大嫌いなあいつに会ってしまった。



いつものように演奏会の帰りに、同じ事務所仲間であり友人でもあるてつこに誘われてきた飲み会。

いつもなら適当な世間話と仕事の反省をし、新たな目標に向かって乾杯をするのが定番なのだが・・・
今日はそうもいかない。

どうやら神様とやらは、相当わたしのことがお気に召されないようで、今日のような素晴らしい日の最後に私を絶望の谷底へと突き落とすのだ。






プロの音楽家や芸術家、スポーツ選手は聞いた事があるに違いない、あの"ゾーン"とやらを、私は今日の演奏会で久しぶりに味わった。

もう一人の自分が後ろにいて、いつもより穏やかな時間の流れのなかで、身体の奥から炎のようなもの沸き上がり自分の声帯を震わせて唇から溢れ出る、あの感覚。

観客一人一人の表情がいつもよりずっとよく見えて、私の声で観客の心を触れられそうな、そんな気さえするのだ。

それはもう気持ちよくて、この瞬間のために音楽をやっていきたいとさえ思ってしまう。

たぶんきっとセックスなんかよりももっと気持ちいいと思う。
たぶん、というのは私がソレに対して未経験であるからなのだが、あんな欲にまみれた生殖行為なんて経験せずとも人生に何の問題もない!・・・はずだ。



が、そんな気持ちよい最高のゾーンは、そんなに頻繁にはきてくれないのだ。実際、私は今日が4年ぶりだ。

ちなみに4年前は本番前のプレリハーサルだ。
どうでも良くはないが、どうでも良いタイミングである。



そう。今日は久しぶりに客前でゾーンに入れた素晴らしき日なのだ!
いや、日であった・・・。

暖簾を手繰り入った料亭で、奇抜な頭髪のカラフルな男達の後ろ姿を見るまでは、だ。








本当に最悪だ。

なんで、私がこんな目に遭わねばならんのだ。
あんな燃えるように赤い髪に、透けるような銀髪、藻のような深いアッシュブラックの縮れた髪、そして綺麗なブラウンのゆで卵ときたら、もうあいつらしかいないだろう。あんな奴らが世の中に二人ずつなんて冗談じゃない。




カラフルな集団はあの頃とは違い、皆一級品のスーツを着こなしていたが、私の目にはやはりあの頃の深い緑色の制服がちらつく。
忘れたい思い出とともに。






今更、てつこに帰るとは言えないので、大人しくなるべく目立たないようにてつこの後ろに隠れて靴を脱ぐ。

女将さんが出てきててつことやりとりをしている。

どうやら飲み会のメンバーも先ほど到着し私たち以外は全員そろっているそうだ。



それにしても、あのカラフル集団は揃って同窓会でもするのだろうか。



・・・いや、私の知ったことではないな。

そう思い直し、女将に案内されるがまま綺麗な廊下を歩く。

右手に綺麗な和風庭園があり、思わず深呼吸したくなった。





「あのね、今日の飲み会なんだけど、実はいつものメンバーだけじゃないんだ。
ほら、わたし大学でテニス部のマネージャーやってた言ったじゃない?
そのとき仲良くしてた仲間が、一目あんたのこと見たいって言うからさ・・・・連れてきちゃった!」



てつこがそう言い終わったタイミングでふすまが開くと、いつものメンバーにさっき見かけたカラフル集団が混じってそこに居た。








『Le pire・・・(最悪・・・)』




私が思わずそう呟いたのは全く聞こえなかったのか、ざわざわと盛り上がる集団。





「family name先輩っ!!それにてつこ先輩!お久しぶりっす!!」



「久しいなfamily name。元気だったか?お前の活躍ぶりは黒柳から聞いていたぞ。」



「ほぉ〜これはまた大人の女性に大変身したのぉ。やっぱりfamily nameは実際会った方がええ女じゃな」



「おい、それじゃあそれ以外はブスみてぇに聞こえるだろぃ」



「丸井君が正しいですね。謝りたまえ、仁王君。レディーに失礼です。」



「ええい!お前らうるさいわ!だまらんか!!」



「部長が一番うるさいっすよ〜」



「な!なんだと赤也っ!!貴様!そこになおれっ!」





まったく相も変わらず五月蝿い連中だ。
あの頃かちっとも変わってやしない。
憎たらしいくらいに。
そう思いながらてつことともに席に着く。



そういえば、憎たらしいと言えば、あいつだ。
最大の敵のあいつがいないじゃないか!

・・・これはしめたかもしれない。
だって女将さんは私たちで全員そろったって言ってたし。
良かった!神はまだ私を見捨ててはいなかったのだ!神よ!






「すまない、仕事が長引いて。皆そろって・・・・・!?・・・family name?・・・どうしてここに・・」






前言撤回。神などどこにもいない。信じるものは馬鹿を見る。




すっと襖を開けて入ってきた男の方へ目をやると、あの頃の少女のような儚い美青年はどこにもいなくて、綺麗に整った顔の男がそこにいた。

彼は悔しいくらい大人の男性へ変貌遂げていた。そう、幸村精市だ。

私が未だに未経験でやや男性不信気味なのも全てこの男のせいだ。
こいつは私の黒歴史の全てを凝縮したような男なのだ。



お互い時が止まったように見つめ合ってしまう。







「あれ?なに?幸村、first nameが来ること知らなかったの?」







「・・・あぁ。全くもって知らなかったよ・・・。やられたな。さて、こんな面白い企みを考えたのは一体だれなんだい?」




ネクタイを緩めながら柳の隣に腰をかけ、幸村は絶対零度の微笑みをかつての部員に向ける。




「さ、さぁ・・・な、なんのことっすかねー。ねっ!仁王先輩!」



「!・・・俺が仕組んだみたいに聞こえるからやめんしゃい!・・・のぉ柳生」



「!?!?に、仁王君!?それはどういうことですか!?わ、私は何も知りませんよっ!断じて!」



「まぁまぁ落ち着けよぃ。なんとかしてくれるぜ!・・・ジャッカルがっ!」



「って!俺かよっ!おい!ふざけんなブン太!おいおい、なんとかしてくれよ柳」



「ふっ・・・。皆目見当もつかんな。なぁ、弦一郎。」



「むっ。あぁ・・・無論だ。そういうことだ幸村。俺たちは何もしていないし何も知らん。」







「はぁ・・・まったく。お前達の気遣いにも困ったもんだよ。ふふっ」




元部員達のあからさまな態度に、張りつめた態度を解いた幸村に対し、絶対零度の微笑みをこぼしている人物がもう一人残っていた。



私である。






『・・・・・これは、どうゆうことかな。てつこ』





微笑みを保ちながらてつこを問いただす。





「ひっ!・・・ちょ、落ち着きなさいよ!だからさっき謝ったじゃない!」



『謝って済むことか!もう!信じらんない!・・・・・私帰る。』



「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!待って!待ってください!first name様ぁ!」




全く冗談じゃない。親友にはめられて、こんなめに合うとは。

あの赤や銀色だけでも嫌気がするのに、あいつまで一緒にだんてたまったもんじゃない!








「ねぇ!first nameってばっ!!もう、何でそんなに嫌がるのよ!何があったかは分からないけど、彼らに謝るチャンスぐらいあげても良いんじゃない?もう良い大人なんだしさ!!それに、彼らが根はいいやつ達だってことは私が証明するわ!」





知ってる。彼達がどれだけテニスを愛していたのかも、いわゆる悪人に分類される人達じゃないことも全て知っている。
彼達と青春時代を過ごしたのだ。当然だ。

そして、彼らが私と同じように何かのトラウマを背負っていたことも知っている。



でも、だからと言って、あんなことをした彼奴と顔を合わせてご飯を食べるなんて冗談じゃない。

確かにあの頃の私たちは若かったが、善悪の区別はついた年齢だった。
何をどうすれば人が傷つくのか知っていたはずだ。

若さ故なんて、ただの確信犯だ。






だが、柳や、真田君とジャッカル君は関係ないのは確かで、彼らに数年ぶりに会ったことは素直に嬉しかった。


てつこの言う通り、そんな彼らにまで無粋な態度をとるのは大人として如何なものか。
彼らだって仕事もあり忙しいなか私に会いにきてくれたのだと思うと、カッとなっていた頭が少しずつ冷えてくる。





『柳、久しぶり。真田君とジャッカル君も・・・。
三人とも昔から格好良かったけど、もっと立派になってビックリしたわ。そのスーツすごく似合ってる。

それに、元気そうで良かった。ほんと、久しぶりに会えてすごく嬉しいし、三人ともっと色々お話ししたいけど、私ったらなんだか気分が優れなくて・・・

悪いけど今日はこれで失礼するわ。せっかく来てくれたのにごめんなさい・・・。
お詫びにはならないと思うけど、次回の公演で3人の都合のいい日に合わせて席を用意するから是非会いに来て。その後お酒でも飲みましょう。』



そう言って、ここに来て初めての本当の笑みを零す。
これが私に出来る最大の譲歩で、精一杯の大人の対応だった。






「・・・っふ。相変わらずだなfamily name。今日のことは気にするな。俺たちの方こそ突然すまなかった。俺の連絡先を黒柳から貰ってくれ。また会おう。」


「(俺たち以外は無視かよ・・・こりゃまだまだまだ、ほどけそうにないな)あぁ!俺たちのことは気にすんな!これからも頑張れよ!」


「うむ。久しく会えたのに残念だが、仕方ないだろう。公演、楽しみにしているぞ。」


「えーーっ!もう・・・3人ともfirst nameに甘くない?せっかく連れてきたのにー」


『・・・・・何?てつこ』


「い、いえ。なんでもありません」




てつこのお許しも出たことだし帰ることにし、颯爽と準備を始める。





「ほぉー。参謀達以外は綺麗に無視とは、お前さん相当根に持っとるのぉー。」



「やめたまえ、仁王君!(これ以上空気を刺激しないでくれたまえ!)」



「お、おい!ほんとに帰んのかよぃ!」



「ちょ、待ってくださいよ!family name先輩!!ひどいっすよー」










「あれから十年近く経ったというのに、俺らに謝る隙も与えんとは。


お前さん・・・・・さては未だに処女か?」






そうニヒルに笑いながら、挑発するように私の背中に言い放つ仁王雅治。

こいつのこの手に騙され、売られた下らない喧嘩を何度買ってしまったことか。

更にたちが悪いことに、こいつは喧嘩がしたい訳でも相手を傷つけたい訳でもない。
ただ相手の反応を楽しみたいだけなのだ。

そして今のこいつの最大の目的は、怒りで私の気を引き、私に言い返させることだ。
そこできっと彼は、「やっとこっち向いたの。」とでも言うのだろう。馬鹿馬鹿しい。
そんな安っぽい手には二度と乗るものか。第一、私に一ミリの特もない。






『・・・・・・・』







「黙るってことは、やっぱりそうなんじゃな。ははっ!相変わらずお姫様は純粋じゃのぉー、何も変わっとらん」



「ちょっと仁王っ!それはいくらなんでもセクハラだよっ!!first nameは私の大事な友達なんだからやめて!」



『・・・いいのよ、てつこ。
それじゃ、またね。』





と、大人しく帰ろうとしたが、やはり私はどうも熱くなりやすい性分らしい。

外に出て襖に手にかけ閉める際に言い放ってしまった。






『Soyez fagged enfantin(くたばれ、下衆野郎)』






満面の笑顔で挑発に乗ってしまったのだ。

ピシャリと襖を閉めて、最後の最後に彼の思惑通り挑発に乗ってしまったことを反省する。




いや、今日は喧嘩を買わなかっただけでも成長した、ということにしておこう。



襖を閉める際に、寂しそうに彼奴の瞳が揺れたのが見えた気がしたが、気になどしない。

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