Heralist


「ゆーと、ゆーとっ!」
「なまえ…どうしたー?」


とてとて。呼ぶ声を聞いて小走りに近寄ってくる私の彼氏。もうすぐ夏だから、その服装はYシャツの中にTシャツというラフなもの。髪はいつも通り短く整えられていて、野球をしている時とは少し違う対象的な爽やかさを持っている。部活中の勇人は健康的な汗を流していて、太陽の下で走り回っている。それはそれで爽やか。かっこいい。
そんな勇人が私の手が届く位置に来た瞬間、私は一気にYシャツのボタンを一つ引き千切った。


「えっ、えええっ!?な、なにす」
「わぁ大変!ゆーとボタンとれちゃったじゃん」
「いや、なまえが引き千切っ」
「わかった、私がつけてあげるから待ってて!」


そう言って勇人のYシャツを剥ぎ、ダッシュで自分の教室に戻る。


「な、なんだったんだ…?」






「泉!!」
「おー、花も色気も可愛げもない女。どこ行ってたんだよ」


意地の悪い笑みを口許に浮かべた泉に「うるさい」と言いつつも隣に座る。そして誇らしげに勇人から剥いできたYシャツを掲げた。
「さんざん言いたい放題言ってくれた泉に、私が彼氏のボタンを華麗につけてあげられる超家庭的な少女だということを教えて差し上げようと思って」


ふふん。そう言い切ると、背後から浜田の「ボタン引き千切ってきたのかよ…」という声が聞こえてきた。そんな浜田を睨みつつ、手に持っていたソーイングセットを強奪。


「持って無い時点でアウト」


厭味ったらしい泉を無視して私は針に糸を通した。
何故こんなことになっているのか。それは休み時間、泉との喧嘩にある。「栄口って趣味悪ぃよな」そう言った泉。私はその意味を瞬時に理解して、「ゆーとに私以上の彼女はいません」と言い切った。すると今度は浜田が「でも女なんだからボタンつけぐらいはできるようになろうな」と。以前シャツのボタンが取れた時、浜田に付けさせたことがあったからだろう。


「ボタンすらつけらんねーのかよ…栄口の方が家庭的なんじゃねぇの?」

プチーン。見事に私はキレた。そして私がボタンくらいつけられるということを証明するため、先ほどのちょっと怪しい行動を実行したのだ。

「…おい、さっきから手が進んでないぜ?」
「うるさい!集中してんだから黙ってて」
「あ、あぶっ…いや、そこはそうじゃなくて…」
「浜田、シャラップ!!!」


煩い外野を黙らせて作業に戻る。刺して、出して、刺して、出して。ほら、簡単じゃん。…あれっ?えっと、左の穴から出してて…え?あ、違う違う、右下の穴がさっきの穴…で。あれっ!?
色々と試行錯誤をするが、ボタンが答えてくれるわけでもない。隣でにやにやしている泉に悟られないようになんとか手を動かすけれど、どうやら焦り過ぎたらしい。


「いたっ!」


思いっきり針が指先に食い込んだ。慌てて指をくわえ込むと、口の中に広がる鉄の味。明らかに出血している。「最悪…」ぼそりと呟いた声は二人に聞こえてしまっただろう。ボタンすら満足に付けられない自分がなんだか情けなくって項垂れると、不意に頭を撫でられた。

まさか泉!?バカにされて…っ!

羞恥と怒りとで思いっきり顔を上げると、そこにはいつものように微笑む勇人。ああ、そうか。いきなりYシャツを剥いでいった彼女を不審に思わない人なんていない。追いかけてきてくれたのだろう。私が何をしたかったのか気づいているらしい勇人は、苦笑いを浮かべて私の口から指を引っ張りだした。


「もう…慣れないことするから」


ぺろり。何の恥ずかしげも無く勇人が私の指を舐めた。
その行為に顔を赤くしたのは私だけじゃなくて泉と浜田も同じだ。そんな二人は視界に入っていないのか、勇人はポケットから取り出した絆創膏を私の指に巻き付けた。そして手を握りながら柔らかく笑う。


「俺はなまえにボタンつけられるようになってもらうよりも、なまえが怪我しないでいてくれる方がずっと嬉しい」


少し頬を桃色に染めた勇人に、胸がドキドキと激しく鳴るのを感じた。







(二人とも、あんまりなまえいじめるなって…なぁ?)
(お、おう…)


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