――真っ白だった。見渡す限り何もかも。幾ら自分が白を好むからと言っても、この量は無いだろう。下を向くと其処には影すら存在しておらず、自分の服も景色に同化していた。遙か彼方で微かに見える地平線の黒だけが厭に目立って気味が悪い。兎に角何処かを目指して歩かなければ自分もその中でどろどろに溶けてしまいそうな、そんな空間だった。宛てが無いのは嫌だったから、件の黒い地平線の方角に向けて、重い足を踏み出した。初め気怠げだった其れは、一歩また一歩と前進する度に存外軽い物へと変化してゆく。地面は只ひたすらに冷たくて、例えるならば大理石の様なものだろうか。足下に目をやるとそれもその筈、自分は靴を履いていなかった。ただ、存外其れが嫌には感じないのだ。寧ろその温度が心地好く、いつまでも歩いていたいような、そんな錯覚まで覚えそうで。


ぺたり、ぺたりと鳴る足裏の音を響かせながら歩を進めていると、目の前にぽつんと一つだけ、岩のような物が置かれていた。自然に造られたにしてはあまりに不自然で、誰かが置いたにしても違和感があるそれに、ゆっくりと足を近付ける。やはり石版のような地面の上にこんな物があるなんておかしな話だと思ったが、そんな事を考えても無駄な気がした。衣服の裾をたくし上げ、その前にしゃがみ込む。そして、壊れ物を扱うようにそっと触れた。


(―――あ、)


酷く、冷たい。同じ冷たさにしても、この地面の感触とは異なるものだ。海底に沈澱している棺桶のようにずしりと重い、もう二度と上に上がってくる事が出来ないような、しかしどこか懐かしい、そんな感覚。本来無彩色である白にしては暖か味のあるそれを指先でガリ、と引掻いてみる。側面の強度はそれ程無いようで、削った分だけ欠片がぱらぱらと足元に落下した。足の上に落ちた白い欠片を拾い、親指と人差し指の間に挟み込んで磨り潰す。辛うじて小さな欠片として形状を保っていたそれはとうとう真白な粉と化し、風など吹いてもいないこの空間で、ふわりと飛ばされ消えて行った。脆いものだな、なんて口の中だけで呟きつつもぺたりと撫でていると、裏に何か彫られているのに気が付いた。粗削りである窪みに指の腹を這わせる。どうやら文字のようだ。自分のいる位置からではそれが如何なる物なのかを識別する事が出来ない為、後手に移動する。
刻まれた文字を目にした瞬間、何故自分がこれを冷たく、重く感じたのか。そして妙に懐かしく思った理由を、全てを、――理解した。
 
 
嗚呼、これは
 
 
 
 
 
 
 

「……で?」
「其処で終わりだよ、その後僕は何時も通りちゃんと目覚ましより10分早起きして弁当を作り何時も通り遅刻せず学校に来たと言う訳さ」
「何て書いてあったんだよ?」
「忘れた。朝起きた時には覚えてたんだけどね」
 
ほら、もう続きなんて無いよ。苦笑しながら雨竜が眼鏡を中指で押し上げる。カチャリという無機質な音は、自分達以外は誰も居ない教室の中でやけに響いた気がした。
最後まで黙って聞いていた一護が右手に持ったペンをくるりと回しながら溜息を吐く。
 
「…何だそりゃ、」
 
何かすげぇオチがあるのだと期待していたと嘆く一護に、雨竜が微かに笑う。
 
「けど、夢なんてそんなものだろう?」
「まあ、な。でも上手く丸め込まれた気がすんだけど」
 
意味なんて無い。そう言う雨竜の腰に一護が後ろから両手を回す。学校でこのような事をするなと何度言わせれば気が済むのだろうか、この男は。
 
「黒崎、邪魔」
「誰も見てねぇよ」
 
愚問だ。こんな場面をクラスメイトにでも見られた日には一巻の終わりである。元々仲の良い友人同士ならばじゃれ合っていると一言で説明がつくが、自分達ではそうはいかない。取っ組み合いの喧嘩をしていた、で辛うじて言い訳になる程度だろう。
 
「見てる見てないの問題じゃない。動けないだろうが」
 
今のままでは腰をホールドされている為非常に移動し辛い。そして絶対口に出したくはないが、こんなに距離が近いと少し緊張してしまうのだ。そんな自分を全て分かった上でこのような行為をするのだから質が悪いと雨竜は思った。
 
「んだよ、動かなくて良いじゃねえか」
「学校に泊まれって言うのか?」
「そこまで言ってねえよ、んな残念そうな顔すんなって」
「してないよ馬鹿。ああもう、ペンを置いたって事は日誌が書けたんだろ」
 
いきなり飛び出した日誌という言葉に、一護が何を藪から棒に、と目を丸くする。
 
「そりゃ書けた、けど」
「なら早く出してこい。越智先生が首を長くして待ってるぞ」
「!」
 
瞬間、一護の血色の良い顔がみるみると蒼白に染まってゆく。忘れていたのだろう。
本来彼は今日の日直担当では無い筈なのだが、彼の友人である浅野啓吾に一護の時は俺が代わりにやったんだから今度はお前の番だ!と半ば強制的に押し付けられてしまったそうで。万一それが嘘であった場合、一護は直ぐにでも彼を叩きのめしに行くのだろうが残念ながら紛う事無き真実であった為大人しく仕事をしていたらしい。
  
「んな呆れたような顔すんな!」
「無茶言うよ」
「元はと言えばオメーが変な話なんかすっから悪いんだろうが」
「は?聞き入ってたのは何処の何奴だ」
「いや、それは…俺だけど」
 
そこは素直なんだな。珍しい事もあるものだと雨竜が心中で漏らす。
雨竜が此処に居る理由は、一護を待つ為でも何でも無く、教室に忘れ物を取りに来たという只の偶然によるものだ。当初雨竜は机の中に置きっ放しにしてあった課題を回収してすぐに帰宅するつもりだったのだが、真面目に仕事している人間を置いて行くなんて外道の所業だと一護に罵られ、帰るに帰れなくなった。そして詰まらなそうに黙々と所感を書いている一護に、退屈しのぎ位にはなるかもしれないと思い自らの夢の話をした。そして、今に至る。
 
「ダッシュで行ってくるからな!帰んなよ!」
「まあ、今日長居させる要因を作ったのは僕だからね。しょうがないから待っててあげるよ」
  
だからさっさと行けと言いたげに一護の後頭部を軽く叩き、日誌を持たせて教室から追い出した。素早く鍵を掛けて一護の再侵入を防ぐ。暫くの間開けろだの何だの叫んでいたが、提出してくるまで開けないと怒鳴るとようやっと理解したのか慌ただしい足音をばたばたと鳴らしながら職員室の方へと駆けて行った。
それを確認し、背を扉に押し付けるようにしてずるりと座り込む。木材で出来たそれが、嫌な音を立てて鳴いた。あまり良い心地はしない。凭れていた身体を、極力音を立てないように床に這わせてごろりと教室の床に転がった。掃除をしたばかりだし、それ程埃も落ちてはいないだろう。汚れている場所は好まないが、別段潔癖症という訳でも無い。タイルから伝わってくる冷たさに身を任せながら、先程一護が言っていたオチは無いのか、という言葉を思い出す。
実を言うと、ある事にはあったのだ。だだ、それを口にしてしまえば彼は不快感を露わにするだろうからと黙っていた。
あの時、石に刻まれていたのは自分の良く知る人間の名前。忘れたなんて嘘だ。寧ろ一文字一文字が今も頭に焼きついて離れない。何だってあのような夢を見たのかは分からないが、唯一つ理解出来るのは、あれが自分にとって現実に起こって欲しくない出来事だという事で。実際、目が覚めた時は酷かった。冷や汗が体中から噴き出し、目尻には水が溜まり、頬には真新しい涙の痕。たかが夢でこの有様である。情けない事この上無い。
あの状況で君の墓を見つける夢をみたよ、なんて言えば彼はどんな顔をしたのだろう。
怒りを見せただろうか、それとも、少しの沈黙の後馬鹿を言うなと笑い飛ばしただろうか。どうせ誰もいない所に隠れて一人で小難しく悩むのだ。そんな、悲哀や苦悩の含んだ瞳を見たい訳では無い。
 
「……本当、馬鹿だ」
 
 
 

床の人工的に造られた木目に沿って指を這わせる。
するりと触れたそれは、夢で感じたあの冷たさにどこか似ていた。
 
 
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