Heralist


乾いた風が吹き抜け、自慢の金髪をさらさらと揺らす爽やかな昼下がり。天気も気分も晴天。稽古場でレッスンに勤しむキャスト達を横目に地味な仕事をしているのも悪くはないけれど、やっぱり青空の下をのびのびと歩いている方が性に合っている気がする。たとえそれが買い出しという使いっ走りだとしても、口煩く注意をしてくる人間がいないというだけで随分と気が楽なものだ。頭の中で怒鳴り始めたダイチをかき消す為に首を振ると、静かに隣を歩くリーゼルが訝しむようにこちらを見た。
「他、なんかある?」
なんの脈絡もなくそう尋ねる。それでも意味を的確に汲み取ったリーゼルは、速やかにポケットから細かい字の書かれたメモを取り出した。バリーとLB、オルガから頼まれた品々は既に俺の両手を塞いでいる。残るはリーゼルの片腕だけだ。買い出しに行こうとしていたオルガを見て、思わずそれを引き受けたのが更に荷物を増やすことに繋がってしまったのだけれど、オルガを一人で出歩かせるよりは良い選択だったと信じたい。
荷物が多くなるからとバリーがリーゼルにも声をかけているのを見た時は、俺だけでいいなどと言っていたけれど、今となっては一緒に出て来て正解だったように思える。
「あー、重てぇなぁ」
リーゼルがメモを確認している間に荷物を持ち直す。せき止められていた血がじんわり巡っていくような感覚が広がった。主にLBに頼まれた布とバリーに頼まれたドリンク類の重量が無視できないくらいに主張している。
まだ幾分余裕があるとはいえ、これ以上必要なものがあるとなったら一度稽古場に戻ってから再度出る方が良いだろう。今はとても気分が良いから、それぐらいの手間は惜しまなくても良い。
「あとは、クレータさんのお菓子が」
――そんなのあったっけ?
思わずリーゼルの顔を見る。念で火をつけようとしているかの如く、ジッとメモを睨み付けていた。
「パスパス、それは無し!」
「……」
ぐるり。メモに向けられていた険しい顔がそのままこちらを向いた。
やべぇ、俺が燃やされる。
「んな睨むなって、必要なものを俺達の肩が外れないうちに買って帰るの最優先な」
女とは思えない凶悪な顔と自分自身のファンタジーな発想に、じわじわと込み上げてくる笑いを必死に噛み殺す。考えていたことがバレたら、きっと鬼の形相で怒りを表してくるに違いない。いや、それはそれで面白いか――?
「……です」
どうやってこの仏頂面女で遊んでやろうかと考えていると、ぽつり、囁くような小さな声が聞こえた。その声があまりにも小さかったせいか、はたまた自分の意識が散漫だったせいか、残念ながら内容は聞き取ることが出来なかった。わからないとなると気になる。もう一度言ってくれと聞き返せば、少し戸惑ったように一拍おいた後、小さな口を開き落ち着いた声で言葉を繰り返した。
「……睨んでないです」
「いや、その顔が既に怖ぇし!」
噛み殺していた笑いが溢れ出てくる。リーゼルは面白い女だ。見た目と性格があべこべで、威圧感のある顔から律儀な言葉が出てくるあたりが特に面白いと思う。
ゲラゲラと遠慮なく笑っていると、どうやら笑い過ぎてしまったようで軽く肩を小突かれた。大袈裟に、いってぇッ!凶暴女!などと騒げば、次は少し強めに小突かれる。こういう、意外とノリの良いところもギャップがあって面白いのだ。リーゼルの持つ不思議な親しみやすさにも繋がっているのだろう。
「どうしたら自然に笑えるのでしょうか」
「自然に? リーゼルが自然に? 笑っ、んっ、く……っ」
また小突かれる。そう思ったのに、予想していた衝撃はこなかった。もしや傷付けただろうか。焦ると同時にひやりとしたものを感じてリーゼルを見ると、怒っているのか、悲しんでいるのか、笑っているかもわからない、いつもの仏頂面でこっちをじっと見つめていた。
「ティモシー君は、どうして自然に笑えるのですか?」
風が通り抜けた。自分とは違う、リーゼルの柔らかな髪がふわりと揺れる。
答えはきっととても簡単なものなのに、なんとなく答えられずに押し黙っていると、先にリーゼルが歩き始めた。これは、なんだろう。心にモヤモヤとした、けれども決して不快なものとは言い切れない感情が湧き上がる。
――俺は一体、何が言いたいのだろう?
見つからない言葉を当てもなく探した。

しばらくの間、会話もなく歩いていると、不意に数歩先を歩いていたリーゼルが足を止めた。視線の先には小さな公園がある。その中でも一点、ブランコに乗っている子供を食い入るように見つめていた。
怖い。目付きが怖い。
「旦那ぁ、カツアゲですか? それとも誘拐?」
茶化すように絡むと無言で睨まれた。睨まれたといっても、もしかすると本人にその気はないのかもしれないけれど――。
リーゼルはすぐにまた視線をその子供に戻し、今度は難しそうな顔をして眉間に皺を寄せた。あの子供に何かあるのだろうか。リーゼルに倣って子供を観察する。
歳は10に満たないくらいだろうか。まだ幼い少年がひとり俯き、到底楽しんでいるようには見えない面持ちで申し訳程度にブランコを揺らしている。
一人で遊ぶのはつまらないものだ。友人と遊ぶ楽しさを知っていればなおのこと、一人になった時の寂しさを実感してしまう。あの少年に友達はいないのだろうか。何故、ひとりで家にも帰らずそこにいるのだろうか。一体いつからひとりきりなのだろうか。いくつもの疑問が湧いてくるけれど、ただ眺めていてもその答えは見つかるはずもない。
「声かけんの?」
子供好きな彼女のことだ。きっとあの少年の事が心配なのだろう。劇場で迷子を見つけた時のように優しく声をかけに行くに違いない。
そう思ったのに、意外にもリーゼルはゆるゆると首を横に振った。
「お面がないです」
「はぁ?」
リーゼルの言うお面とは、あの可愛いような不気味なような、なんともいえないうさぎのお面のことだろう。自分の顔で子供を怖がらせない為のお面。アレを初めて見たときは、その奇抜さが可笑しくて涙が出るまで笑った記憶があるけれど、理由を聞けばそれは彼女なりの気遣いだった。
それでも、こんな時にまであのお面を必要とするなんて――。
「……しゃーねぇなぁ」
一度気になってしまったものは放っておけない性分だ。低い柵をひょいと跨いで公園に踏み入れば、カラフルな遊具がなんだか懐かしい気持ちにさせてくる。けれども、今は感傷にひたっている時間ではない。昔の思い出を引きずり出そうとする脳にストップをかけ、少年の方へ歩み寄る。
「おーっす、なにしてんの?」
少年はビクリと肩を揺らし、勢いよくこちらを向いた。突然かけられた声に驚いたのだろう。まん丸に見開かれた大きな瑠璃色の目に涙は見当たらなかった。

振り返るとリーゼルは未だに公園の外に立ち、こちらの様子を心配そうにうかがっていた。そんなに気になるのなら自分も来ればいいのにとは思うものの、手を引いてここまで連れてきてやるつもりは毛頭無い。
今、この少年の不安を取り除くのに適しているのは、明らかにリーゼルの方だろう。迷子を見つけた時のリーゼルは、不安も寂しさも全てを包み込むような雰囲気を纏い、優しい声音で、暖かい言葉をおくる。その姿を見ていると、同じスタースペクタクルのスタッフとして誇らしい気持ちになるのだ。じわじわとくすぐったいものが胸の奥から湧き上がり、俺も頑張らなければと高揚したのを覚えている。
それなのに、お面が無いからと動こうとしない彼女に、なんだか少し腹が立った。それではまるで、自分が傷付くから手を差し伸べないと言っているようなものではないか。
――リーゼルがやんねぇなら俺がやるさ。
足元に重たい荷物を下ろし、ブランコを囲む簡易の柵に腰をかけ、こちらの行動を見張っている少年に向き合う。少年は居心地が悪そうに鉄の鎖を握り直した。
「なに、お前ひとり?」
「……うん」
「待ち合わせ?」
「ううん、違う」
「ひとりで遊んだってつまんねーだろ」
「……」
「友達は?」
「……ぼく、仲間に入れてもらえないから」
少年は俯き、寂しげにそう言った。
「あー、なるほど……ソレ、家族にはちゃんと言ってるか?」
返事はない。おそらく、話すことはできていないのだろう。
大好きな家族にかっこ悪いところは見せたくない。上手くできないことに失望されたくない。迷惑をかけて嫌われたくない。友達ができない、その訳を知られたくない……。理由なんていくらでもある。泣かない強さはあっても、ひとりで笑い続けることは難しい。
「ちゃんと言わなきゃダメだって、迷惑かけるとか嫌われるとかじゃなくてさ、話すだけで案外寂しくなくなったりするし――」
少年の反応も待たずにつらつらと言葉を並べた。

「ティモシー君……っ!」
思いのほか近くで聞こえたリーゼルの声。一気に視界が鮮明に広がり、ようやく自分が何も見えていなかった事に気が付いた。
目の前の、小さな肩は震えている。唇を噛み締め、くしゃりと顔を歪ませた少年の目から、大粒の涙が溢れ落ちた。
「あっ……」
頭から水をかけられたかのように一気に体が冷えた。
もし、少しでも落ち着いていたのであれば、きっとこんな失敗はしなかったはずだ。けれどもそれはただの言い訳にしかならない。相手の気持ちを理解しようともせず、言葉を押し付け、堪えていた涙が落ちる程に少年を追い詰めてしまった。
謝らなければと思うのに、なんて声をかけたら泣き止んでくれるのかが分からない。思い浮かぶのは全て茶化すような言葉ばかりで、この悪知恵にばかり働く脳味噌が今は心底嫌になった。
言葉の出ない口を開けては閉じ、また開けては閉じを何度か繰り返していると、袋が地面に落ちる音を聞いた。すぐ隣を通り過ぎたのはリーゼル。そういえば近くで声を聞いたな、なんて思っていると、リーゼルは躊躇う事もなく少年の前にしゃがみ込み、ちいさなその手をとった。
「――大丈夫」
とても、優しい声だ。
「大丈夫ですよ」
「何も怖いことなんてありません」
「ほら、温かいでしょう?」
「大丈夫」
「あなたはひとりぼっちじゃありません」
「私がここにいます」
「ほら、大丈夫」
「私はあなたの味方ですよ」
指の先まで冷たくなっていた体がじんわりと温まるのを感じた。少年へ向けた言葉は、ただ聞いている自分まで穏やかな気持ちさせてくれる。それは、初めて彼女のその声を聞いた時と同じで、寂しさも不安も、悪いものは全て連れ去っていく。
リーゼルの言葉は、魔法だ。

少年は声を上げて泣いた。けれどもその涙は先ほどまでとはまるで違い、なんだかとても温かいもののように思えた。リーゼルは優しく、少年が泣き止むまで背を撫でていた。
その光景を前に、ふと、少年を通して幼い頃の自分を見ていた事に気が付いた。ひとり寂しげにブランコを揺らす少年を見かけた時から、彼と自分とを重ねていたのかもしれない。だからこそ、リーゼルが行動しない事に腹を立て、意地になって少年を無理矢理に元気付けようとしてしまったのだろう。
「あのさ」
声をかける。鮮やかな色をした目が二人分、こっちを向いた。ほんの少しの気まずさ。けれども、ちゃんと言わなければならない。
「……ごめん、悪かったよ」
いくつもの言い訳が頭の中に浮かぶけれど、ソレを言うのはかっこ悪い。リーゼルが何かフォローを入れてくれればいいのに、なんて思考もかっこ悪すぎる。視線を逸らしたくなるのをじっと耐え、真っ直ぐに少年を見る。それが誠意というものだろう。
少年も真っ直ぐに俺を見て、口を開いた。
「いいよ、ゆるしてあげる」
何だか照れ臭い。ガシガシと少年の頭を撫でると、少し頬を赤くしてリーゼルの後ろに隠れた。
「名前、なんつーの?」
「……ネイト」
「よし、ネイトな! 俺はティモシー、そっちの極悪人面はリーゼル!」
「おねーさんの悪口いうな!」
「いってぇ!」
足を蹴飛ばされた。
どうやらリーゼルに懐いたらしい。この野郎、最初に迷わず声をかけたのは俺の方だというのに、なんて恩知らずな奴なんだ。……失敗はしたけども。
「ふ、ふふっ」
控えめな笑い声が聞こえてきた。鉄仮面リーゼルが笑顔を見せているのだろうか。その優しい声音に引き寄せられるように顔を上げる。
「……いやいやいや」
そこにあったのは笑顔。確かに、笑顔だ。ただし、ホラー映画に出てきそうなやつ。
そのあまりにも恐ろしい表情に、リーゼルの味方であろうネイトでさえ顔を引きつらせている。子供は残酷なまでに正直だ。泣き出さないだけ、まだ良い方なのかもしれない。
「よし!」
ふと、そのリーゼルを見て良いことを思いついた。掛け声と共に荷物の方へ向かうと、二人が不思議そうにこちらを見ているのがわかる。きっと彼女たちは、今から俺が何をしようとしているのか、検討もついていないことだろう。
ごそごそと荷物の中からお目当てのものを探し当てると、二人からソレが見えないように隠しながら水道へと向かい、たっぷりと二度、水を注ぎ込んだ。ちらり、振り返れば何やら二人は話をし始めていたようで、好都合なことにリーゼルはこちらに背を向けている。
――今がチャンスだ。
「成敗ッ!」
思い切り駆け出し、目標との距離を詰める。その間、手をせわしなく前後に動かし、武器に空気を入れることを忘れてはいけない。声に反応して振り返るが、既に射程距離内である。
トリガーを引けば、勢いよく水が飛び出した。宙に線を引いて飛ぶその弾は、真っ直ぐにリーゼルの顔面へ――。
「よっしゃ、ヘッドショット!!」
「……」
「お、おねーさん……」
リーゼルのすっきりとした輪郭をなぞるように、ぽたりぽたりと雫が落ちていく。
「ティモシー君、その水鉄砲……ずっと持ち歩いていたんですか?」
「まあな、店でいいの見つけてさー! ほら、コレかっこいいだろ」
「荷物、妙に多いと思えば……」
カッと目が光った、ような気がした。背筋に悪寒が走る。これはきっと、奴の殺気だ。ゆっくりとこちらに近付いてくるリーゼルに隙はない。
はやく、逃げないと。
そう思うのに、息苦しいまでの殺気が俺の両足に絡みついて離れない。もう、リーゼルが手を伸ばせば触れられるであろう距離。ごくり、喉が鳴る。
「……っ!」
リーゼルの手が腕に触れた。予想外に優しい触り方が逆に怖い。一体何をされるのだろうかと身を固めると、ずるり、ズボンに挟み込み背中に隠し持っていたもう一方の水鉄砲が引き抜かれた。今、手に持っているものより、一回り大きい強力な水鉄砲。
「ティモシー君のことだから、まだあると思いました」
そう言って目を細めたリーゼルの口角が、錆び付いたオモチャのような不自然な動きで上がっていく。
――来るッ!
銃口がこちらに向いた瞬間、くるりと踵を返して走り出した。こちらを狙っている相手に背を向けるなど、無防備な背後を撃ち抜いてくださいと言わんばかりの愚行だ。そんなことは理解しているし、普段ならば絶対にこんなことはしないだろう。けれども、今回ばかりはこれで逃げ切れる自信があった。
「……っ!?」
「馬鹿め! デカい水鉄砲はしっかり空気込めないと上手く発射されねーんだよ!!」
「そうですか……ご丁寧に説明ありがとうございます」
「あっ」
俺は馬鹿か。

「あー、疲れた」
途中からネイトをも巻き込んだ壮絶な戦いは未だ決着が付かず、心地よい疲労感に包まれた体に休息を与える為、ネイトと二人でブランコに腰を下ろした。リーゼルもブランコを囲う柵に座ったのだから、一時休戦に異論はないはずだ。
「ネイト君、寒くはないですか?」
「うん、平気! 暑いくらいだよ」
興奮気味にそう言うネイトの頬は、言葉を裏付けるかのごとく赤く染まっている。けれどもその髪からは、ぽたり、ぽたりと水滴が滴り落ちていて、体の火照りが治れば寒さを感じてしまうかもしれない。リーゼルはその心配をしているのだろう。
そんな心配を知ってか知らずか、ネイトは何かを思い出して唐突に笑い出した。
水鉄砲を抱えて走っていたネイトが転んだと思えば、華麗に一回転し、怪我もなく、まるで映画のアクションシーンのようになったことだろうか。転んだ本人も何が起こったのか理解できず、呆気にとられていたのが笑いを誘った。それでないとしたら、ネイトの攻撃が俺の股間に命中し、まるでお漏らしをしたかのように濡れた事だろうか。幸いなことに既に全身のいたるところが濡れている為、その変色は他のものと混ざって分からなくなっている。もしくは、ネイトと一緒にベンチの影で息を潜めていたら、背後から突然リーゼルが現れ、その恐ろしさに二人して叫び声を上げながら全力で逃げた事だろうか。思い返せばいくらでも笑えるシーンが出てくるほど、楽しく充実した時間だったのだ。
ひとり、寂しげに俯いていた少年が声を上げて笑っている。
ネイトの子供らしい無邪気な笑顔に、リーゼルも心なしか口角が上がり、優しげな表情になったように見えた。
――なんだ、そんなカワイイ顔もできんじゃん。
喉までこみ上げてきた言葉を必死に飲み込んだ。俺はリーゼルをからかうのが好きなのであって、決して褒めたいわけでも喜ばせたいわけでもない。いや、そもそもそんな言葉でリーゼルが喜ぶかどうかさえ解らないではないか。単に俺の考え過ぎ、思い上がりで、その言葉をたとえ声に出したところでサラリと流される可能性だって十分にある。そんなことは理解しているのに、いくつもの可能性の中から照れて頬を染めるリーゼルを想像してしまう自分の脳は一体どうなっているのだろう。このポンコツめ。
ぐるぐると終わりのない思考を巡らせていると、リーゼルが自然に話を切り出した。皆、上がっていた息はもう落ち着いている。
「私達もそろそろ帰らなきゃいけませんし、ネイト君も体が冷える前にお家に帰りましょう」
それを聞いたネイトの小さな手が、ブランコの長い鎖をギュッと握りしめるのが分かった。足元へと下がる視線。ほんの少し、暗い顔をしている。
「もっと、いっしょに遊びたい」
喉の奥から絞り出されたかのような言葉。きっと、その言葉は幼い少年の心の叫びなのだろう。
「……お前さ、友達にもそうやって、一緒に遊びたいってちゃんと言ったか? 自分がどうしたいのか言葉にしなきゃ、伝わるもんも伝わんねーからな」
ネイトの顔を覗き込むようにしゃがみ込む。リーゼルの言葉とは違って、ちくりと突き刺すような言い方になってしまっているのかもしれない。
いつの間にか影が随分と長くなっていたようで、靴の横で揺れるリーゼルのものであろう影を見れば、彼女が不安げにこちらを見ているのがわかる。けれども、俺にだって伝えたい言葉があるのだ。
魔法の言葉を持たないからといって、何も言わなければ自分の気持ちは伝わらない。
「言った、よ……でも、ダメで」
「そっか」
頭の中で、誰かと自分が重なった。
「勇気出して、よく頑張ったな」
羽織っていた上着を一枚脱いで、ネイトの頭に被せる。そのまま髪の水気を取るかのように、わしゃわしゃと布越しに撫で回すけれど、その中から非難の声は上がらない。ほんの少し、布の隙間から覗いた耳は赤くなっていたような気もするが、それについて弄るのはやめることにしよう。
「それじゃあ、そんなかっこ悪い友達なんてほっといて、かっこいい俺達と友達になろうぜ!」
少年は、笑った。

ネイトと別れ、帰り道をゆっくりと歩く。まだ太陽は沈んではいないものの、濡れた体ではやはり少し肌寒い。
沈黙を破るかのように大きく飛び出したくしゃみに、眉をひそめてこちらを向くリーゼル。
「大丈夫ですか?」
「くっそー、ネイトに上着貸さなきゃ良かったかな」
ふっ、とリーゼルが笑った。笑うと言っても顔はなんとも言えない表情をしていて、片方だけ上げられた口角を見ると、なんだかバカにされているような気さえしてくる。
「上着、返しに来いよって言っていたのは、また会う為ですよね」
「……言うなって」
恥ずかしい。
素直な女だとは思うけれど、こういう時は黙って男を立てるのがいい女というものだ。多分。
ムズ痒くなる何かから気を逸らすかのように、ネイトと遊んでいて気が付いたことを口にする。
「そういえばお前さ、なんで自然に笑えるのかって言ってたじゃん。アレ、楽しいから自然に笑うんだって」
こてんと首を傾けるリーゼルに向かって、ニーッと歯を見せて笑いかける。一拍おいて、リーゼルは深く頷いた。
「……私には、ソレができないのですね」
「そんなことねーよ。だってお前、さっき遊んでるとき……その、普通に……楽しそうに笑ってたぜ」
可愛い、なんて表現は恥ずかしすぎて言えなかったけれど、特に問題はないだろう。
「そういえば以前、ルシャーノさんにも笑っていると言われたことがありました」
「へぇ、なんか言われた?」
「かわいい、と……」
あの野郎。
「まぁルシャーノだったら極悪人面してても可愛いとか言いそうだよな!」
リーゼルの表情に変化はないようにも思えるけれど、なんとなく、照れているようにも見えなくもない。感情の分かりづらい彼女の表情がもどかしいと感じるのは、なんだか初めての事のようにも思える。
もしかすると、ソレはただ自分が口に出せない言葉をいとも容易く言ってのけるルシャーノへの対抗心なのかもしれない。けれども、彼の言葉でリーゼルを喜ばせるのは酷く癪に障った。今日、俺が発見したと思ったあの表情も、既にルシャーノは知っていたというのもなんだか腹が立つ話だ。――正直、悔しい。
負け惜しみのようにつらつらと茶化すような言葉を並べて笑い飛ばす。
怒るなり呆れるなりすればいいのに、リーゼルはじっと、こちらを見たまま黙ってしまっている。彼女は今、何を考えているのだろうか。
もし、万が一、自分の中にあるくだらない虚栄心を見抜かれているのだとしたら、どうかそれを口には出さないで欲しいと願う。言葉にされたら、羞恥で死ぬかもしれない。
そんな、俺だけが感じているであろう妙な緊張感の中、リーゼルはゆっくりと口を開いた。
「……ティモシー君の前だと、余計に意識してしまって笑えないのかもしれません」
「は?」
「ティモシー君が、とても素敵に笑うから」



(あっ、クレータさんのお菓子を忘れていました!)
(おまっ……えっ?)



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