「よし、外出るぞ」


黒崎一護はいつだって唐突だ。
他人の部屋で大の字になって寝転んでいた自分より軽く一回りは違うその身体(邪魔な事この上ない)をぐんと起き上がらせ、机をバンと一鳴らし。五月蠅い。


「何だい急に」
「これ以上この部屋に居ると程良い陽気にあてられて寝そうになる」
「寝れば良いじゃないか。タオルケット出す?」
「いや、いい。」


ふるふると頭を左右に振りながらも、その表情はどこかぼんやりとしていて。おまけに大きな欠伸を一つ。


「…眠そうだけど?」
「だから寝ないって。…まあ俺も石田の膝枕で昼寝したいのは山々なんだが」
「させないよ」
「寝ると時間過ぎるの早えからなぁ」


無視か。殴りたくなるような表情をしているこの男は、ぼそぼそと言葉を紡ぎながらちらりと部屋の隅にある壁掛け時計を見やった。つられて視線を寄越せば、短針は二と三の間を示しつつ微かに震えている。君の門限は夜七時だろうに、何をそんなに焦っているんだ。自分が見ても完全に他人を小馬鹿にしているような表情をしながら手近にあったグラスに麦茶を注ぐ。口内からはぁ、と溜息が漏れた。空かさず黒崎が額に小突いてくる。


「重いんだよ溜息が」
「だって、…ねぇ?」
「性格悪っそうな顔…、」
「君に言われたくないね。お茶は?」


グラスを手渡そうとすると、また首を横にぶんぶん振られた。ちゃんと喋れ。


「…なら僕が飲むけど、」


渋々グラスに口を付けながらはたと思い出す。以前黒崎の家にお邪魔した際に頂いた麦茶は、普段自分の煎れているそれよりも少しだけ甘く、味が濃かった。茶葉のメーカーが違うのだろう。こういうのも「家庭の味」と言うのだろうか。何にせよ、口に合わないのならそう言ってくれればいいのに。我が家(と言っても一人住まいである)が麦茶を解禁してもう軽く一月は経つ。その間何の文句も無くこれを飲んでいたのだと思うと、少しだけ申し訳なくなった。


「………。」
「石田、」
「?」


振り向き様、麦茶を口内に含んだまま薄く開いた唇を何の躊躇も無く塞がれた。いきなり何だと言いたかったが、口を開けようとすると生温かい舌が侵入してきて生憎声を出すことが出来ない。吐かれるのは鼻に掛かるような息遣いばかりで、自分の耳を思い切り塞ぎたくなる衝動に駆られてしまう。薄く瞼を開けば嬉しそうに角度を変える黒崎と視線が絡まった。ああ糞、目が離せない。非常に癪である。




この端から見ると実にシュールな接吻が始まって1分は経っただろうか。ようやく唇を離した黒崎は満足そうに微笑んでいる。


「……変態。」


精一杯の侮蔑を含ませた筈なのに、その憎たらしい笑顔が崩れることは無さそうだ。


「何だよ、男は皆変態なんだぜ?オメーだってそうだろ」
「勝ち誇ったような顔をするな、あと君なんかと同類に括らないでくれ」


はいはい、なんてふざけた返事をしながら黒崎は僕のグラスに手を伸ばし、中身を一気に飲み干した。それを見てあ、と呆けた声を上げてしまったのを目敏い黒崎が見逃す筈も無く。


「んだよ」
「いや、別に」
「お前の別にはいつも何かあるだろうが」


そんなにそのフレーズを多用したつもりはないのだが。本日二度目の溜息を漏らした。


「…うちの麦茶、嫌いなんじゃないのか?」
「何で」
「なんっ…、だって君さっきいらないって言ったじゃないか!味だって遊子ちゃんの煎れたものとは違うし、口に合わないんじゃないかと思って」
「へぇ」


さも初耳だとでも言うように相槌を打ちながらも彼の視線は麦茶のグラスに釘付けで。何をするのかと思って目で追っていると、黒崎はおもむろにポットを手に取りコポコポと涼しげな音を立てさせながらグラスに麦茶を注いだ。さり気なく此方へ寄せてくることから、おそらく僕への物なんだろうと合点がいく。


「俺は、自分家の麦茶も石田んちの麦茶も好きなんだけどな」


家のはちょっとだけ濃いな、美味いから遊子には言わねえけど。黒崎が苦笑した。


「…いらないって言ったのは?」
「喉渇いてなかっただけ」


ふうん、生返事をしてグラスを受け取る。此処は自分の部屋の筈なのに、何だか居たたまれない。ひたすら麦茶をちびちびと飲んでいると、髪を乱暴に掻き回された。


「何、気にしてたのかよ?」
「さっきちょっとね。けどもういい」
「ふぅん」
「こら、髪がボサボサになるから止めろ」


仕返しとばかりに黒崎の髪をぐしゃぐしゃと掻き乱せば、奴は思いの外嬉しそうな顔をして抱きついてきた。何でそうなる。けどまあ、減るもんじゃあないし良いか。半ば諦めつつ僕は窓の外の景色を見た。入道雲(以前積乱雲と表すると黒崎が夢が粉々に壊されたような表情をしていた為、それ以来呼んでいない)が風に吹かれて南に流れてゆく。その風かどうかは定かでないが、窓から部屋へ冷気が少しだけ舞い込んできて気持ちが良い。そろそろ風鈴を着けるべきだろうか。…あ、風鈴。良いかも知れない。


「……うん。」
「あ?」


一人頷いた僕を、黒崎がぽかんとして見つめている。何ともまぁ実に間抜け面。


「黒崎、買い物行こうか」
「え、晩メシの食材なら昨日纏めて買っただろ」
「ああ、醤油とサラダ油と味醂その他諸々を全部持ってくれた時は君がいてくれて心底頼りになるなと珍しく感謝したよ」
「いちいち一言多いんだよ…、可愛くねぇの」
「可愛くなくて結構。ほら立って、」
「何買うんだ?」
「風鈴」


風鈴?と再び馬鹿口を開ける黒崎を無視し、彼の腕を掴んでぐいと引っ張り立たせる。時計に目をやると、針はそろそろ三を示そうとしていた。


「買い物ついでに散歩もしようか」
「どした?今日はえらく寛大だな石田」
「そういう気分なんだよ。…僕がそう思うのは、変かな」


苦笑すると、不意に抱き締められた。少し汗ばんだ彼の髪が首元に当たって擽ったい。どうやら離す気は無いらしく、腕が腰の辺りに巻き付いて離れない。おい、変な所触るな。


「…黒崎?」
「俺はお前と一緒に居られるんなら何処でも良いんだけど」
「恥ずかしいことを真顔で言うな、この誑しめ」
「その失礼な口をもう一回塞いでやろうか」
「遠慮しておくよ」


何か言い足そうにしている黒崎を、体勢はそのままで引きずりつつ玄関へ向かう。結構重い、んだが黒崎お前まさか全体重を此方に傾けているんじゃないだろうな。呻かないように努めつつ無言で足を進める。…これ、何にも知らない人が見るとどういう状況なんだろう、例えば浅野君や小島君とか。まあからかわれるのは必至だな。
いい加減邪魔なので黒崎の腕を腰から剥ぎ取ると、思いの外するりとその拘束は解かれた。


「流石にこの体勢で外出たらまずいからな」
「よくわかってるじゃないか」
「もし水色にでも見られたらと思うと気が気じゃねえな」
「彼、きっとからかってくるんだろうね」


先程思っていたことをそのまま口にすると、黒崎が赤くなったり青くなったりする。色々想像しているのだろう、相変わらず見ていて飽きない。自分でも珍しく口元に笑みを浮かべ、ドアノブに手を掛ける。


「…それだけは勘弁だな」
「うん、僕もそう思うよ」


ガチャリ、聞き慣れた無機質な音が狭い我が家に響き渡った。














―――外になんか出るんじゃなかった。
家を出た瞬間思ったことがそれ。次に日傘を持ってくれば良かったともう一つ後悔。あ、日傘は実家の傘置きに立て掛けてあるんだった。新しいの買うかな、どうしよう。いっその事雨傘でも良いかなと思うが、快晴なのに灰色の雨傘を差すなんて不自然極まりない。紫外線吸引機にでもなりそうな勢いである。あと個人的には白が良い。


「日傘欲しいな…、」


手で目の上を覆いつつぽつりと呟くと、それを聞いていたらしい黒崎が無言で空を仰いだ。どうせまた変な事でも考えているのだろう。何というか、分かり易い。彼の口角がにい、と上がった。


「オメーが日傘差してても違和感なんかこれっぽっちも無えんだろうな、夏のお嬢さんみたいな感じで。全身白いし」
「君の『お嬢さん』基準は白い事なのか?…まあ今日日男性だって日傘位差すよ、日差しに困るのは女性だけとは限らないさ」
「お?今日は怒らねえのな」
「暑いからね、興奮したくない」


吐き捨てるように舌を出すと、さっきは興奮しっ放しだった癖に。なんてけたけた笑う彼の鳩尾に肘鉄を一発。外で何を言っているんだお前は。


「親父みたいな事言ってないで、ほら。風鈴買いに行くんだろ」
「いやそれは良いんだけどよ…、何で急に風鈴?」


うう、と呻き声を上げて鳩尾をさすりながら黒崎が疑問を投げ掛けてくる。塀に右手を付いているので端から見ると二日酔いのヤンキーである。差し詰め自分はそれに付き添う優等生といったところか。まあ、別に良いが。


「今日、風が強いだろう?だから良い音が鳴るんじゃないかと思ってね」
「あー、成程な。何処で買うんだ?」


自分は生憎硝子細工を売っている店には心当たりが無い、と黒崎が首を捻る。それにつられて僕も少しだけ思考が止まった。確かに、外に出たは良いが何処に行くかをまだ決めていなかった。自分だって硝子細工店の場所が分かるわけではない。


「…百円均一ショップで良いんじゃない?」
「お、おおうマジか…」
「何だよその顔。一夏しか使わないんだ、音が綺麗なら何処で買っても良いじゃないか。そりゃあ高い物の方が質が良いだろうし美しいなとは思うけど」
「まあ、そうだよな」


顎に手を添えながら黒崎がうんうん、と頷く。暫くその動作を見つめていると、彼はジーンズのポケットから携帯を取り出した。そしてある機能を起動させるとそれを此方に見せるように傾けてくる。見やすいように首を伸ばすとそこに表示されていた物は、ナビだった。…最近の携帯って便利なんだな。僕が携帯のディスプレイを見て感心している横で、黒崎はガリガリと頭を掻いている。思案する際によく行うその癖を、彼は気付いているのだろうか。ふと気になった。


「…ナビ点けたは良いけどわっかんねえな、どうする石田」
「どう、って言われても僕に心当たりなんて無いさ。そもそも僕は携帯を持ってないからその機能の事だってよく分からないし」
「オメーが携帯使いこなす日が来た時にゃ皆ビックリすんだろうなぁ。ま、石田頭良いからすぐ覚えちまうか」
「君は本当に失礼だなっ!」
「騒ぐなって。んー、硝子店で検索してみっか」
「は、」


いきなり本題に戻ったので頭が着いていかない。そんな僕を面白そうに見つめながら、小気味良い電子音を立てさせ黒崎が携帯のボタンを押し始める。君、タッチタイピングは出来ない癖に。…じゃなくて、ちょっと待て。


「百円で良いってさっき言った筈だけど?」


何故高価な物を買う必要があるのか。今月は家計がキツいというわけではないが、かといって余裕があるわけでもない。制止する為に腕を掴むと、黒崎は一人満足そうに良いんだよと言って此方の要望を全く聞こうとしない。どうして君が嬉しそうなんだ。


「お、南だってよ。そこの角左な」
「君はどうしてそう他人の話を聞かないかな…」


本日何度目かになる溜息を空気中に吐き出すと、そんなんだと幸せが逃げて行っちまうぞなんて真顔で忠告された。誰の所為だと思ってる。嬉々として歩き出す彼に渋々ついて行く(腕はがっちりホールドされてしまったので逃げ出すことは不可能だ)と、あまり見慣れない風景が視界の端々に埋め尽くされた。一人暮らしを始めてもう数ヶ月経つが、この辺りには足を運んだことが無かったと思い出す。元来根っからのインドア派である自分は、用が無ければ外へは出ない。その他自ら足を運ぶと言えば、趣味である裁縫の材料を買う為ヒマワリソーイングへ行くか、書籍を探す為に市街地の書店へ出掛ける位なのである。
たまには散歩に出掛けるのも良いかもしれない、珍しくそんな事を思いながら黒崎の方を見ると、彼も自分と同じような表情をしていて驚いた。いや自分の顔なんて鏡がある訳で無いから分かる筈が無いのだけれど、何というか、彼も[知らない]のだ。まるで何もかも初めて見つけたような、子供がよく見せるあの瞳。あれに似ていた。


「君、地元じゃなかったっけ」


訝しむような目つきで問えば、黒崎は少し困ったような顔をして苦笑した。


「俺んちとは方向違うしな。市街地は学校の方にあるしこっちに友達もいねえから来る機会なんか無かったんだよ」
「へえ、じゃああんまり知らないんだ」
「まぁな。だから今、新しい物見つけるのがすげえ楽しい。」
「ふふ、…君、子供みたいだ」
「笑うなよ…あ、いや。やっぱ笑え」


慌てて言い直した黒崎の頬が少し赤くて、僕はとうとう声を上げて笑った。偶にはこんな日も良いかもしれない。彼の着ているシャツの端を軽く掴むと、気付いた彼は少しだけ目を丸くしてから微笑み、怖ず怖ず指を絡ませてくる。あつい。


「…君の手、あついよ」
「オメーだって珍しく体温高ぇぞ」
「君の体温に侵されてるのかもね」
「えっ」
「あ、君の思い浮かべてる方とは違う漢字だから。」
「人を変態みたいに言うな」
「何度も言うようで悪いけど君は真性の変態だよ」
「そんな真顔で…。」


このまま店に着かなければ良いのに、なんて柄にも無い事を考えるのはこの暑さの所為だろうか。
幾ら考えても分からなくて、黒崎に絡められた指を少しだけきつく握り返した。





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