視界が揺れた、そう理解した瞬間べしゃりと情けない効果音と共に俺は雪に埋まっていた。冷たい、当たり前だが冷たい。幸い防寒対策は完璧だった為外気に晒されているのは顔面の部分だけだが、これは雪である。頬に付着した雪が溶けて顎を薄く伝った。それを袖で拭い、後ろをぐるんと振り返った。楽しそうにくすくす笑う奴の黒髪が風でふわりと揺れる。自分は此奴に押されて雪原にダイブしたのだ。自らの悪行など知らぬと言いたげなその微笑みから視線を逸らすように下を見ると、その手袋には雪が少しだけへばりついている。知らぬ間に触れていたのだろうか。
そう思った瞬間、雪玉が顔面に命中した。
 
「ぐぉっ」
 
情けない呻き声を上げ、俺は再度雪の海に沈んだ。今日はよく雪の中で寝る日だなと冷静になりながら自らも雪玉を作り、そして投げた。っわぷ、なんて小動物よろしく可愛らしい声を上げて石田も倒れた(音がした)。命中したらしい。これを逃す手は無いと、顔に付いた雪の塊など気にせず素早く立ち上がって今にも起き上がろうとしている石田の両腕を拘束して馬乗りになった。一瞬目が見開かれたような気がしたが、直ぐに呆れたような表情に変わる。この瞬間が実は結構好きなのだと言えば、この男はどんな表情を見せるだろうか。
 
「雪、顔に付いてる」
「敢えて付けてんだよ。誰の所為だと思ってんだ」
 
そう毒を吐けば、あっさり僕だねと認めた。いやに素直である。さすがに長時間雪に押し付けておくのは冷たいだろうと思い腕を放すと、右手で俺の顔に付いた雪をばさばさと払い落とした。
 
「ほら、これで冷たくない」
「どっちにしろ寒ぃよ」
「意外だな。君、雪嫌いなのか」
 
不機嫌そうにしているからそう思ったのだろう、石田が瞳を丸くした。
 
「いや、嫌いじゃねえけど。俺はお前が雪嫌いなんだと思ってた」
 
低血圧で寒がりな上冷え性である石田は、冬とは相性が非常に悪い。夏も夏で酷いがその非ではない。12月にもなれば、朝、布団から顔すら出さなくなる。なのでこの季節になると此奴が遅刻しないよう、部屋まで迎えに行く。以前貰った合い鍵を使用して施錠を突破すると目前には膨らんだ布団と毛布。それを全力で引っ剥がすのが日課になっている。寒い寒いと体を小刻みに震わせる石田を強引に洗面所の中に押し込むまでが俺の仕事だ。そして数分後、洗面所から帰ってくるとようやっとと言ったところか、はっきり目が覚めているのが毎回不思議でならない。一体中で何が行われているのか。
ともあれ、そんな石田が雪を好きだなんて考えられないと俺は思っていたのだが。確かに白いけども。
 
「雪は好きだよ。何と言っても白いしね」
「マジでそれだけかよ…。」
「黒崎、今僕をなんて単純な奴なんだと思っただろ」
「思ったよ」
「失礼な奴だな。それだけじゃないに決まってるだろ」
「?」
「風流じゃないか。降ってくる様は綺麗だし」
 
訊けば存外ありふれた理由だったが、最後に素手では触りたくないと苦笑いした。何時も見るだけだから実際雪に触れている間、こんなに嬉しそうにしているのだろうか。触ったことが無いのかと訊こうと石田に目をやると、手袋を外そうとしていたので慌てて止める。
 
「何をするんだ黒崎」
「こっちの台詞だボケ。これ以上手ェ冷たくなってどうすんだよ」
「だって、どっちにしろ濡れてるから冷えるだろう?それなら取ってしまった方が良いし」
 
理屈は分かる。が。
 
「…だったらこうしてろ、ほら」
 
そう言いながら自らの手袋を外し、石田の手に着けた。少し余った指先や、空いた手首の部分を見て石田が何とも言えない複雑そうな表情をチラつかせたが、此方としては小さな優越を感じる事が出来た。それが表情に出てしまったのか、両手で頬をぎゅいぎゅいと挟まれる。
 
「その顔、とても腹立たしいね」
「さ、左様で…」
「うん」
 
本当に、小さな声が鼓膜を揺らしたその時、唇に何か柔らかいものが触れた。それが何なのかを俺の脳が理解するよりも先に石田の顔と手は離れていて。
 
「やっぱり冷たい。子供体温の君でも雪の中じゃあさすがに冷えるか」
 
などと言いながら自らの唇を舐めている。呆然としている俺の頭を小突いてから石田がすっくと立ち上がり、笑う。
 
「これ以上雪の上に座ってると風邪を引いてしまいそうだからさ、帰ろうか黒崎」
「は?」
「君が雪の中でずっと座り込んでいたいなら止めないよ。もうすぐ暗くなるけど」
「い、いや…お前今……」
「昔は風邪を引くといけないからと言われてこんなに寒い日は外に出してもらえなかったんだ。雪を見るのも久し振りだったし、浮かれてたのかな」
 
普段なら僕からなんて滅多にしないんだけど、ぼそりと呟きながら冷え切った買い物袋を拾い上げる。
なんだそれ、浮かれてたらキスをするのかお前は。というか自分からしない自覚はあったのか。などと色々言いたい事はあるのだが、言葉が喉に絡み付いて離れない。我ながら、想定外の事に大分動揺しているようだ。
 
「お前が天然って忘れてた…」
 
声になったのはこんな言葉だった。
 
「天然?馬鹿な事を言うな、いつだって真面目だぞ僕は」
「そういうこっちゃねーよ…、あーくそ」
「?」
 
先程まで石田がダイブしていた所為で人の形に凹んだ雪の地面に思い切り顔を埋めて頭部に集中した熱を冷まそうとするがどうにも上手くゆかず。暫く無言で眺めていた石田が、馬鹿か君はと言いながら俺の頭を引っこ抜いた。
 
「風邪を引くと言っているだろう」
「う、うるせぇなそっとしといてくれ頼むから」
「どうしてちょっと弱々しいんだよ」
「ほっとけ!」
 
その言葉が癪に障ったのか、手一杯に掴んだ雪を顔面に押し付けられる。霜焼けは確実だなと思った。それにしても冷たい。
仰向けになりはあと息を吐くと、白色のそれがぼわりと空気中に浮かんだ。まるで煙草だ。
 
「…此処が車通り少ない路地で良かったな。これが本道なら君は今頃ぺしゃんこだ」
 
石田が言葉を吐き捨てながら両手を打つ仕草をする。手袋をしている所為で、掌の隙間からはぱふんと気の抜けた音がした。
 
「最初に仕掛けてきたのはオメーじゃねえか」
「それはそうだけど、いい加減起きなよ。本当に明日風邪引いたらどうするんだ」
「さぁな。引いたら責任取れよ」
「残念ながら意図的になろうとする奴に取る責任は持ち合わせていなくてね」
 
さっさとしろとでも言いたげに脚を蹴り上げられる。弾みで散った雪の飛沫が宙を舞った。これ以上されるとたまったもんじゃない。仕方無しに、投げ出していた足を地に着けた。
ちらりと石田に目をやれば、その瞳は何処か遠くを見つめているようだった。視線の先を追えども其処には見慣れたブロック塀しか無く。服や肌、その白さからまるで風景に同化したかのような彼の、黒曜石の如く色がついた髪だけが灰色の風景の中で異様に目立っていた。もし今此処に額縁があれば絵画にでもなったろうに、子供の頃そんな童謡が流行った気がする。曲の終わりに子供が絵画の中に閉じ込められてしまうのだったか。残念ながらあまりよく覚えていない。
 
「―――石田、」
 
目の前に立っているこの存在が今にも消えてしまいそうで。無性に怖くなって声を掛けた。
すると、ワンテンポずれた反応で石田が振り向く。先程とは纏っていた雰囲気が違う、そんな印象だ。

「何だい」
「…いや、別に」
 
お前が何処かへ行ってしまうような気がした、なんて言えるわけが無い。
 
「変な奴だな。…本当に風邪引いたんじゃないのか、もしかして」
「それは無え」
「分からないだろ、早く帰って体温計ではかろう」
 
額ではかってはくれないのかと意見したかったが、頭の中だけに留めておく。今殴られるのは御免だ。
雪を踏み締めながらゆっくりと歩を進めつつ、石田が自らの唇をごしごしと拭う。おい、それ俺の手袋なんだけど。
 
「キスなんかするんじゃなかった。移ってたらどうしよう」
「そしたらうち来いよ、看病してやる。で、オメーは俺を看病しろ」
「なんだよその鼬ごっこ…。絶対治らないだろ」
「それはそれで結果オーライ」
「馬鹿が」
 
罵倒しながらも、満更ではないようだ。控え目に石田が笑う。その笑顔を見ない振りをしつつ、これから先消えたりなんかしないよう、させないようにと、その手を固く握り締めた。
 
 


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