短編
ノックもせずに扉を開けば、中は大層煙たかった。意識の範囲外で顔のパーツが真ん中によったのを感じて、そっと服の袖を伸ばして鼻と口を覆う。じゃらじゃら、と牌が卓の上を駆け回る音、そちらに顔を向けると、この部屋の主である諏訪さんと目が合った。俺雀荘に来ちゃったかな、というのはこの隊室に呼び出されるたび思うことである。

「よぉ、悪ぃな」

これ回収してくれ、と諏訪さんが指差したのは、卓の四方を囲むようにして配置されたソファのうちの一つを占領して眠る太刀川だった。座ったままでも横になるでもなく、器用に斜めにソファに転がっている。

テーブルの上にいくつか缶が並んでいるので、どうやら酒を飲みながらの麻雀の最中に寝落ちしたらしい。確かに明日は休みではあるけれど。やれやれと思いながら腕時計をちらりと見遣った。もうそろそろ日付が変わる頃だ。

「なんで俺なんです?唯我坊っちゃんに頼んでくださいよ」

「坊っちゃん呼びのくせにこき使うんだな」

使うよ。唯我だぞ。まさか東さんと冬島さんにそんな言い方をする訳もなく肩を竦めた。まぁ非常時でもないから当の唯我は自宅だろうし、諏訪隊作戦室も他の隊員がいないからこそ徹夜麻雀決め込む大人達の溜まり場になっているんだろう。

「ったく…なんで俺よりタッパある野郎を運ばされるんだか…」

俺は麻雀のルールを知らんので太刀川の代打は出来ない。大人しく担いで太刀川隊の作戦室にでも置いてこようと、ポケットに入れたトリガーに手を掛ける。流石にエンジニアに転向した今、生身で意識のない百八十センチの成人男性を担ぎ上げられるほど身体は仕上がっていない。キィン、という駆動音と共に、俺の身体がトリオン体に切り替わった。缶ビールを煽っていた冬島さんが少しだけ目を細めて言う。

「…見た目は戦闘員の頃のままなんだな」

「あ、そういやそうですね…データまだ変えてなくて」

とは言っても、変わったのは髪の色くらいだ。エンジニアに転向してから髪を染めた。戦闘中に派手な頭を晒していると目立ってしまうからだ。東さんや冬島さんのように髪が長いわけでもなし、自分では見えないので言われないと意識もしない。

急を要するわけでもないので見た目はこのままでもいいかと設定を変えずにいたのだが、違和感があるなら変えた方がいいだろうか。そう思いながら太刀川を持ち上げるために、寝ている太刀川の正面に膝を折る。酒が入っているのなら俵担ぎは辞めたほうがいいな、なんて思っていると、伏せられていた瞼が不意に開いた。

「起きた?自分で歩けるか?」

よもや卓上の空き缶を一人で空けた訳ではないだろう。そう思って太刀川の顔を覗き込むと、微睡んでいた目が見開かれて、ひゅ、と喉が震える。一瞬その瞳が揺れた気がしたのだが、確信を得る前にぐいっと首に腕を回されて引き寄せられてしまった。「おい」と思わず上げた声に、太刀川のふにゃふにゃの言葉が被さる。

「…らんくせん…らんくせんしようぜ…」

「…酔っ払いが何言ってんだ」

顔を埋められた肩口で、太刀川がもう一度震える声で「らんくせん」と繰り返した。だから俺はもう戦闘員じゃないんだってば。相当酔っているのか、それとも体調が優れないところに酒が入ったのか。相手が誰かも分かっていないかもしれないその醜態に半ば呆れ返って、苦し紛れに太刀川の膝裏を持ち上げて、背中に手を回して支えて、そのまはま身体を横向きに抱え上げる。これくらいしか打てる手がない。

「それじゃ持ってくんで…」

よいしょ、と立ち上がると、真ん丸に見開かれた三対の目がこちらを凝視していた。別におみおくりなんてせずに三人打ちで続きを初めてくれてもいいのに。とはいえ太刀川の座っていたソファが一番入り口に近くて助かった。そう思いながら踵を返すと、長い間を取った諏訪さんが「………おー…よろしくな」とこちらに緩く手を振った。

扉を閉めて、そのまま太刀川隊の隊室に足を向ける。こんな時間だし誰にも会わないだろうな、と思いながら歩いていると、首に回した腕に力を込めた太刀川が、ひとつすん、と鼻を啜った。太刀川と同級生で、同時期にボーダーに入った俺が、その才能の差に絶望して戦闘員をやめたという噂が、まことしやかに囁かれていると小耳に挟んだのはいつだったろうか。

「ごめん」

ごめんな。もう一度繰り返すふわふわの頭が、俺の肩口に顔を埋めた。

「…おいバカ、鼻水拭いてんじゃねーよ」

何がごめんだよ。お前が謝ることなんて、何一つないのに。繰り返される湿った呼吸が引き攣るのを気付かないふりして、俺は太刀川の頭にこつん、と弱めの頭突きをお見舞いした。




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