しゅるり、微かに音を立てながら自らの首に巻かれていた紐状の布を外す。そしてそれを制服と一緒にハンガーに掛けようとして少し手を止めた。日頃着け慣れた制服のネクタイ。じい、と見つめていると黒崎が読んでいた雑誌を置いて不思議そうに瞳を此方に向けた。


「どうした?虫でも着いてたか」
「虫なんかで動揺したりしないよ。黒崎ちょっと」


手招きすると、何だ何だと言いながら寄ってくる彼の襟元をおもむろに掴み、暑さからか肌蹴けきったシャツの釦を下から留め始める。状況に着いていけないらしい黒崎の顔はこの上なく面白い。阿呆面丸出しである。


「ふ、普通逆じゃねえ?」
「逆?何言ってるんだ君は。僕らはそんな行為をしたことが無いだろうに。…何、君あるの?」
「ねぇよ!」
「……ふぅん。」


その言葉と共に一発頭突きを食らわせる。部屋にどちらのものとも言えない呻き声が響いた。…あ、痛い。思ったより痛い。明日瘤になってたらどうしよう。こんな黒崎より石頭な井上さんの硬度ってどうなってるんだろうか。それにしても痛い。馬鹿になったらごめんなさい師匠。
黒崎の方はと思い目をやると存外、けろりとしていた。どういうことだよ。


「……僕もう君には頭突きしない」
「賢明だな、冷やすか」
「生憎君の体温は高いから額に掌を当てられても全く効果が無いんだけど」


一人は今まさに昇天しそうな面持ちで釦を留めており、もう一人はその手を恥ずかしそうに見つめながら片方の額をぺたぺたと撫でている。なかなかのシュール絵図である。家で良かった。


「そういや釦留めて何がしたかったんだ?」
「今からするんだよ。シャツの襟、立てて」


解せないといった表情をしながらも言われた通りに襟をピンと立てる黒崎の首にネクタイを巻く。ほら、やっぱり似合う。でもかっちりしているよりは少し緩い方が良いかな。


「…急に何でネクタイ?」
「君がしているのを見たことが無いと思ってね。似合うんだからすれば良いのに」


ほら、と手鏡を差し出せば小さく感嘆の声が上がった。この様子を見ると、夏服に衣替えしてから一度もネクタイを着けた事が無いらしいのがよく分かる。きっと新品同様の姿でクローゼットの奥にでも仕舞われているのだろう。何だか無機物である筈のネクタイが可哀想に思えてくる。


「…石田は?」
「え?」
「これ。今は外してるけど学校だと結びっ放しだろ。ま、それが指定だから当たり前か」


俺ら服の趣味殆ど真逆だもんなぁ、と黒崎が頭を掻く。確かにそうかもしれないが、制服に趣味も何も無くないか。空座第一高校は割と自由な校風なので制服について言及されることは少ないが、基本改造せずに着るのが当然である。何か拘りを出したいのなら私服で思う存分表現すればよいだろうし。第一君は結ぶのが面倒なだけだろう。


「つまり学校でネクタイを外せって事?」


そう問えば、黒崎がこくりと頷いた。


「見てたら何か暑い」
「見なければいいじゃないか」
「無茶言うなよ」
「…首元を見なければいいじゃないか」
「それこそ無理だな」
「君、気持ち悪いよ」
「真顔で言われるとすっげえ傷つくからやめてくれ」


何が傷つくだ、そんな素振り一切見せないくせに。
…時々、本当に時々だが、この男はマゾヒストなのではないかと思う時がある。自分がどれだけ罵詈雑言を浴びせかけてもそれを物ともしないのだ。何時もふざけた様に軽く切り返してくる。かと言って自分もサディストのように人を蔑む事に対して快感を示すタイプの人間ではない。言いたい事が寸分狂い無く口から出て来てくれないのだ。要するに素直になれない、只それだけ。


「あ?どうした石田」
「別に、どうして君は僕なんかが良いんだろうなと思って。」
「オメーだからだよ。ふざけた事言ってねえでこっち来い」
「…何だよそれ」
「うっせ、今度言ったら殴るかんな」


結構真面目に話した心算だったのに、何故殴られなければならないのか解らない。反論しようにも今は論破出来る自信なんて全く無いが。仕方なしに彼の元に寄ると、いきなりシャツの釦を二つ程開けられた上シャツの裾を無理矢理出させられた。いやこれ、普段の君のスタイルじゃないか。しかも勝手にしたくせに不満そうな顔するなよ、失礼だと思わないのかこの男。


「…見事に似合わねえな。でも家でなら大歓迎だ石田」
「似合わなくて結構さ、あと家でもしないから。」


この変態、そう馬鹿にすると黒崎がふ、と微笑んだ。やはりこの男、マゾなのではないだろうか。今にも溶けてしまいそうな暑さの中、僕はそう思った。




 
 

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