短編
夏の体育の後の教室は大抵鼻が死ぬ。男子も女子も思い思いに制汗剤を使いまくるからだ。一応先生方には無香料を使えと言われてはいるが、高校二年にもなってそんなのを律儀に守る輩がどれくらいいるかと言うとお察しである。果物系やらミント系やらが混ざり合って嗅覚を刺激してくるのだから、飯前に体育が組み込まれてたら最悪だ。俺達のクラスには四限が体育の曜日はないので不幸中の幸いだった。

「…それ、石鹸の匂いのやつか?」

ジャージから制服に着替え終わると、隣の席の松田が俺に顔を寄せてすん、と鼻を鳴らした。俺はあんまり強い匂いを嗅ぐと頭が痛くなるので、比較的優しい石鹸の香りの制汗剤を愛用している。見事にそれを言い当てた松田が近付いてきた拍子に香った、ふわりとした仄かな柑橘。なるほど、と少しその首筋に顔を近付けて息を吸うと、少しだけ汗の匂いが混ざった爽やかな香りがした。

「松田は…シトラス?分かるわぁ」

「……蓋」

「蓋?」

会話を単語でぶった切った松田が、俺の胸の辺りをじっと真っ直ぐ見ている。蓋、とは何のことだろうか。思わず鸚鵡返しした俺に、松田が一瞬だけ唇を横に引き結んで口を開いた。

「交換しねぇ?探してたんだよ、あの色」

視線が上がって、松田の視線が俺の顔を捉える。そんなに神妙な顔をせんでも交換するよ。そう答えようとして俺は、そのお願いを叶えてあげられない事に気が付いた。

「ごめん松田…俺シートなんだよね…」

ほら、と机の横に引っ掛けたカバンから、薄くなった袋を取り出す。確かにオレンジ色のやつだけれど、俺のはシート状の制汗剤。そもそも交換してあげられる蓋がなかった。

「…そうか」

そう伝えると、松田がほんの少しだけ肩を落とす。涼しい顔をしているが、やはりどこか落胆している様子だった。うちのクラスはきつめの香りの愛用者が多いので、松田が探すのに苦労するのも頷ける。残りの枚数も僅かだし、と思いながら口を開いた。

「じゃあ次は液体のにするよ、そしたら交換しよ」

「…おう」

俺の言葉を聞いた松田が一瞬目を丸くしてから笑った。そんなに喜んで貰えるなら、蓋くらいいくらでもあげるよ。





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