短編
病院の屋上は人が飛び降りないように柵が高い、んだっけ。前の俺なら二、三回足を掛ければ飛び越えられた金網が、今は酷く高い。触れれば、がしゃ、と軋むそれに指を絡めた。沢山の患者が居る病院だ、坂の上にあるうえに建物自体が高い。車がミニカー位の大きさに見える、って、ミニカーも車か。更に病気付近を見下ろせば人がゴミのように見えた。バルス。
金網に絡めていた指を開いて、その先の空間を目指す。がしゃん、と金網が軋んだ。得に意味はない。
俺はきっとここから飛び降りたいのではないだろうか。ははは、まるで他人事みたいだかっこ笑いかっこ閉じ。

「早まらないで下さい」

「──…っ!?」

がし、と左手を掴まれてフェンスから離され、からんと軽い音を立てて松葉杖の片方が転がる。いきなりの事で一瞬呼吸が止まりそうになった。未だ驚きでどきどきと暴れる心臓を自覚しつつ左側からそちらを振り向いた。

「それは飛び降りる人に言う台詞だよ」

は、と浅く息を吐き、心臓を落ち着かせて。我ながら嘘臭いだろう笑みで左手も金網から離してから、正面を向く。両目で見た緑間の表情の余りの真面目さに表情が引いた。緑間は冗談の色なんか少しも無い、真剣な顔だった。

「本当に、飛び降りそうに見えたもので」

それからくしゃ、と表情を歪ませた。まるでずっと信じていたものに裏切られた時、のような情けない表情である。

「何で俺が死にたいなんて思ってるなんて、考えたの?」

そんな気は無いんだよ、とでも言うようにふ、と笑ってみせるが、緑間はそんなんじゃ納得どころか不安を煽られたらしかった。それはそうだろう、騙せる訳がない。だって俺は、この金網をよじ登る事が出来たらきっと、もうこの世には居なかったのだから。

「名前先輩は、誰よりも人事を尽くしていると思います」

途方に暮れているらしい緑間は、どうにかして俺を引き留めようとしてくれようとする。優しい少年だ。

「……ありがとう、確かに俺は頑張ったかもしれない、でもこれからはいくら人事を尽くしても意味が無いらしいんだ」

「……足、ですか」

「そうそう、リハビリが思った以上にキツいものらしくて、普通にやれば走れるようになる頃には高校卒業してるってさ」

笑っちゃうね、そう言っても緑間は笑わなかった。
階段から落ちた。帝光中バスケ部のレギュラーだった俺が中学二年の時に、今はもうキセキと呼ばれる彼らが入ってきて、自分でも気付かない内に焦燥に駈られていたらしい。つまり俺が二年の時に、キセキは一年。青峰は一年の時にすぐにレギュラーに入ったし、俺が部をやめて赤司も、緑間然り、灰崎、紫原もレギュラーに入ったと聞いた。俺は退部直前、全中の決勝戦に向けて自主練をして、帰るときに階段から足を滑らせた。その時に感じた目眩は、過労と寝不足だったらしい。
目が覚めたら病院のベッドの上で、もう最後の試合は終わっていた。きっとそれで、バスケに関してなら初めて泣いた。

「あー、でもなぁ……」

はは、と俺は少し、苦笑した。

「もう少しバスケ、したかったなぁ」

結果、帝光中は全中優勝という輝かしい成績を残した。俺がいなくても。緑間が松葉杖を拾ってくれたので小さく礼を言って受け取った。その表情は相変わらず暗い。怪我をしたのは彼なのではないかと錯覚してしまう、この脚の痛みが無ければ。

「…出来ます」

「へ?」

「先輩なら、バスケ」

そう言った緑間を見ると、緑色の硝子玉と目があった。口先だけじゃない、慰めじゃなくて、心の底から俺に可能性を提示してきた。

「それ、は…?」

「高校で、です」

ぱちり、と瞬きをする。緑間は俺をまっすぐに見据えている。俺を信じてくれている目だった。

「先輩なら、出来るのだよ」

***

「名字、交代だ」

監督から名前を呼ばれた。それに小さく返事をしてニヤリと笑った。肩に掛かったジャージをはらりと座っていたベンチに投げ捨てる。靴紐を結び直し、ふ、と軽く息を吐いてから気合を入れるために両太ももを平手で打つ。どこも痛くない。それに加えてアップの時に感じた。俺は今日、絶好調のコンディションだ。
ぎゅ、とユニフォームの左胸を握りしめる。それはもちろん帝光のユニフォームではない。きっと誰にもマークされていない、ダークホースにもなれない、噛ませ犬でしかない色のユニフォームだ。加えて相手は王者秀徳高校。周りから見た俺達は、絶望的な状況とスコアだ。

「もちょい持ちこたえろよ…」

散々かき乱されている味方に苦笑し、でも、と自分に対し小声で言い聞かせた。

「先輩なら出来るのだよ、ってな」

ピーッ、と笛が大きく叫び、ボールが外に出て時計が止まり、俺がコートの中に入る。味方からは期待の目線、遅いと咎めるような視線。そして相手からは品定めをするような目線と、そして。

「名前、先輩…?」

驚愕に見開かれた視線。
俺はまたにやりと挑戦的に笑い、その視線に、緑間に答えてやった。

「よう、俺はもう何にも負けねーぞ緑間、王者にも、俺にもな!」

その次に鳴った笛の直後、すぐに俺に回ってきたボールをハーフラインから相手ゴールに叩き込んでやったのは、また別の話。






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