Heralist


一度気になってしまった事は、満足するまで調べなければ気の済まない性分だ。
「アドリアーノ」
「はい」
だから、この男に何か隠し事があると知った時、その秘密を暴いてやろうと心に決めた。近くに居るようで、触れる事は決して許さないとでも言うかのような距離感。俺はしっかりと向き合って話しているつもりなのに、いつもアドリアーノはそこに居ないような気がしていた。まるで、画面の向こう側。姿は見えていて、声も聞こえているのに、決して心を通じ合わせる事ができない。どちらも一方的に相手を見ていて、その相手の中身は捏造で補う。俺の大嫌いな関係。
欲しいものに手を伸ばす事を覚えたのは、もう随分と前のような気がする。ひとり俯き、分かり合えないことに悲しむ少年はここには居ない。相手が勝手に作り上げた妄想の関係に、俺自身が従う必要なんてどこにもない。
――少なくとも、今までの俺はそう思って生きてきた。
「あの……?」
名前を呼んでから沈黙する俺を不思議そうに見るアドリアーノ。いや、もしかしたら困っているのかもしれないけれど、俺はこいつの心情なんて事細かに理解できない。だって、俺はアドリアーノじゃない。
目に見えない気持ちというものは、自分で理解する事も難しいのに、他人が正確に知ることなんてきっとできないのだろう。
だから、俺は知りたいんだ。少しでも本当の相手を知り、少しでも本当の自分を伝え、ほんの少しでも理解し合える関係になりたい。そう望むのはきっと悪いことではないはずだ。
「あのさ、アドリアーノ」
「……はい」
俺とは違う色の目をしっかりと見る。きちんと言わなきゃダメだ。そう思うのに、次の言葉はなかなか出てきてくれない。俺の緊張が伝わったのか、アドリアーノも少し緊張しているような気がする。
口を開けて、閉じる。そしてまた開く。
――怖い。
この感情には覚えがある。人との関係に怯えるのは、これで二度目だ。でも、だからこそ、自分がどうするべきなのかもわかる。わかっている。怖がって口をつぐんでいたって何も変わらない。
大切な一言を絞り出す。
「ごめんなさい」
声が震えた。かっこ悪い。

相手の事を知りたい。そう思うこと自体が悪いことではなくとも、その全てが良いことだとも言えないらしい。
相手の事情や、気持ち、自分の行動――。秘密を知るためには、気にしなくてはならない事がたくさんあった。それなのに俺は、理解し合いたいという気持ちを免罪符に、ソレらを無視してしまったのだ。
「お前の弟に会ってさ、『俺はアンディから、全部話してもらった』って、嘘ついた」
俺は騙したのだ。大切な兄を心配し、不自由な足で遥々日本からやってきた心優しい彼の弟を。そして、裏切ったのだ。知られたくないというアドリアーノ意思を。
その言葉に驚きながらもどこか安堵したかような弟の顔を見て感じた、ほんの少しの罪悪感。それがこんなにも大きく、重たくのしかかってくるとは思ってもいなかった。
何故、あの時にストップをかけられなかったのだろうか。
――そして、聞き出したアドリアーノの過去。
本人の口から語られていない事は、全てが曖昧で不確かなものとしてしか認識することができない。
だからこそ、話してほしかった。何度もアドリアーノに話せと詰め寄ったのに、彼の口からその話を聞くことは叶わなかった。それが腹立たしくて、なんだか信頼されていないような気がして、気が付けば、「本人の口から聞く」という目的を忘れ、卑怯な手を使い、あろうことか弟を通して事実を知ってしまったのだ。
「嘘ついて、家族の話も、暴力事件の話も、劇団辞めた話も聞いた」
もしかするとアドリアーノが話してくれなかったのは、劇団から追い出される可能性を考え、まだここに居たいと願っていたからかもしれない。以前、所属していた劇団では、そうなってしまったらしい。けれども、これだってただの想像でしかないのだ。
それが話せない理由だったとしても、それ以外の理由があったとしても、アドリアーノの事を何も考えず、欲求のままに行動したのは紛れもない自分自身だ。気持ちを踏み躙られたと知ったアドリアーノは、傷付くのだろうか。怒るのだろうか。俺との関係を切ろうとするのだろうか。
怖い。自分の失敗を伝えるのは、とても怖い。だけど、俺は謝らなければならない。きちんと話して、謝るべきだ。
「本当に、ごめんなさい」
まだ、声は震えていた。鼻の奥がつんとして、目の淵が熱くなる。
やっとアドリアーノの事を知れたというのに、わかったのは自分が最低な行動をしたということだけ。子供のわがままだ。お前は信頼できないと言われた気がして、ひとりで腹を立てて、相手の気持ちを無視し、無理やり聞き出した。これではアドリアーノに殴られたって文句は言えないし、それだけで許してもらえるのなら殴ってくれて構わないとさえ思う。
「そう……ですか」
一言目は、感情の読めない落ち着いた声色だ。優しいようにも、冷たいようにも聞こえる。
全身が心臓になったみたいだ。どくり、どくりと脈打つ音がはっきりと耳に届く。
「仕方がない人ですね」
困ったように、彼は笑った。

緊張の続いている俺に気を利かせてか、アドリアーノはお茶を用意し始めた。変わった形の小さなポットと取っ手のないカップはアドリアーノが好んで使う日本の品で、たしか名前はキュースとユノミ。
「とりあえずお互い、落ち着きましょうか」
控えめな音を立て、ユノミの一つが目の前に置かれた。どうぞ、と促される。中にはグリーンティーが注がれていて、白い湯気がふわりと頬を撫でた。
「いただきます」
「……ティモシーさんってそういう挨拶しっかりしてますよね」
ユノミを両手で慎重に持ち上げると、じんわり、熱で指先が痺れる。
「あー、リックがそこらへん厳しいからさ」
口をつけ、ゆっくりと口内へ注ぎ込む。想像していたより熱くなく、飲みやすい温度だ。もう一口、今度はしっかりと飲み込めば、体の内側に熱が広がった。
「リックさん?」
「おじさん。養父で、俺の親父……っていうより友達に近いかな。リチャードっていう名前だから愛称でリック。リック・リックとか面白いだろ?」
歯を見せて笑うと、つられるようにアドリアーノも目を細めた。
「ティモシーさんのそういう話も初めて聞きますね」
「俺は別に隠してねーし、聞かれたら普通に答えてるって。アンディが変に気にして聞いて来ねーだけじゃん」
「うわぁ、すみません……」
眉をハの字にして申し訳なさそうに笑うこの顔が、実は結構好きだったりする。わかりにくい彼の、わかりやすい表情の変化だ。
ふう、と吐き出した息が温かい。体の中から温められ、だんだんと気持ちは落ち着いていっている。アドリアーノの思い通りになるのは、いつもであれば悔しく感じるけれど、今は心底有難いと思う。
「さて、どうしましょうか」
「……ほんと、ごめん」
「過ぎてしまった事ですし……ティモシーさんの気持ちは充分、伝わっていますよ」
穏やかな声音だ。やはり罪悪感は拭いきれないけれど、あまりしつこく謝ったとしても、それはただ自分が楽になりたい為の言葉になってしまうだろう。それでは意味がない。
素直にアドリアーノの言葉に頷くと、彼はまた、困ったような曖昧な笑顔を浮かべた。
「正直、自分もどうすればいいのか分からないんですよね。今までこんな事は無かったもので……」
「……俺は、アドリアーノの口からちゃんと聞きたい。お前がどう思って、何を考えてたかとか……そういうのも全部。聞かなきゃ、わかんねーし」
「聞いたらもう、今まで通りにはなれないかもしれませんよ」
「それはない」
はっきりと、力強く返す。アドリアーノの体がほんの少し堅くなったようにも見えた。
「今まで何をしてきたとか、どういう生まれだとか、過去の話で変わる関係とか俺は欲しくないから」
「……ありがとう、ございます」
少しだけ、声が震えているような気がした。
「では、全てお話しましょうか」
長くなるので楽にしていてください。
そう言ったアドリアーノの口から、ぽつり、ぽつりと彼の過去は語られた。


「――そしてここ、STAR SPECTACLEに来たのです」
沈黙。全てを語り終えたアドリアーノは渇いた口内を潤す為、温くなったユノミに手を伸ばす。その動きをただ目で追った。こくり、喉が動く。ユノミが口から離れ、そっとテーブルの上に置かれた。
「恐ろしく思いますか?」
「えっ、なに」
アドリアーノの声に顔を上げると、妙に久しぶりに彼の顔を見たような気がした。一体、彼はいつからこんな表情をしていただろうか。
「あー、なんかわりと壮絶っていうか……うん、でも、恐いとかそういうのはねーよ」
精一杯、優しい笑顔を向ける。笑顔は相手の不安を拭うことができるのだと誰かが言っていた。
「生まれについては正直ピンとこねーな。なんか、誰が親とかそこまで重要か? みたいな……それにさ、したくないって、傷付けたくないって思っててもブレーキが効かなくなる事なんて俺にだってあるし……ほら、優しい弟を騙す罪悪感があっても、つい好奇心で聞き出しちゃったり?」
「それとこれでは話が違う気がしますが……」
「違わないって。だから自分が特別だとか思うんじゃねーぞ。あと退団するとかも考えんな。お前が思ってるよりお前は普通で、そんな普通なアドリアーノが特別になんのはステージの上だけ、だ、から……」
じわりじわりと羞恥がこみ上げてくる。ちらり、アドリアーノを見る。僅かに頬を赤らめていた彼は視線に気付き、からかうような笑みを浮かべた。
「うっわ、今のすっげー恥ずかしい! なしなし! 聞かなかったことにして!」
「それはできませんね! 今のはなかなかの名台詞でしたよティモシーさん。あっ、なんならカメラの前でもう一度言っておきますか?」
「今カメラ向けられたらアンディから聞いた話全部喋る気がすんだけど」
「ちょっとティモシーさんそれは卑怯ですよ!」
慌てるアドリアーノに笑いが止まらなくなる。真面目な話をした直後の間抜けな姿ほど面白いものはないのかもしれない。解けた緊張の糸が体を擽っているようだ。どうやらそれはアドリアーノも同じなようで、笑い声につられるように笑い出す。変わらない関係への安心感に身を委ね、涙がでるまで笑い続けた。

こほんっ。気を取り直して、とでも言うようなアドリアーノのわざとらしい咳払いに、再度笑いのスイッチが入りそうになるのを必死にこらえる。
「ティモシーさん、いいですか? 話を戻しますよ」
「ど、どうぞ……」
未だにこみ上げてくる笑いを噛み殺しながら、すっかり冷めてしまったお茶を飲みこむ。しばらく笑っていたせいで、いつの間にか喉が渇いていたようだ。染み渡る感覚が心地良い。
「先ほどの話は、ティモシーさんにしか話していません。というか誰にも話さないつもりでしたから、ティモシーさんも想定外と言いますか……」
「過ぎたことを気にしすぎるとハゲるぜ」
「貴方がソレいいますか?」
噴き出してしまった笑い声を誤魔化すように咳き込むけれど、やはり隠せるはずは無く、冷たい目をしたアドリアーノが口だけで笑顔を作っていた。
「ま、結果オーライってことで!」
「そうですね。ティモシーさんの恥ずかしい台詞も聞けましたし」
その話を出すのは卑怯だ。
「そんで、なに? 何が言いたいの?」
「ああ、そうです。だからその、誰にも話さないでいてくださると嬉しいのですが……」
「おう、わかった」
あっさりとした返事。アドリアーノは少しだけ目を大きくして、すぐに目尻を下げて微笑んだ。さては俺が皆に言いふらすとでも思ったのだろうか。たしかに、いつもの俺ならばうっかり、故意に口を滑らせて話すかもしれないけれど、今ここには信頼という絆があるような気がするのだ。その信頼を無下にはしたくない。
「俺の口からは絶対に言わない、約束する」
「……なんだか今日のティモシーさんは頼もしく見えますね」
差し出した手にアドリアーノの温かい手が合わさる。肌色の違うその手を強く、堅く、握りしめた。


秘密協定


(俺が頼もしいのはいつもだって!)
(そうでしたっけ……?)



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