拍手log 「おい、ドフラミンゴ」

座って本を読んでいたら、腰と同じくらいの高さから話しかけられる。ちらりとそちらを見てみれば、見上げてくる白いもこもこの帽子。読みかけのページの間に青いスピンを挟み、ぱたんと閉じた。

「どうした、ロー」

机の上に本を置いて体ごとそちらへ向けて相手の目線に合わせて屈めば、じ、とローが見つめてくる。何だというのだろう。首を傾げればやっと、ローの口が開いた。

「お前は、本当に悪い奴なのか」

「…何を言い出すかと思えば」

至極真面目な顔で、少年は尋ねてきた。おれのどこを見てそんな愚問を思いついたのだろうか。おれはドンキホーテ・ドフラミンゴ。この子供は知らないだろうが、将来的に弟を殺して一つの王家を転覆させて殺戮に殺戮を重ね、結果この子供に出し抜かれ、この世の地獄とされるインペルダウンに投獄される身だ。これのどこに、おれが悪人ではないと疑う余地があるのだろうか。

「お前は、どうしておれが悪人じゃないと思ったんだ」

「質問に質問で返すなよ、悪人じゃないと思った訳じゃない、悪人じゃないんじゃないかと思っただけだ」

何が違うというのだろう。ローの言うことは変に大人びていて困る。子供じみた屁理屈だと笑い飛ばせばいいのだろうが、こんな質問ではそうは行かない。

おれは、ドンキホーテ・ドフラミンゴ、の皮を被った全く別の人間、だからだ。否、おれがドンキホーテ・ドフラミンゴだというのは覆しようもない真実だ。ドンキホーテ・ドフラミンゴとして生まれ、育ち、食い、寝て、殺し、そうして生きている。だからおれはドンキホーテ・ドフラミンゴに変わりないのだろうが、端的に言うと前世の記憶がある。

その生を全うしているときに読んだ本、ONE PIECE、その中にドンキホーテ・ドフラミンゴという人間がいた。もちろんその内容も覚えている。だからおれはドンキホーテ・ドフラミンゴでありドンキホーテ・ドフラミンゴではないのだ。

いくつも過去という名前の未来を変えようとした。今もあの本で言えば過去だ。だが何も変わらなかった。この少年が目の前に現れることもおれは承知済みだった。そんな風にいくら抗っても当然のように何も変わらずドンキホーテ・ドフラミンゴは海賊で、そうして、れっきとした悪人だ。

「…おれのしてきた事を並べたら、どちらかと言うと悪人の部類に入る筈なんだがなァ」

「…殺人、傷害、恐喝、強盗、詐欺、強姦」

「馬鹿野郎強姦なんてどこで覚えて来た…強姦はしてねェよ」

「ふぅん」

子供がこんな事を言うなんて世も末だ。まあ、ローは早熟な方だし知識も多い。医療関係に関してはおれなんかよりよっぽど優れている面もあるから大した違和感はない。

「お前は、おれの話を否定しないんだな」

「あァ?」

「お前の事を」

お前の事を悪人ではないかもしれないと思った事を、他のファミリーに聞いてみたんだ。ローがぽつりと言って、どこともない遠くを見つめるように視線を横に向けた。ほう、とさっき以上の興味を持って少年が淡々と話す。

「お前は、悪のカリスマなんだって」

「…悪のカリスマ、ねェ…」

ロシナンテに手を振りほどかれて、運命に抗うことを諦めて悪事に手を染めだした頃のおれは荒れていた。もともと前世にちゃんと教育を受けていたし、ドンキホーテ・ドフラミンゴになってからも手習いだのなんだのと教養もあったから、頭はよく回る方だ。だからそれをフルに使って、幾つも幾つも、たくさんの物や人を壊してきた。その苛烈な様が回りにはそう写ったのだろう。

そうして畏れられるのと同時に、おれの旗印が欲しいと挑んでくる輩も、憧れの眼差しで見てくる輩も増えていった。そんな事を気にするような精神的な余裕も、おれにはなかったのだけれど。

ロシナンテが帰ってきて、と言うかこのドンキホーテファミリーに潜入するようになってからは大分それも落ち着いたが、今でもおれは自分がそんな大それた二つ名にふさわしい中身ではないと思っている。

しかし、この当のローも、そんな悪のカリスマと謳われるおれの元でファミリーとして生きるためにここにいるのだろう。

「でもお前は、そんなおれの下につきたくて来たんだろ?」

「…最初は、そうだった、全部壊したくて…」

ローが俯いて、おれの角度からは顔が見えなくなってしまう。見たことのない様子にどうしたのだろう、とその小さい身体を持ち上げて椅子に座っている自らの膝に乗せた。ぎゃあ、と悲鳴を上げて驚いたローから非難の声が上がる。

「お、おい!なにすんだよ!」

「…おれは、お前のお眼鏡に適う悪人じゃあなかったか」

暴れる少年にそう尋ねてみれば、え、と目を丸くして抵抗をやめる。それをいい事に膝の上に座らせれば、ローはおれの様子を窺うように見上げてくる。どことなく心配そうな表情にも見えるが、まあそんなこともないだろう。

「おれに、幻滅したか、ロー」

自分でも聞いた事のないような、酷く穏やかな声だった。おれに幻滅したか。何年前の事だろう、自分の手を振り解いて泣きながら手の届かない場所に消えてしまったたった一人の弟。その小ささと、膝に乗っている子供の姿が被って見えて自分の浅はかさに思わず自嘲の笑みを浮かべる。何を感傷的になっているのだろう。こんな、小さい子供に、自分は何を聞いているんだ。あ、とローがおれの顔を見上げて唇を震わせて、そうしてぐ、と唇を噛み締めて眉間にしわを寄せて押し黙った。

「…新しい本でも貸してやる、好きなものを持って行くといい」

そっとローの脇に手を差し込んで床に降ろしてやろうとすれば、その左手がぱしりと白い小さな手に捕まえられる。なにをしているのだろう、不思議に思うとローはやっとの事で口を開いた。

「情けねえ顔で笑ってんじゃねーよ!」

ばーか!呆気に取られたおれに理不尽で子供じみた暴言を吐き捨てて、ローがおれの膝から飛び降りた。思わずローを床に降ろしてやろうとしていた格好で固まる。突然ローに言われた事にいまいち要領を得ることが出来ずにその姿を追えば、本棚から本を奪う様に引っこ抜いて扉に走って行くところだった。がちゃり、とそこを開けて、そのまま飛び出していくのかと思えば外から顔だけを覗かせる。そうして、ぽかん、と口を開けたままのおれに、真っ赤な顔で怒鳴りつけるように叫ぶ。

「おれは…!お前がこういう奴でよかったと思うけどな!」

バタン。外と部屋を隔離する音が静かな空間に響いた。しばらくして漸くさっきの言葉を理解して、思わず額に手を当ててフフフッ、と長年で癖になってしまった笑い声を上げる。ああ、そうかい。

「…悪のカリスマにはやっぱ、相応しくねぇんだろうなァ」

先程とは違う、本当に心からの笑みだ。おれは机の上の読みかけの本を手に取った。

もう先程まで胸の中に巣食っていた鬱然とした気持ちは、どこかに行ってしまったようだ。



運命の副産物

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