短編
山麓からライフコッドに続く峠の中腹、その星空の下で名前はごろりと横になっていた。夢の世界、偽りの村、だが確かにここは現実世界のライフコッドでのうのうと暮らしていた意気地なしの方の自分でなく、レイドックで兵士に志願した今の自分の生れ故郷でもあった。今寝転がっているこの場所は、下の世界の弱虫名前がターニアに保護された場所である。

よくもまぁ、気絶した青年を引きずってあの階段を上がったものである。もしかしたらランドに助けを求めたのかもしれない、そんなような事も言っていた、かもしれない。

はぁ、と溜め息を吐く。四肢を地面に投げ出して星空を目に焼き付ける。妹と信じていた少女に言われた言葉が脳内で何度も巡った。

「はは…結構堪えたな、畜生」

下界でもう一人の自分と一つになった事も影響しているのだろうか、妹、ターニアがぽろりと名前と他人であるかのような言葉を口走ったのである。何か私、変だね。そう言った彼女に自分は笑い返せていたのだろうか、ターニアにはそんな自分の後ろめたさに気付かれていないといい、名前は右手を眼の上に横たえて視界を無にした。少しだけ欠けていた月は見えない。

他人だ。本当は他人なのだ。自分はとある城の王子で、亡き妹愛しさに田舎に住む孤独な少女の兄になった、そんな夢を見ているただの他人。この世界では自分はそうではないと思っていたのに。夢の世界に居ながら目が覚めた気分だった、頬を張られて叩き起こされた気分だった。

泣いているような格好であった。本当は泣いてしまいたい。また家族が、最愛の妹が離れていってしまう。唇を噛んで溢れそうな何かを堪えようとしたが、名前はそうせずに呟くように言った。

「…言っとくけど、泣いてねーからな」

「何だ、泣いている姫を慰めに来たのに」

少し遠くの木が言った。職業をドラゴンにしている名前の鼻に届いた、微かな仲間の剣士の香り。

「王子様の、間違いだろ」

目元を隠したまま小さく名前が言った。自分の生まれ育った村に来ているのに、逆に神経がすり減ってしまったらしい。寄り掛かっていた木から離れたテリーが、寝ている名前の隣に腰掛けた。

「今のその姿を見たら王子様なんて言えないな」

「…はいはい、悪かったな、粗野な王子で」

「違う、わざと見当違いな事を言っているのか?」

テリーが月を背にして膝を立て、そこに頬杖をついて名前を横目に見た。名前は少し沈黙してから姿勢を変えずにほろりと言葉を零す。

「そう、思うなら…そっとしとけよ…」

慰められるような事なんて何もねーよ、名前はテリーにそう返すが、そこにいつもの底抜けな明るさも、強い意志も感じられなかった。テリーは名前を鋭い目で見やり、大げさに溜め息を吐く。

「先が思いやられるな、身内のゴタゴタで旅に支障を来すようじゃ…リーダーに向いてないんじゃないか?」

ぴくり、と名前の肩が震える。だがそれだけである。特に声を荒げる事無く静かに、淡々と返した。

「そうかも、な、俺…今確実に皆に迷惑掛けてるし、本当によく着いて来てくれてる…俺の為じゃ、なくても」

いつもなら売り言葉に買い言葉、今程の嫌味ならば「何だとこの野郎」と逆上する名前。それを想定していたテリーはす、と目を細めた。今は大声で喧嘩擬いの事をしてストレスを発散させる時ではない。

「…名前、ちょっと起きろ、俺の目を見て今思ってる事を言ってみろ」

「は?…何だそれ、ってか、何で命令口調…」

「良いから、早くしろ」

意外な一言に名前は目を覆っていた腕を退けてテリーを見る。せっかちな彼は目線は見下ろしたまま早く起きるように促した。渋々、と言った様子で名前が体を起こす。そうすれば少しだけテリーより視線が高い。

「えっと…何だっけ?」

「今思ってる事を言ってみろって言ったんだ…俺が、聞いてやる」

最後の部分は消えるような声であった。え?と耳を疑って聞き直した名前は、厳しい表情だが月明かりに照らされたテリーの少しだけ赤い耳を見付けて、ほんの少し嬉しそうに微笑んだ。

「はいはい、じゃあお言葉に甘えますよ」

「あぁ、そうしろ」

ありがと、名前は弱々しく笑った。

「俺は、レイドックの王子だった俺が嫌いだった訳じゃないんだ」

現実世界のターニアの孤独に呼応して夢の世界のライフコッドに飛ばされた、ムドーに呪いを掛けられて。

「地上でもう一人の俺を見つけた時、安心と一緒に他の感情もあった」

やっと自分に戻れる、その感情と、あの寂しい少女を一人にしてしまう、そんな自責。
名前はレイドックの王子である。だが、それと同時に既にターニアの兄でもあった。

「俺にとってはどっちの記憶もあって、どっちも思い出で、どっちも…愛しいんだ」

だから、この夢を手放すのは惜しい。そう困ったように笑うレックの瞳は、その目に初めて滲む雫を堪えていた。あぁ、こいつも泣くのかと頭のどこかで驚き、だが気が付いたら、テリーは自分より少し大きな体を引き寄せていた。

「俺は、お前に強がれなんて言ってないぜ」

レックの身体が強ばったのを感じたがお構い無しに腕の力を強める。俺の前だけで、泣けば良い。何の違和感もなくそう思った。腕の中からくすくすと笑い声がする。

「離せよテリー、屈まなきゃいけないから苦しい」

「うるさい」

うるさい、テリーは少しだけ失礼な最後の言葉はお得意の強がりと受け取ってそう返し、肩を濡らした涙には気付かないふりをした。






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