拍手log 「大丈夫か、ロー」

「お前こそ大丈夫かドフラミンゴ」

傷だらけの子どもと、引き攣った笑みの大人。二人が顔を突き合わせているのはドンキホーテファミリーの統領、ドフラミンゴの部屋だった。ゴミ山に二階から投げ降ろされて血まみれのローの傷は子供には不釣り合いのものばかりだった。何しろスパイダーマイルズのごみ捨て場には凶器となりうるものが多いのだから当然の事だが。

そんな傷だらけなローに心配されるほどいつもの人を食ったような笑みを下手くそに歪ませた男、ドフラミンゴは、ローにそう尋ねられて口の橋を釣り上げたまま眉間に皺を寄せた。

「なんのことだ?」

こうなった原因は、建物の外から突然逆バンジーのようにドフラミンゴに引っ張りあげられただけのローにだって分かる。恐らくは。

「コラソンと、喧嘩でもしたのか?」

そういう、事なのだろう。図星を突かれて、下手くそな笑みが自然な自嘲のものになった。

「…すまねェな、酷い怪我だ」

「喧嘩したのか」

「…いや、あいつァ喧嘩なんて思ってねぇだろうな」

ただ喚き散らして飛び出して来ただけだ。そう何でも無いように言った男に、ローは目を丸くして扉に目を向けた。そこには何万年放っておいたのかと思う程に蜘蛛の巣が張り巡らされている。否、それはドフラミンゴの能力「蜘蛛の巣がき」によるバリケードで、僅かな空間を残して殆ど指を通せるくらいしか隙間はなかった。

立て籠もりだ、とローは確信する。そして、この男には珍しい癇癪だ、とも思った。その理由は知らないが、冷徹とも言えるドフラミンゴが頭に血を上らせて一方的に怒鳴り散らして部屋に立てこもるなど、異様な事態にも程がある。それとなく事情を探ってみようと自分の何杯もある背丈の男に視線を戻すと、彼はなにやら自室の引き出しを漁って色々と取り出しているようだった。その様子を油断なく見つめていると、その気配に気がついたのかドフラミンゴが怪訝そうな様子でローの方を向いた。

「…おい、ロー…なにしてる、早くそこに座れ」

「…?わかった」

立っていたらなにか不具合でもあるのか。そんなふうに質問をしようとしたが、やめた。この男は今何やら様子がおかしい。あまり神経を逆なでするような真似は控えるのが賢明だろう。ローは近くのソファに腰掛けた。ふわ、と革が体重を受け止める。かつかつ、と革靴のヒールの音が近づいてきたので、そっと目線を上げた。

「おい、一体何…」

「大人しくしてろよ?」

ぽん、と殆ど衝撃もなく頭に大きな掌が乗る。その念押しに一瞬身体が強張ったものの、その大きな手はただ帽子をローの頭から退かしただけだった。あぁ、血が出てる。どこか忌々しそうにそう言われたと思えば、上質なガーゼで傷口が抑えられた。

「右手で抑えてろ」

「…???」

何が起きているのかわからずにとりあえず言われた通りに右手で額のガーゼを抑える。そのうちにドフラミンゴのサングラスの奥の目線はローの怪我した左手に向いていた。

「ちょっとだけ、我慢な」

え、と口を開いたローに、ドフラミンゴが一瞬微笑んで腕に手を添える。反対の手には赤い液の染み込んだ脱脂綿がピンセットにつままれていた。

「…っい…よく、お前の部屋にこんなもんがあるな」

「……まぁ、備えあれば憂いなしってやつだなァ」

ローは知らないが、実はこの治療器具はドフラミンゴがそそっかしいコラソンの為に部屋に常備しているものだ。小さい頃からコラソン、その場合はロシナンテに傷の治療を施してきたのは、他でもない兄のドフラミンゴだった。傷口に沁みる液体に呻きながら軽口を飛ばせば、冴えない表情で笑うドフラミンゴにやはり違和感を感じる。そんなんじゃ、まるで。

「お前が怪我してるみたいだ」

「…あァ?」

面食らった表情のドフラミンゴが目を丸くしたのを感じた。何を言っているのかわからない、と言った様子のドフラミンゴに、ローが続ける。

「お前の方が、痛そうだ」

一瞬凍り付いたように動きを止めたドフラミンゴは、怠慢な動きでローの頬に手を伸ばした。僅かな擦り傷があるそこにちょん、と赤い脱脂綿を着けて、その上から絆創膏を貼った。

「…子供が甚振られてんのを見るのは、誰でも気持ちの良いもんじゃねぇだろ」

ローはその言葉に何かが含まれていることに気が付いたが、それがなんなのかは分からなかった。この男が子供好きらしいというのは入って数日で、コラソンという男が子供嫌いらしいというのも入って数日で理解はしていたが、どういう理由があってそう落ち着いているのかが分からなかった。兄弟だというのに、あまりにも違う。

「…子供が、好きなのか」

「嫌いではねぇな」

もういいぞ、そう言われて額を押さえていた手を退かせば濡れたタオルで優しく乾いた血を拭われる。抑えていたから流血は止まっていたようで、ドフラミンゴは傷の上からガーゼを貼って指を動かした。しゅる、と太く柔らかい糸が空中で絡み合って包帯の形を取りながらローの頭を一周して、最後にドフラミンゴが軽く指を動かせば痛みもなくガーゼが固定される。この男の能力は使い方によればとても便利だ。

「ここを出て行きたくなったか?」

「は?」

「今まで来たガキもな、コラソンが一発食らわせりゃいつの間にかいなくなってた」

「………」

「っつー事になってる、表向きはな」

「え?」

含みのある台詞だ。聡明な少年は目を見開いて、目の前の悪人の言葉の意味を理解した。そうして、全身を興奮に似た恐怖が包む。あぁ、やはり。

「…殺したのか、ドフラミンゴ」

極めて平然を装ってそう宣った。しかしローを見下ろしてゆっくりと瞬きをしたドフラミンゴは、不愉快そうに眉を寄せただけだった。

「お前はすぐにそういう発想になって…怖えガキだよまったく」

「…どういう、事だ?」

肩を竦めたドフラミンゴの仕草を言外に否定だと受け取り、今度はローが眉を寄せる番だった。一度ファミリーに入った者が抜ける、それはどれだけ末端の子供だろうとはいそうですかで許される事ではないだろう。なら、表向きは逃がしてそのまま売ってしまったとか、本当は監禁しているとか、そんな生地獄のような仕打ちを。そんなえげつない発想をしてしまうほど、ローの中のドフラミンゴという人間の印象は恐ろしいものだった。ドフラミンゴはあー、と唸りながら金髪を掻き乱した。それから意を決したようにローを見据えて、無表情のまま口を開いた。

「実はな……孤児院に預けてる」

「嘘つけよ」

「フフフッ、信じねぇならそれでいいさ」

この話は終わりだ。そう言うと、ドフラミンゴは立ち上がって、能力で雁字搦めにした出入り口の方を一瞥した。

「そこで何してやがる、コラソン」

え、とローもそちらを向けば、蜘蛛の巣の形の糸の間から革靴が見える。それがびくりと跳ねたかと思うと、ちらり、と赤い頭巾がこちらを覗いた。どことなく申し訳なさそうな雰囲気を醸し出しているようにも見えるが、それはドフラミンゴがここに来る以前に彼に向かって怒り狂ったからだろう。そちらに歩み寄るドフラミンゴに向けられたコラソンの筆談の内容が、ローの目にも映った。

『ごめん』

「…いや、お前が謝ることじゃねぇ、おれも取り乱した」

『でてきて』

「あぁ、今解く」

コラソンの表情は読めない。しかしローの角度からはドフラミンゴの顔を伺い見ることはできた。また、さっきと同じ下手くそな笑みだ。それがなんだか少し気に食わなくて、ローは立ち上がってドフラミンゴに駆け寄った。気に食わない。自分がコラソンに甚振られたからではない。弟だからと言って無条件でドフラミンゴに甘やかされている、コラソンという男が。急に走ったから心なしか頭がぐらぐらする。振り返ったドフラミンゴは驚きました、という表情をして弾かれたようにしゃがみ込んだ。

「ロー!?お前安静に…」

「帰れよ!」

制止するドフラミンゴの声に被せて、コラソンに向けて声を張り上げた。目を見開くドフラミンゴの作り笑いを崩してやったと少し満足して、弟のくせにドフラミンゴに酷い顔をさせているコラソンに、得意げな顔で言い放つ。

「ドフラミンゴはまだ、おれと話すことがある」

「…は?」

目を見開いたコラソンと、思わずと言った様子で声を零してぽかんとしているドフラミンゴを前にするのはいい気分だ。ローは自分の目線に合わせて屈んだドフラミンゴを庇うように蜘蛛の巣の前に立った。

「だからコラソン、お前は帰れよ」

ぎり、とコラソンの目が引き絞られた。元々目つきの悪いローも怯まずに睨み返す。渦中の人物であるはずのドフラミンゴだけが、呆気にとられながらサングラスの下で目を瞬かせた。コラソンとロー、二人の耳には第一次ドフラミンゴ争奪戦開始のゴングが鳴り響いた音が聞こえたという。






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