こんなに早く起きるのは久しぶりで、欠伸をこぼしながら顔を洗った。 家を出るとまだ薄暗いけど、朝の匂いがする。水島さんは今何してるのかな。流石にまだ寝てるか。そんな事を思いながら、俺は自転車のペダルを踏んだ。
栄口君が来ないってわかっててもこんな時間に来てしまうのはもう習慣なんだと思う。 今日は天気がいい。朝練日和だなぁなんて思って、しばらくしてから後悔した。
教室に入ると、やっぱり誰もいなくて少しホッとした。 昨日のことがあって、少し会いづらかった。栄口君はそう思ってないかもしれないけど。 今はおはようとも言える自信がないから。
いつもならドアの前で深呼吸してる時間。 今日こそは何か話そうと思うのに、いつも話せなくて…。
「栄口」
「え?」
「次バッティング準備。大丈夫か?」
巣山だった。事情を知ってるからこそでた言葉に、俺は首を降った。
「10分くらいなら誤魔化してやれっぞ」
「…あ、ありがとうっ!」
「アイスで許してやる」
それで行けるなら安いものだと、全力でグラウンドをでた。
窓を開けて深呼吸。初夏の匂い。いつもの匂い。いつもならそろそろ栄口君が来る。…会わなくてホッとしていたはずなのに、会いたくてたまらない自分がいる。昨日までは幸せだったのに。会いたい、会いたい。目頭が熱くなって、涙が頬を伝った。濡れた頬を風が撫でる。それでも涙は止まらない。こんなちっぽけな事で涙が出るなんてと自分でも思うけれど、それほどこの朝の時間が大切だったのだ。
「う…」
嗚咽までも始まろうとした瞬間 凄い音を立ててドアが開かれた。
「さ、かえぐち君…?」
一瞬、驚きのあまり、涙が止まった。
「水島さん!?どうしたのっ?」
慌てたように栄口君が駆け寄る。
「なっ何でもないの!ホントにっ!」
恥ずかしさでまた涙が溢れ出した。 見られまいと、俯き顔を隠す。みっともない。止まれ止まれと思ってるのに、止まらない。
ふいに軽く頭に手が乗せられた。困惑しながらも少し顔を上げると、栄口君は何も言わずに微笑んだ。手の温かさは私を安心させてくれた。その手に少しドキドキして、このまま時間が止まればいいと思った。私はもう何で泣いてるのかすら分からなくなっていた。
何でもないと言いながら震えてる彼女の肩を今すぐ抱き締めたくなった。でも今はそんなことする権利なんか無い。泣いている水島さんを動揺させないように、聞こえないくらい浅く深呼吸。落ち着け、今は俺しかいないだろ。俯く彼女の頭に出来るだけ優しく手を乗せる。まるで壊れ物に触るように。すると彼女の頭が上がった。ほら何か言わないと。「落ち着くまでいるよ」って。でも今は、初めて触れた水島さんの髪は思っていたより柔らかで、思わず顔が熱くなる。俺は笑みを作るだけで精一杯だった。
この場に留まる口実
走りながら考えたそれは必要無くなったようだ。不謹慎だけど、少しホッとしてしまった。時折入るシャックリのような嗚咽も愛しいと思ってしまう。泣きやんでほしい。でも何時までも泣きやまないで。 何時までもこうしていたいから。時計を見ると既に約束の十分は過ぎていた。あぁ、花井や阿部にどやされる。そう思いながら水島さんの頭を撫でていた。
「栄口君…?」
「あ、もう大丈夫?」
「うん、ありがとうね」
「や、全然平気だから!」
「「……」」
「あのっ頭、もういいよ?」
「あ、ごめん!嫌だった?」
「いや、嫌とかじゃないんだけどっ」
((……あれ…?))
「「…」」
「あっ!俺もう行くね!」
「あ、うん…」
(応援行くって言えなかった…)
(応援来てって言えなかった…)
このまま時間が止まればいいのに
08/4/16
12/9/26 加筆修正