まかせぬものは昼と命の短さ、
まかせぬものに心をよせるな。
われも君も、人の掌の中の蝋に似て、
思いのままに弄ばれるばかりだ。

ドゥシャは、今日も踊っていた。優美に、しなやかに、それでいて情熱的に。切なげな表情を浮かべ、どこか遠くを見つめるような彼女の瞳をみて、シャプールは胸の奥が疼くような心地がした。ーー誰がおぬしにそんな顔をさせている。おぬしは誰を思ってそんな顔をするのだ。
シャプールは、彼女のその表情をそれ以上見たくなくて、自分の膝に視線を落とした。こうすればもう、観客の息遣いと美しい音楽が聞こえてくるだけだ。舞台上には彼女がいることは確かなのに、シャプールは目を逸らした。これでいいのだ、と。
彼女には想いびとがいて、俺は彼女にこれ以上近づくべきではないのだから。 ないものねだりは、もう散々だ。俺は、空に浮かぶ星を、月をとってとせがむ幼子ではない。一時の愚かしい感情に身を委ねる若輩者でもない。ーー俺は、万騎長で、シャプールという男なのだ。
周囲から巻き起こった、うなるような喝采に目線をあげれば、そこにはやはりドゥシャがいた。真っ白な衣装を身に纏った彼女は心底幸せそうに、美しく微笑んでいた。
そして次の一瞬、シャプールとドゥシャの視線が、確かに交わった。
ーー彼女の瞳は、燃えていた。何かに焦がれるように、何かを焦がすように、鮮烈に、燃えていた。

\ 君を夏の日に例えようか


舞台の幕が降りると、まもなくシャプールは足早に劇場を後にした。いつもならーー小一時間ほど、ドゥシャと会話をして帰るものなのだが、もうそんなつもりもなかった。何だか、苦しかった。淀みなく、しかしいつもより心なしかゆっくりと、彼は屋敷への道を辿っていく。
背後から吹いてきた風が、さあっとやわらかに頬を撫で、向こうへ吹き去っていく。シャプールは、なんとも無しに、足を止めて背後を振り返った。
「シャプール様、」
そこにはーードゥシャがいた。いつも通り中途半端な距離を保ちながら、走ってきたのだろう息を切らしつつ、そこに立っていた。ドゥシャの纏った白い紗が、その金髪が、昼の光を反射して眩しい。シャプールは目を細めた。
ーー何故おぬしがここにおるのだ。俺は、おぬしの顔を見たくなかったのに。
そう言って仕舞いたかったが、言って仕舞えば彼女はきっとその美しい顔を歪ませ、悲しむだろう。それは、嫌だった。
「今日はもうお帰りですか?」
ドゥシャはそう問うて、一歩シャプールに近づいた。そして、微笑んだーー舞台上で見せる、切なげな色を滲ませながら。
それを見た瞬間、シャプールは身体中に痺れのような感覚を感じた。傾ぐ心を、どうにも支えきれずに、
「何故、追ってきた」言葉がこぼれ落ちる。「何故そんな風に笑うのだ」「何故、」言葉は宙をただよい、そして風に吹き飛ばされていった。
ドゥシャはまた微笑んで、
「私が追いかけたかったからです。貴方を」
そういった。
「……おれは。追いかけるに値する男だと、そう言うのか」
シャプールは一歩踏み出し、ドゥシャに近づいて、その顔を見た。ーーそんな白い衣装では、まるで花嫁のような。そんなことを思いつつ、シャプールは震える手でドゥシャの白い頬を撫で下ろし、そのまま手を彼女の肩に置いた。
彼と彼女の目線が、ついに交わる。鋭い光を宿す焦茶と、鮮烈な緑。
「貴方だから」
三日月に細まる彼女の瞳。
「貴方だから追いかけるのです」
ーーそれは、つまり。
「いけませんか、」
シャプールのゴツゴツとした手に、しろいドゥシャの手が触れた。彼女のその手は冷たい。シャプールは何も言えず、ただ彼女の肩を掴み、黙ったまま。
ーーおれは、どうしたい? ……そんなこと、決まっている。
ーー俺は、どうすべきなのだ。……それも、分かりきっていることだ。
シャプールは、やはり黙り込んだ。ドゥシャも何も言わなかった。2人の心は、揺れていた。さらさらと流れる細やかな風にさえ、おおきく傾いでしまうほど。

ーー許してくれ、ドゥシャ。おれは、俺は、やはり。
シャプールは心の中でそう詫び、かたくかたく、目をつぶった。