Heralist


俺と違ってスラリと高い身長、すっきりとした切れ長の目、愛想を振りまくその笑顔。女子曰く、少女漫画の王子様。そんな友人、須藤恭也とは一年生の頃からの付き合いだ。幼稚舎から大学まであるこの古宮学院の、所謂エスカレーター組である恭也、そして高等部からの外部生である自分。仲良くなったきっかけなんて覚えていなくて、いつのまにか共に行動するようになっていた。話すテンポ、歩く早さ、盛り上がるポイント……些細な事だけれど人と付き合う上で大切なそれらがピタリと一致していたからだろう。少なくとも、その頃の自分はそう思っていた。
学年が一つ上がり、恭也とは別のクラスになった二年生。それでも俺と恭也との距離が離れる事は無かった。小柄で男らしくない容姿をしているからか、通学の電車内で痴漢にあっていると愚痴をこぼした時は、まるで当たり前の事のように、毎日一緒に登校すると言った。家から学校まで、自転車で通えない距離ではない。いざとなったら自転車通学をするから大丈夫だと断ったのに、翌日、地元駅のホームで手を降る恭也を見て、「バカじゃねぇの」と思わず声が漏れた。冷静に、いつもと同じように振る舞っていたけれど、きっと俺の顔は赤くなっていたのだと思う。親友の優しさが照れ臭かった。恭也は誰にだって優しい。そんな恭也が、他の誰にもしていない事を俺にしてくれている。俺にだけ向けられている確かな好意が、とても心地良かった。とても、嬉しかった。
毎日のそれは、三年生になった今でも続いている。


「傑の事が好きなんだ」

そう告白されたのが、高等部最高学年としての生活が始まってすぐの事だった。また同じクラスになり、出席番号順の席は須藤と辰巳で見事に前後。二人で、「一年の頃みたいだな」なんて笑いあった。
ある日のこと。部活を終え、体育館から出ると、とっくに帰宅しているはずの恭也がそこにいた。その日一日、妙にぼんやりしていると思ったら、どうやら俺の事で悩んでいたらしい。男からそういう目で見られるのは気色が悪い。いつも恭也にそう愚痴っていた俺に、その気持ちを伝えるのは、どれほどの勇気が必要だったのだろうか。もしかしたら、恭也の中にあったであろう、ある程度の自信が背を押したのかもしれない。もしかしたら、その想いを一人で抱え込むのが苦しくなってしまったのかもしれない。もしかしたら、今の関係を変えたかったのかもしれない。
恭也は切なげに笑顔を作っていた。
「正直、お前がどうしたいのか分かんねぇよ」
「だよなぁ。なんかごめん」
「……でも、恭也にそう思われてるのは、なんか嬉しい」
目を丸くして間抜けな顔をしている恭也に、「ありがとう」と伝えた。俺と恭也の関係が特別な何かに変わる事は無かったけれど、俺の中で恭也の存在は、とっくに特別で大切なものになっていたのだと思う。それが、恭也の俺に対する感情と同じではないとしても、お互いが大切な存在だという事には変わりない。
満開の八重桜が、笑う恭也の後ろで揺れていた。


最近の恭也は様子がおかしい。
それは最初、些細な違和感だった。恭也の親友である自分しか気付かないような違い。いつもの笑顔の中にほんの少しだけ、別の何かが混ざっているような気がした。その何かはじわりじわりと大きくなって、今では仲の良かったはずのクラスメイトが恭也を避ける程になっている。
「なんか須藤、変わったよな」
「絡みにくくなった感じ?」
「よく辰巳は仲良くしてるよなぁ」
昼休み、そんな話し声が聞こえてきた。以前までの恭也だったら、「なんだよお前らー、妬くな妬くな!」なんて、笑いながら絡みに行っただろう。前に座る恭也を盗み見ると、バッチリ目が合った。なんとなく、目を逸らし難くなって、目を合わせたまま千切ったパンを口に運ぶ。
「そんなに見つめられると照れるんだけど」
「見てたのお前だろ」
ただ、座って飲み食いしているだけだというのに汗が滲む。首に汗の粒が流れる感覚が気持ち悪い。すぐに汗を流す俺とは違って、恭也は涼し気である。視線は未だに交わっている。このままずっと見つめていたら穴が空いて、そこから恭也の気持ちが流れ出てこないだろうか。
夏休みまであと二週間。
「お前さ、何か悩んでるんだったら言えよ」
考えていても仕方がない。恭也に何かあったのか、何を考えているのかなんて、本人に聞かなきゃわからない。真っ直ぐに見つめた先の瞳が、俺の言葉で揺らぐ事を期待した。けれども、その目は細められただけ。
「さんきゅ」
心に触れようと伸ばした手を振り払われたような感覚。近いと思っていた距離が、なんだか急に離れた気がして胸がざわめいた。結局、恭也から何かを相談される事はなかった。
昼休みの終了を告げるチャイムが鳴る。

同日。体育館から出ると、いつかと同じように恭也がそこに居た。花壇に腰をかけていた恭也は、俺に気付くと笑みを浮かべて手を振る。もしかすると、昼休みでは話せなかった事を話してくれるのかもしれない。
「おつかれさま」
「おー、どうした?」
「一緒に帰ろうと思って」
「マジか、言ってくれたらもうちょっと早く切り上げたのに」
「いいよ。こっから傑が頑張ってるの、見えたから」
体育館を振り返ると確かに、花壇から舞台はよく見えた。妙に気恥ずかしくなって、赤くなる顔を隠すようにタオルで汗を拭う。告白されたあの日も、こうやって恭也は俺を待っていた。意識をするなという方が無茶な話である。
「演劇部ってあんな激しいんだね」
「え?ああ……まぁ、うちは有名な方だし」
「傑、めっちゃ怒鳴ってた」
「うわっ、見てたのかよ」
「厳しい先輩って感じ」
「もう引退だし、憎まれ役は三年の役目だろ」
二人、並んで歩く帰り道。進行方向にある沈みかけの太陽が眩しい。いつも部活を終えるととっくに暗くなっているから、今日は随分と早い時間に帰っているような気がする。顧問が不在だったのだから仕方がないのだけれど、時間いっぱい練習できないのはなんだかもったいない。でもまぁ、恭也と帰れるのだから良しとしよう。
「なぁんかなー、傑が嫌われ役っての納得いかねぇ」
「別に皆に嫌われてる訳じゃねぇよ」
決して良い先輩ではないであろう俺でも、慕ってついて来てくれる後輩がいる。俺への反抗心をバネにして頑張る奴もいるし、気の弱い後輩の面倒を見るのが上手い仲間もいる。
「役割りみたいな?俺は優しいの担当じゃないだけだって」
「……傑のそういう分かりにくい優しさ、俺以外にも気付く人っているんだよなぁ」
「なんだそれ」
「俺だけだったら良かったのに」
言葉が詰まった。隣を歩く恭也を見上げると、いつもと同じ柔和な笑みを浮かべてこちらを見ている。今、恭也は何を思ってその言葉を言ったのだろうか。親友だ、特別な存在だ、なんて思ってはいるものの、実のところ俺には恭也が何を考えているか、いつだって理解できていない。

随分前に、俺が舞台俳優を目指しているという話をした時、「じゃあ俺、アイドルになるわ」と言い出した事がある。恭也の突拍子もない言動に、意味があるかなんて分からない。理由を聞いてみたけれど、「俳優の親友がアイドルって良くない?」と返ってきた。そんな理由でアイドルになるなんて言えるのは流石と言うべきか、いい加減な事を言うなと呆れるべきか。けれど、思いつきの行動であっても、恭也はいつも楽し気にやってのける。先を見て、確実な道がなければ進めない俺にとっては、恭也のその行動力がとても眩しく見える。そこにはもちろん苦労はあるのだろうけど、俺とは元々持っている物が違うのだと、埋められない差を見せつけられているような気がしてしまう事だってあるのだ。なろうと思えば恭也は本当にアイドルになってしまいそうだと思った。
今日の恭也も同じだ。
俺には決して真似できないような事を笑顔でやってのける恭也。どんなに手を伸ばしても届かない。こんなにも近くにいるのに、どうして遠く感じるのだろうか。違う人間なのだから違うものがあるのは当然であり、何を考えているのか完璧に理解する事ができないのも仕方が無い。頭では分かっているのに、どうしてこんなにも不安になるのだろうか。
今、恭也を掴む事ができなければ、もう二度と一緒に歩く事ができなくなるような気がした。
確かに、そう感じていたのだ。

ぽーん、ぽーんと、何の音なのかよく分からない電子音が鳴り響く改札を通り抜ける。歩いてきた道よりもいくらか人の多い駅のホーム。
恭也は一歩先を軽い足取りで歩く。
「傑は強いから、俺を置いて一人でどんどん先に行く」
ぽつり、呟くように恭也が語る。
「俺さ、傑の忘れられない過去になりたい」
振り返った恭也は、何か悪戯をする子供のような表情をしていて。
「意味わかんねぇ」
「いつかわかる時がくるよ」

線路の向こうに電車が見えた。
ふわり。
恭也の体が傾く。
手を伸ばした。
届かない。
恭也は笑った。

「すぐる、あいしてる」



数年ぶりに高校の近くに来ると、通い慣れていたはずの景色が妙に新鮮に感じてしまう。以前は自転車で通った道をバイクで走り抜けるのも何だか気持ちがいい。校門をくぐり抜け、来客用の駐車場にバイクを止める。本来ならば職員室に顔を出すべきなのだろうけれど、正直面倒くさい。このままお目当てである体育館に行ってしまおうか。昔と変わらず、部活動に励む生徒の声が響く体育館を目指して数歩進むと、「おーい」なんて気の抜けた声で呼び止められた。
声の方を向くとスラリとした痩せ型の若い教師。その人には見覚えがあった。
「えーっと、山瀬先生だ」
「おう辰巳、久しぶり」
人懐こい笑顔を浮かべ、「元気にしてたか?」なんて言う先生に、まず驚いた。普通の高校よりも生徒数の多い宮高、ましてや山瀬先生には三年の時の一年間だけ、現代文の授業で顔を合わせていたくらいだ。そんなに自分は目立っていたのかと不安になる。
「よく俺の名前覚えてますね」
「んー、まぁな」
ちょいちょいと手招きをされ、一瞬悩んだけれど進行方向を変える。演劇部に顔を出そうと思っていたが、顔見知りの教師に呼ばれたのだからそちらを優先するべきだろう。けれども、職員室にでも向かうのかと思えば、辿り付いたのは中庭の自販機前。「何がいい?」なんて言うものだから遠慮なくコーラを奢ってもらった。コーラを片手に、促されるままベンチに座る。グラウンドの方から聞こえてくる運動部の掛け声をぼんやりと聞いていると、先生が口を開いた。
「大学、友達できた?」
「できましたよ」
「まだ演劇続けてんの?」
「一応、劇団入ってやってます」
「そっかそっか」
どこかほっとしたような表情を浮かべて笑う先生の横顔を眺める。名前を覚えていた事にも驚いたというのに、演劇部に所属していた事も知っているのか。小さくため息をついた先生と視線が絡む。
「生徒の事よく見てるんですね」
素直な感想を口にすると、先生はほんの少し困ったような、寂しそうな苦笑いを浮かべた。
「そうだなぁ……知る事は大切だって思うから、必死に見渡してるよ」
まだ教師になって間もなかったというのに、記憶の中の山瀬先生はいつも落ち着きがあったような気がする。そんな先生の口から必死という言葉が出てきて、「まさか」という気持ちが半分。けれどもその落ち着きは、生徒をきちんと見る為のものだったのかもしれない。
知る事の大切さは痛いほど知っている。先生の笑顔と、あいつの笑顔が重なって見えた。
「先生は、後悔した事ってありますか」
答えはわかり切っている。ぽんぽんと、先生が俺の背中を優しく撫でた。
「たくさんあるよ」

ベンチに座りながら色んな話をした。在学中だって、山瀬先生とこんなに話した事はなかっただろう。むしろ、あの頃の先生の年齢に近付いた今だからこそ、共感できる話がたくさんあるようだ。どこか完璧な大人というイメージのあった教師という存在が、とても身近に感じるようになった。先生にも先生の人生があって、失敗や後悔を抱えて生きているのだと、当たり前な事に今更気が付く。
「ほんの少しでも知ろうとしていたら、救えたのかもしれないな、なんて」
先生はそう言った。それは自分自身、何度も何度も考えた事だった。
並んで歩いた帰り道。勝手に距離を感じて手を伸ばす事を躊躇ったのは、確かに俺だった。あの時、恭也の腕を掴んでいたら。痛いほど握ってやって、「お前は今、何を考えているんだ」と真っ直ぐ目を見つめていたら。たとえ吐き出された言葉を理解する事は出来なくても、何かが変わっていたのかもしれない。
それでも、後悔なんてしたって仕方が無いと前を向いてきた。立ち止まってしまったら、それこそ俺を想って人生を投げ捨てた恭也が報われない。俺は俺の人生を成功させなければならないのだと。
きっとそれが、恭也の望んだ事なのだろう。
山瀬先生は、そんな俺の強がりを“知っている”かのように、「どうにもならない事からは逃げたっていいんだよ」と言った。
「大きな悩みを背負って、辛い思いをして、無茶して頑張って……それで潰れちゃったら意味ないだろ。どうにかできるようになるまで、成長してからまた頑張ればいいんだ」
酷く単純で甘い言葉。なのにどうしてだか、涙が滲んだ。
夢や目標に向かって、努力をする事は当然だ。辛くても、苦しくても、その努力は自分が成長する為に必要なもの。けれども、いつの間にか俺の努力は、恭也の為のものになっていたのかもしれない。

チャイムが鳴った。はっとして腕時計を見ると、ここに来てから随分と時間が経っていた。演劇部の顧問には、顔を出すと連絡をしているのだ。そろそろ体育館へ行かないと時間がなくなってしまう。
俺の様子に気が付いたのか、先生がベンチから腰を浮かせた。それに続いて立ち上がる。
「それじゃ、行ってらっしゃい」
「はい、先生もお元気で」
深々と頭を下げる。今日、先生と話せて良かった。心も体も軽い。今なら何にだってなれるような気がする。しばらく、ゆったりと歩いてみようか。そうしたら、きっと見えるものも変わってくるのだろう。
ふと、恭也の言葉を思い出す。目指すからには、全力を出さなければ気が済まない。
「先生」
自然と、笑みが零れた。
「アイドルになってたら笑ってください」


手の届かない君へ
この声が届きますように


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