部屋で洗濯物を畳んでいると、ノイズ雑じりのインターホンがポン、と鳴った。一体誰だろうか、回覧板ならこの間回されて来た筈だし荷物が届く予定も無い。不思議に思いつつも雨竜は立ち上がり、ゆっくりとドアノブに手を回す。
そしてどちら様ですかと言いながら扉を少し開け―――、閉めた。それはもう自身に可能な限りのスピードで。



「何で閉めんだよ石田コラァ!」
「わざわざ霊圧も消して御苦労様だな!ドアノブから手を放して早く帰れ。」
「用が無えと来ちゃいけねえのかよ。あと絶対放さねえし、オメーこそさっさとドアノブから手ぇ放せ!」


確認をした瞬間雨竜は急いでドアを閉め切ろうとしたのだが、腐っても(酷い言い様だな、と自分でも思う)死神代行であるこの男の腕力と反射神経には敵わなかった。この不毛なドアの引っ張り合いは暫く続いたが、雨竜が少し力を抜いた途端一護が一気にドアを自分の方へ寄せた為、結局部屋に上げることになってしまった。速さでならば絶対に自分が勝つのにとぼやいた雨竜の肩に手を掛けながら一護が笑う。


「バランス取れてて良いんじゃねえの」
「…君と併せて百じゃあ意味が無いんだよ。」


まるで一人だと半人前みたいじゃないか、と雨竜が顰め面をする。何を思っているのか、雨竜が溜め込んだモノを吐き出すようにを溜息を漏らした。


「補ってけば良いんじゃねえのか」
「どうして君なんかと。…それから、霊圧を消して来るなんて卑怯だ」
「いつもみたいに垂れ流しで行ったら開けてくんねえだろ。結構頑張ったんだぜ?」


汗だくになって言うべき事でもないだろう。でも、努力をしたというのは本当らしい。


「…小賢しいと言ってるんだ。ほら退いて、麦茶しかないけど良い?」


自身の背中に貼り付いていた一護を引っ剥がし、雨竜は冷蔵庫へと足を向ける。机の周りに広がっている洗濯物を目にしたのだろう、一護がこれ畳んどいてもいいかと顔を覗かせたのでうん、と軽く返事をする。それきり姿が見えなくなったのできっと今頃洗濯物と格闘しているのだろう。彼は家でよく家事をするのだなと再認識する(性格は結構真面目なのだ)。
手早く二人分の麦茶をグラスに注いでその姿を覗いてみると案の定だった。もたつくような素振りも無くてきぱきとこなしている。
雨竜の視線に気が付いたのか、動作は止めないまま一護が声を上げた。


「何だよそんな所に突っ立って」
「いや、君は良い主夫になりそうだなあと」
「…どうリアクションして良いのか分かんねえよ」


そう苦笑しつつも嫌ではないらしい。麦茶をテーブルに置きながら雨竜の目に、あるバッグが止まる。自分の物ではない、ということは一護が持ち込んだ物と言うことになる。


「黒崎、宿題でもしに来たのか?」


麦茶をちびちびと喉に通しながら雨竜が問うと、その視線の先を確認した一護があ、と素っ頓狂な声を上げる。一体どうしたのだと問い質す暇も無く一護はバッグの中身を漁り始め、ある紙を取り出しテーブルの上にパンと置いた。


「…何だいこれ、地図?宿題じゃなくて?」
「宿題じゃねえよ。…こういうの無えとオマエ不安がるだろうし」
「不安って…。まあ、地図があるのに越したことは無いけど。何処のだいこれ」
「川だよ川。行こうっつっただろ」


川?そう呟きながら雨竜が首を捻る。確かに先月そんな約束をした。とても楽しみにしていたような気さえするのに今では記憶の彼方だ。人間はなんて残酷な生き物なのだろう、なんて他人事のように考えながら雨竜は朧気なそれを手繰り寄せてみることにした。
確か教室で黒崎がそう話していて、それで――、
そこまで思い出し、雨竜は一護の肩を掴んだ。


「なっ、何だよ!?」
「ああ、うん思い出した。思い出したよ」
「何でそんな冷めた眼でこっち見んだよ!つかいてっ、い、痛えって石田!」
「この間小島君と少し話をしてね。君との会話を一部始終見られていたみたいで仲良しだね、って笑われたんだ」
「う、嘘だ!だってあの時水色居なかったじゃねえか!」
「そこは僕も同感だよ」


そもそも君があんな所で話をしなければ良かったんだ、そう呟きながら剥れる雨竜から距離を取りつつ、オマエだって気付いてなかったじゃねえかよと一護が心中で吼える。別に隠しているわけではないが、世間一般的には受け入れられ辛い自分達の関係を大っぴらにする事はほぼ無い。しかし何も言っていないにもかかわらず井上織姫や小島水色といった勘が鋭い人間には既に把握されてしまっているのではなかろうかというのが現状である。こんな事を言えば目の前で林檎のように赤面している男はそれこそ発狂するのだろう。普段頭が回るくせに、こういう事には専ら鈍いのだ。いや、自分も人の事は言えないが。


「……まぁいいか。隠してる訳じゃあないんだから」


小さく吐息を漏らし、雨竜は掴んでいた一護の胸倉をぱっと放した。


「お、潔いな」
「そういう事ではないと思うんだけどね。で、何処の川に行くの」


さっさと本題に戻ろうとでも言うように溜息を吐く雨竜を横目で見つつ(話を振ってきたのは自分の方だろうに)地図をべらりと開き、そして予めマークしてあった位置をボールペンで指差す。


「ええと…鳴木市の方、だね。あの辺りは結構都会だと思っていたんだけど」
「東京だってちょっと奥に入れば山だぜ?オマエだって滝で修行してるだろうが。」
「…それもそうだね。で、浅野君に訊いたんだ?」
「え」
「浅野君の家は鳴木市だし、現地の住民に訊くのが一番だと思ったんだけど。違ったかな」
「いや、」


違わない、寧ろその通りである。だからこそ言うのが恥ずかしかったのだが、こうまでピタリと当てられてしまうと非常に気まずい。こういうものは相手に悟られないよう影で情報収集をしておくものではないのだろうか、と元来格好付けたがりな一護は思うのだ。
顔を背けて頭を抱える一護の前に麦茶の御代わりを差し出しながら、雨竜が机上に放置された件の地図に目を向ける。黒崎のことだ、どうせまたしようも無い事を考えているに違いない。そんなものは放置しておくに限る。手土産に、と彼が持参してきた和菓子を一口大に千切りながら紙上の道順を辿ってみても、生憎土地勘が無い自分にはさっぱりだ。
…まぁ、自分には分からなくとも黒崎が分かっていたら良いか。一度行けば道も覚えるだろうから、と我ながら珍しく楽天的な思考になっているなと思いつつ小さくなったものをゆっくりと食む。有名店の人気商品であるらしいそれの、上等である筈の餡を掻き消してしまうかのような勢いで攻め立てる砂糖に、ひどく喉が締め付けられた。


「…石田ァ」
「何、欲しいの?」


違う、とはっきり口にした一護の唇に菓子の残りを押し付ける。それがぐにゅりと潰れそうになったところで観念したのか、漸く口を開いて和菓子を嚥下した。一緒に口に含んだ雨竜の指もべろりと舐め、視線をやる。


「指がべたべたするんだけど」


眉間に皺を寄せながら、雨竜は自らの濡れた指にゆるゆると舌を這わせた。


「砂糖付いてたから取ってやったんじゃねえか。寧ろ感謝しろ」
「何でだよ、しかもちゃんと取れてないし」
「じゃあちゃんと取ってやろうか」
「結構。」


寄ってくる一護をあしらい、グラスに半分程注がれた麦茶に手を伸ばす。が、瞬間ついと遠ざかった。グラスを持つその手にふつふつと怒りが沸く。


「黒崎、喧嘩を売ってるのか」
「売ってねえよ」


そう言いながらも雨竜の手にグラスを渡そうとする気配は見られない。それどころか、なみなみ注がれていた麦茶を全て飲み干してしまった。


「何してるんだ、それは僕の…」


お茶。そう言い終わる前に、大きく開いた口をがぶりと塞がれる。いきなりの事だった為雨竜のつり上がった瞳は大きく見開かれたまま。一護の顔が至近距離にあると理解した途端、何故だか無性に恥ずかしくなった。初めての訳でも無いだろうに。
そんな雨竜を知ってか知らずか、一護は心底楽しそうに雨竜の口内を貪りつつ口に含んだままで飲み込まなかったらしい先程の麦茶を雨竜の喉にざあと流し込んだ。いきなり侵入してきたそれに、雨竜がぐ、と眉間に皺を寄せる。


「んっ…」


飲みたかったんだろ。なんて笑う一護を睨みつけながらも、雨竜はこの茶と互いの唾液が絡み合った液体をどうにか喉の奥へと押しやった。そして一護の額をばちんと平手で打ち、二、三回深呼吸。


「なんだよ、オメーが飲みたそうにしてたんだろ」
「うるさい、黙れ」


たとえ飲んだとしても、同様に甘い物を食していた一護の口内から運ばれたものなど意味は無いのだ。毒のような甘さがじわりじわりと舌に響いて気持ちが悪い。麦茶は残りあとどれ位あっただろうか、と頭の片隅でそんな事を思った。
自分なぞいないもの、といった風に物思いに耽っている雨竜を見て、一護が首を傾げる。


「おい、何考えてんだよ」
「僕は今日どれだけの量の麦茶を冷やしてたかなって」
「……この状況で茶か…」


がくりとこれ見よがしに項垂れる一護など見向きもせず、地図に手を伸ばした雨竜は紙面に目をやり、一人でこくりこくりと頷いている。そんな雨竜をじとりと見つめ一護が溜息を付く。今度はどうしたと問うも、雨竜の視線は地図に行ったまま。その状態が数十秒続いた後、雨竜の口からうん、という言葉がぽつりと零れた。それを聞き逃す一護ではない。漸く意識が地図からずらされたのだと分かったので、雨竜の鼻先まで自分の顔をずいと近付け、両手でホールドしてから話し掛ける。


「なあ」
「何、……顔が近いから離してくれないか」
「断る」


手を離したところでどうせまたその双眸は自分を見なくなる。こんな事を言えば子供のようだと笑われるかもしれないが、同じ空間に居るのに自分が相手の視界の隅にも入れられていないというのは正直、気分が悪い。何ら関係無い人物ならば兎も角、対象は普段から視線を独占したいと考えている石田雨竜。表情には出さないにしても、精神的ダメージは甚大である。
一護は雨竜の額に自分のそれを押し当て、はあと溜息を吐いた。


「どうした黒崎、…構って貰えなくて寂しかった?」
「そんなんじゃねえよ」
「そう?」


ならいいんだけどなどと言いながらも雨竜はにやと口角を上げる。お見通しなのだ。互いに、何もかも。


「あーもう、俺の事はいいんだよ。…つかオメーさっき熱心に地図見てただろ」
「うん、バスで行けそうだなって思ってさ」
「バス?」


何を今更、とでも言いたげに一護が首を傾げた。当然のように電車は無く、自転車や徒歩で行くには時間の掛かる山道なのでそもそもがバスで行く段取りだったのだ。その旨を聞いた雨竜はそうか、と呟く。道は分からないが、交通手段があるのなら迷う事は無いだろう。


「ならバス停に行けば時間の確認が出来るね」


そう言い、雨竜は少しだけ残っていた一護のグラスの麦茶を一気に飲み干した。瞠目しつつもその言葉の意味を理解した一護が眉を顰める。


「今から出るのか?」
「嫌?」
「そりゃあ…」


暑いとごねる一護に、僕と違って君はアウトドア派だろうと雨竜は食い下がる。


「別に今じゃなくても良くねぇ?」
「あのバスが急に時間変更したりしないの、知ってるだろ。なら早い内に見てきておいた方が良いだろうし」
「夜の方が涼しいぞ」
「嫌だよ、羽虫や蛾が蛍光灯に集まっている横なんて通りたくない」
「…いつもなら暑いから外には出ないって言う癖に…」
「気分だよ、気分。それに今日みたいな日は室内がより気温が高かったりするからね、外の方が涼しいかも」


だから、ほら。雨竜が机の上にだらりと伸ばされている一護の腕を掴み、無理矢理立たせようとする。だが、雨竜の腕力のみで持ち上がる程一護の体重は軽くはない。悔しいと思いつつも雨竜自身それは嫌というほど理解しているので、彼が立ち上がるようにぐいぐいと手首を引いた。


「…わーったよ、行くって」


一護としては、暑いという以外に別段行きたくない理由も無い為、あっさりと降参のポーズ。しかし、行こう行こうと言い寄ってくる雨竜が可愛くて仕方が無いのでもう少し見ていたいという気持ちも強かったのだが。そんな事を言えば霊子の矢で体を貫かれてしまうので心の中だけに留めておく。


「何だよ変な顔して、…気持ち悪いな」
「石田は本当に頑固だと思ってよ」
「君の方が頑固だよ」
「ま、お互い様だな」
「良い様に纏めないでくれ」


不愉快だ、如何にも不機嫌といった声色で雨竜が一護の脇腹を小突いた。痛がるふりもせず一護がふは、と噴き出す。外はきっと暑いだろうから、影の多い所を石田に歩かせないといけない。
―――そんな事を考えながら。




 

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