいつも思っている。

「…よし」

とりあえず、と床に置いてあったバッグとそれらの入った大きな紙袋を手に持つ。ピンクの羽毛のコートも椅子の背もたれにかけたし、机の上に「出掛けてくる」という書き置きも乗せたし、外に出る準備は万端だ。窓を開けて、窓枠に足を掛ける。それから外に右手を伸ばして目ぼしい雲に糸を引っ掛けて飛び出そうとした。

コンコン、ガチャリ。

自室のドアが開く。二回のノックはトイレだと何回教えただろう。心の準備もなく開けられた扉に驚きながら今まさに窓から出ようとしていた体制から振り返れば、目を丸くしたロシナンテ、もといコラソンがおれを見つめて硬直していた。まずい。誰にも見られないように出るつもりだったのに。思い沈黙に冷や汗がたらり、と頬を伝った。

「…どうした、コラソ…っ!?」

何か用事があるのだろう、そう思って何事もなかったかのように問うてみれば、は、と我に返った様子のコラソンがつかつかと歩み寄って来た。いつもの事だが、無言でそんな行動を取られるのは口頭でのコミュニケーションを重んじてきた日本人として生きていた記憶がある分少し、恐怖も覚える。思わず掴まっていた窓枠に力を込めれば、宙ぶらりんになっていた右手がぐい、と強い力で掴まれ、コラソンの方に力任せに引っ張られた。

「な…っ!!?」

突然の事に反応が出来ずに引っ張られた方に身体が傾く。先程の冷や汗の延長で手汗に濡れていた左手が窓枠を掴み損なって身体がバランスを崩した。倒れる、と思えば更に引き寄せられて、どん、と固いものにぶつかった。思わずぎゅ、と目を瞑る。それ以上はなにも衝撃は来なかった。来なかった、が。

「…おい、どういうことだコラソン」

恐る恐る目を開けて尋ねたが、困惑で声に明確な感情を乗せることができなかった。背中に回された弟の両腕に混乱する兄はさぞかし滑稽だろう。しかし、こうなった理由も正直わからない。なぜおれがコラソンに、ロシナンテに抱き寄せられる形になっているのだろうか。

バランスを崩してロシナンテに体重をかけている格好になっているため、ほとんど同じ高さにあるはずのロシナンテの顔は今は見上げないと見ることができない。何をするんだ、と講義をしようと顔を上げると、ロシナンテと視線がかち合った。

「お、おい…ロ、シー?」

「…っ、」

歯を食いしばったロシナンテは、酷い顔をしていた。つ、とまた頬を伝った冷や汗を背中から戻ってきた人差し指で拭われる。眉間に寄った皺、不快そうな表情に一体何が不愉快だったのかと目を瞬かせることしか出来ない。とにかく落ち着いて話をしなければ、そう思ってロシナンテの身体を突っぱねるように腕で押せば、目が細められてぐい、と余計に腕に力を込められてしまった。

『どうして』

「…どうして?」

がりがり、と背後でペンが紙を削るような音がしたと思えば目の前に差し出される丸い文字。それを音読すればずい、と更に顔に近付けられて、思わず口の端がひくり、と上がった。

どうして、とはどうしてここから外に出ようとしたのか、という事なのだろうか。と言ってもこの船はアメリカンスタイルなので靴は常に履いているし、別に窓から出ようが裏口から出ようが外に出られる事に変わりはない。別段甲板から出なければいけない理由もないはずだ。そんなことをしたら目立つし。

しかし、だ。どうして、そう尋ねられたら思い浮かぶ理由もある。

「誰にも、見られたくないからに決まって…!?」

答えきる前にぎゅう、と強く抱きしめられる。鯖折りにされるのではないかと思うほどに強い力だった。まさかこのまま抱き殺す気ではないだろうか、という考えが頭を過って、手に勝手に力が入ってロシナンテのハート柄のシャツを握りしめた。

実は、今回の外出の目的は悪のカリスマの仕事内容とはかけ離れたものである。今までドンキホーテファミリーに入ったもののコラソンの暴力に耐え兼ねてファミリーを去った子供達。その子供達の行方をこの間ローには話した。孤児院だ。流石に治安の悪いスパイダーマイルズ周辺には無いが、いくつか離れた島の孤児院に子供の世話をして貰っている。その見返りと言っては何だか月に一度ほど資金援助と子供達に土産を持って行っていく。その為にはおれが海のクズのドンキホーテ・ドフラミンゴであるとバレたら不都合なので、孤児院には前世の名前を使い服装も標準的なそれに着替えて尋ねているのだ。

『なんでいこうとするの』

はぁ?と声を上げなかった自分を賞賛したい。なんで、とは、それはもちろん用事があるからだろう、と。しかしその用事の内容は告げる事はできない。ロシナンテに言ったら孤児院に通っていることがバレる。そうしたら繋がっているセンゴクにその情報が流れ、孤児院で海兵に待ちぶせされる、ということもない話ではない。少し口籠ってから、答えなければ離して貰えないと判断して仕方なく口を開いた。

「…待ってる奴らが、いるんだよ」

「……!」

「だから、行かなくちゃいけねぇんだ」

曖昧でありきたりな言葉だ。誤魔化していることの申し訳なさと心許なさから声が小さくなってしまったが、ロシナンテには聞こえただろうか。

本当なら子供好きで優しくて、海兵という職についているロシナンテにこそこういった支援的な活動が向いているのだろう。確かに自分が孤児院援助など偽善か何かかと思われても無理はない。ロシナンテにはそのあたりは詳しく話していないしバレてはいないだろうが追求されれば仕方なしに口を開くことも、いや、それはまずい。話題を逸らそうとふと視線を彷徨わせた。

「あー、そうだロシー、お前はどうしてこの部屋に来たんだ?」

『それはあとで』

「…あぁ、そうかい」

無駄だった。困ったな、と頭を掻きたくなったが抑えて、しょうがないから聞かれたら答えてやってもいいか、とロシナンテを素直に見上げた。がりがり、また紙を削るような音が背後から聞こえる。

『きょうはもうやすんだほうがいい』

「いや、悪いがまだやる事が…」

『どこにある』

「…ここには、ねぇな」

『だったらやすんだほうがいい』

「いや、だから」

『きっとつかれてる、やすめ』

「命令かよおい」

ダメだこの弟誰か何とかして。そう頭を抱えたくなった時、近くを通りかかる足音が聞こえた。ロシナンテがドアを開けっ放しだからよく聞こえる。ただここから大声で呼び止めるのも目の前のロシナンテに奇行だと思われかねないからやめた方が良いだろう。通り過ぎる誰かに自分で気付いて貰うしかない。

「…ロシー、そろそろ離してくれ」

『だめ』

思わずぐぬぬ、と唸りたくなった。そうしている内に足音はこちらに近付いて来る。大人にしては軽やかだ。もしかしたら子供だろうか。ベビー5ならおそらく問答無用で助けてくれる。バッファローは後で菓子をやればいい。しかし。

「…おいコラソン…お前何してんだ」

ローなら、面倒臭いことになる。

明らかに貧乏くじを引いたが誤解しないで欲しい。おれはローが嫌いなわけではない。寧ろ原作のファンとして彼の天然ぶりと隠れた熱い男ぶりにはリスペクトすらしている。しかし、おれの下に付いている今のローは、なぜかコラソンに対し尋常ならぬ対抗意識を燃やしているのだ。いや、原作も最初はローからコラソンにはマイナスの感情しかなかったが、これはそれでは説明がつかないレベルだ。ぺらり、とロシーがローに紙を突きつける。そうすると、ローの帽子で隠れた眼光が鋭くなった。

「そんなことは聞いてないし、ドフラミンゴは嫌がってるだろ」

なんと答えたのだろうかこの弟は。なんだか少し気が遠くなる思いがした。もう一度それに対し、紙を差し出す。ローの顔に驚愕の色が浮かぶ。

「それは、本当か?」

こくり、とロシナンテが頷けば、ローはそんな、とうわ言のように呟いておれを凝視する。よく見れば薄茶色の瞳がゆらゆらと揺れていて、明らかに不安そうな目でこちらを見ていた。いろいろと、こちらが聞きたい。だがそうして話の腰を折るとロシナンテが黙っていなそうだったので無言を貫き通した。ぐ、とローが唇を噛んで、おれを睨み上げた。思わず怯んで上半身を引けば、自分の膝くらいの少年にすごい剣幕で怒られる。

「どうして!何考えてるんだよドフラミンゴ!お前は!おれを右腕にするんじゃないのかよ!」

「え…あぁ、するつもりではいるが…」

「それに一番最初に見つけたのがコラソンってのも気に食わない!何かあったならおれに言えよ!」

「…悪、かった…?」

子供とは思えない剣幕にとっさに謝る。とにかく今日はもう休め!とシャワーを浴びたのをいい事に力ずくでベッドに突っ込まれた。こんな時だけ弟と弟分が手を組むのがとても解せない。だが家族仲がいいのは喜ばしいことだ。もうどうにでもなれと思う。久し振りの休みに素直に掛け布団を鼻辺りまで引き上げれば、寝るまで様子を見張る気でいるらしい。なぜこんなにおれが疲れていることになっているのだろうか。

「ドフラミンゴ、今度からはもっとおれ達を頼ってくれ」

『じさつはいけない』

おい待て、ローはともかくコラソン。自殺ってなんだ。




状況が飲み込めない



←:→


383357
- ナノ -