短編
血が、止まらない。コラソンの意識は朦朧としていた。ファミリーを裏切った、制裁を加えられた。恐らくもう、この命も長くないだろう。けれども自分は、守ると決めた命を安全な場所まで送り届けなければならない。もう半ばその気持ちだけで命を繋ぎ止めている己に、そんなにあの子が大切なのだな、と改めて気付いた。いや、この状況に気付かされたようだ。あの子はもう自由なんだ、自由にならなければ。力の入らない体は、少しでも長く命を保たせることだけに集中していた。

遠くなってきた意識に、血を流しすぎたか、と回らない頭で考える。裏切り者は一人寂しく死んでいく、恩人のいる海軍も、血を分けた兄弟がいるファミリーも、何もかも裏切った裏切り者は。でもそれだけでは無いだろう、と頭の奥で警鐘が鳴った。

「…名前」

口をついて出た、一人の男の名前。自分と同じくして海軍の出身で、自分と同じくして海軍からのスパイで、自分と同じくしてドンキホーテファミリーに潜入していた、かつての同志の名前だった。

名前はコラソンよりも先に命を落としている。ある時コラソンが決定的なヘマをしそうになった。彼の場合それはドジと言えるのだが、ファミリーからの信用を揺るがしかねない決定的なミスだった。どうしたものかと考えあぐねていたコラソンの耳に飛び込んだのは、名前が裏切り者だったという幹部の押し殺すような声だった。

「あれ?もうバレた?以外と早かったなあ馬鹿な海賊共のくせに!まあでも、これだけ騙せたんだからお前らは十分無能だよ!」

はは、と全身を鎖で縛り上げられながら高笑いを続けた名前は、コラソンの目から見ても違和感のなさ過ぎるヒールだった。彼は抜け目がない。その性格は潜入捜査に恐ろしい程適していて、事実彼はコラソンとは違いプロの潜入捜査官として海軍から仕向けられた海兵だった。名前はコラソンの失敗を被ってファミリーに処刑された。そうして当のコラソン事なきをえたのだ。

怒って、いるかもしれない。確かに信頼度としては実の弟という肩書を持ったコラソンが残ったほうがその後何かと動きやすかった気もする。それでもこんな自分のために命を投げ出した一人間としての名前は、コラソンに対していい感情なんて持っていないかもしれない。

コラソンは、名前の事が好きだった。例えそれがポーズでもコラソンの事を気にかけ、子供たちに優しくし幹部たちともよくコミュニケーションをとっていた、気さくな人間が。転んだ所を助け起こされたり紅茶で火傷した後に治療して貰ったり、名前は本当に優しかった。それこそ、彼はきっと海軍にも海賊にも向いていなかったのではないだろうか。

だが、コラソンの命ももう尽きる。そうして天国か地獄どちらかで会うことができたら誠心誠意謝ろう。例えコラソンが地獄で名前が天国だとしても、どうにかして謝ろう。しんしんと降り積もる雪が、コラソンの意識を奪っていく。

もう一度会えたら、好きと伝えてもいいだろうか。嫌われてしまっているかもしれないけどそれでも。彼はとても優しい人間だった。きっと許してくれるだろう。それでも、許してもらえても償いたい。そして思ってしまうのだ、会いたいと。浅ましくも、自分のために命を落とした彼に会いたい、だなんて。

「……、名前…っ」

溢れ出した涙を、隠すようにしてそっと目を閉じた。

「なんだい?」

耳に、間延びした優しい声が届く。え、と目を開けたコラソンの視界に、一面の、桜が写った。気が狂いそうなほどに同じ景色の桃色が、それ以外の景色を覆ってしまっている。なんだか怖くなって、コラソンは弾かれたように体を起こした。体を起こすことができたのだ。それで、ああ、と推測する。ここは、死後の世界なんだろう。

「だから、お前がいるんだな、名前」

桜の中に埋もれるように立っている名前に、そう声を掛けて向き合った。名前は一度頷いたあとに眉尻を下げた。

「見ていたよ、ずいぶん無茶をしたね」

「ローを救うことで精一杯だったみたいだ、お前を見殺しにしておいて、海軍の任務を放り出した、本当に」

「いいよ」

「えっ」

深々と頭を、それで足りないようなら土下座も厭わない覚悟でいたが、頭を下げるまでもなく許しの言葉を聞くことができてしまった。ぽかん、とした顔でいつの間にか下がっていた顔を上げれば、そこにはふやけたような笑みがあって、思わず喉がぐっ、と詰まった。

「お兄さんを止めることだけを考えていた君が、誰かを慈しんで愛して、そしてその為に行動したんだ、謝るようなことじゃないよ」

いいんだよ、コラソン。優しくなだめるように呼ばれて、眼の奥がツンとした。

「もうひとつ、言わなきゃいけないことがある、お前が好きだ…名前」

ざあっ、と強い風が吹いて、桜が舞った。名前の髪もそれに合わせて揺らめいていて、なんだかひどく懐かしいように思えた。驚きを隠そうともしない名前の間抜けな顔に思わず笑えば、相手もぷっ、と吹き出してから笑い声を上げた。ひとしきり笑って、はあ、と笑いすぎて出た涙を拭きながら、名前は口を開いた。

「うん、うん、おれも、君のことが好きだ、庇って死んじゃうくらいね」

「うっ…そ、それは本当に悪かったって…」

「いいんだ、でもね、まだおれは君の手を取ることは出来ない」

え、と、一瞬頭が真っ白になったコラソンに、弁解するように名前が続けた。

「君に、チャンスをあげる」

そう言ってコラソンの肩越しに後ろを見つめた名前の視線を追って振り向いてみるが、そこにはただ桜が広がっているだけだった。それでも、その向こうから微かに誰かの声が聞こえる。

「まだ君に出来ることがあるかもしれない、君がしたいことがあるかもしれない、おれはそれまで、ずっとここで君を待っている」

行っておいで、おれの大好きなロシナンテ。コラソンはざ、と背中を風に押され、バランスを崩して前へつんのめった。思わずその勢いで一歩踏み出せば、手を振る名前の笑顔が遠くなる。きっと彼が、自分にはまだやることがあると教えてくれたのだ。どうなるかは分からない、自分に何ができるのかも。それでもコラソンは、自分を見送る名前の笑みに、自然な笑顔を返して手を振った。やっぱり、優しい彼のことが大好きだ。

「もしもし!センゴク大将!ロシナンテ中佐が目を覚まされました!」




貴方は時間があるなら『桜吹雪のなかで笑いあっているコラソン』をかいてみましょう。幸せにしてあげてください。
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