拍手log これは、おれと同じだ。森の中でその少女を見つけた時にふと思った。

北の海のとある島。この辺りは最近飢饉やなんやで作物が取れずに人が飢餓に追い込まれそのまま死に至る程の酷い有り様らしい。身売りや食い扶持減らしの為の子供の間引き、姥捨てなんかもあるらしく、なかなか精神衛生上よろしくない島だ。

「…ドフィ、ここでは食糧の調達は出来なそうだ」

「あァ、次に着く島で集めるしかねぇなァ」

ふう、と溜め息をつくディアマンテに妥協案を提示して、島の様子を眺める。転がった死体、それを嘴で突いて食い荒らすカラス、生きている人間も明らかに海賊が来たという状況に陥っているにも関わらずちらりと見るだけで恐れる様子はない。奪われるものが無いから、と考えるのが妥当だろうか。

「…胸糞わり」

「?、どうかしたかドフィ」

胸糞の悪い島だ。死体を片付けもしない。きっと誰かの家族だったり、親友だったりしたものだろう。それなのに自分が生きるのに忙しくて誰も目もくれない。死を悼もうともしない。そのせいでか、この場所には紛れも無い死臭が立ち込めている。一瞬、家族で過ごしたあのボロ屋が景色と重なって、吐き気がして口元に勝手に手が行く。

「気分が悪ィ、その辺を歩いてくる」

人なんて、幾つも幾つも、傷付けてきたはずなのに。

「…おいドフィ、いくらここが汚くて気分を害したからって船長のお前が席を外すなんて…」

諌めるようにディアマンテが背後で声を上げる。違う。いくら天竜人の生まれでもこの程度の汚らしさの中でだって過ごした事もある。ゴミ箱を漁った事も、泥水を啜ったことだって。駄目なのはこの死臭だ、鼻では無く体の奥で感じるような命が削られている気配だ。耐えられない、少し早口でディアマンテに返事をする。

「少し外すだけだから大丈夫だ、それにお前がいるだろう」

「よせよ、人が頼りになるみたいに」

「そうか?お前は頼りになる男さ」

「しょうがねぇなあ!!そんなに言うんだったら任せておけ!!」

「あァ、助かる」

ディアマンテに部下達の指揮を任せて、おれは村の真ん中の通り道を突っ切るように歩いた。好き好んで通ったわけではない、ここしか通る道がないのだ。吐き気を催すような空間の中で、耳に転がり込んでくる喚き声がした。

「あぁ!もっと早くあの子を捨てておけばよかった!」

ぼろぼろの家屋から女の声。母親だろうか。子供を捨ててきたらしい。自分の子供を?なぜ?不躾にその言葉が頭の中に飛び込んで来て、茶色い紙に震える字で書かれた手紙の記憶を引き摺り出した。

『私の首を切り落として、マリージョアに持って行きなさい。そうすればきっとお前達は受け入れてもらえる。愛しているよ、私の大切な息子達。』

ぞ、と全身に鳥肌が立った。掘立て小屋の天井の梁に縄をくくりつけて自分の体を吊るした父親の、力無く揺れる体。そうしてそこに立ちこめる死の臭い。あれは愛なんかではなかったのでは。自分だけを死という形で苦しみから救済して、それで子供達、おれと弟への愛で飾り立てただけの。

「子供一人分の食糧が減るだけでどれだけ助かるか!」

ただの、エゴだったのではないだろうか。

「…………っ、!」

胃の奥から何かがせり上がってきて、思わず雲に糸を引っ掛けて飛び上がった。誰が見ていようが構うものか、こんな、こんな場所に居られるものか。こんなに胸の奥の膿んだ傷を刃物で抉る様な場所に。

糸くず程の残った理性で島から出ないで済んだものの、とにかく離れることを目的としていたので適当な森に降り立ってしまった。元々そんなに開拓が進んでいなかった土地らしく、木が鬱蒼と生い茂っている。人がいない事にほ、と息を吐いて、近くにあった木に背中を付けて体重を預ける。

父上がおれ達を愛してなかったはずがない。そんな事、少し考えればわかる筈なのに。思わず手の平を見つめて、きゅ、と握り締めた。耳の奥に、小さな子供の慟哭が響く。

『あ、にうえの!人殺し!どうして父上を!どうして!』

そうして、大切にして来た物を全て失った自分は、口減らしにと捨てられて世界にも等しい親という存在を失った子供と、何が違うのだろう。握った手が少し震えた。

「…あ、あの」

不意に足元から呼び掛けられ、我に返って木から起き上がる。全く気配に気付かないほど思考が乱れていたらしい。そちらを向いて映ったのは、幼い少女だった。泥と埃で汚れた汚い服を着ている黒髪の少女だ。泣き腫らしたのだろうか、目の周りが随分と赤い。おれが黙って観察していると、少女はひく、と喉を引きつらせてから、恐る恐る口を開く。

「おにいさんも…捨てられ、たの…?」

この子は、捨て子だ。言葉から暗に理解して、少女の前まで歩いてしゃがみ込んで目線を合わせた。

「いや、捨てられてはいないさ…お前、一人なのか」

捨てられてなどいない。ただ、気付いたら一人だっただけだ。少女に尋ねれば、その埃だらけの顔がくしゃりとゆがんで、ゆらり、と大きな目に涙が溜まった。

「わ、わた…おか、さんに…いらない子っ、て…役立たず、なんだって…」

砂が混じった涙は透明じゃないのに、とても奇麗だった。

「…そうか」

控えめにほろほろと涙を零すその少女を見て、これは、おれと同じだ、とふと思った。唯一のものだと思っていた、家族に手を振り払われた、おれと同じだ。そう思うと、自分のスーツが汚れることも厭わずにその痩せた体に両手を伸ばして、強く引き寄せていた。腕の中で戸惑うように固まる体。頼りないはずの少女に、縋るように掻き抱いた。

「それなら、おれの家族になってくれ、絶対に役立たずなんて言わないから、おれの」

唯一になってくれ。子供に対して情けないとか、相手が欲しがっている言葉で釣ってるだとか、そんなことが気にならない程、おれは弱っていたらしい。子供は得意ではないはずだったし、自分から誰かを内側に引き込もうなんて、した事がなかったから。だから。

「…わ、私が、ひつようなの?」

そんな一言の肯定で、細い腕が背中に回し返されるだけで、絶対的な何かを見つけたような気持ちに、なったのだろう。




ハローベイビー






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