「恋人が居たの?」

香織の目がつり上がる。

面倒くさい。
香織まで面倒くさい女の台詞を吐くのか。でもそんな状況にしたのは、他でもない。俺だ。

「浮気してたの?」

さっさと、帰ってくれ。
今は誰とも話したくないのに。
静貴の事を考えたいのに。

「荒輝、こっち向いて」

もどかしくなる程のとろくささで香織に顔を向ける。
きっと怒りの表情を浮かべているだろう。そう思っていたのに、香織の顔は今にも泣きそうな程歪んでいた。

「香織…」
「バカ!!」
「な、」
「どうしてそこまで落ち込むくせに、浮気なんてしたのよ!そんなに好きなら…っどうして…!」

ポロリ、一つ涙が香織の頬に水跡を残す。
その道が乾く前に、大きな瞳からは次々と涙があふれ出した。

「どうしてお前が泣く」

存外冷たい声が出る。
ぎゅっと握ったままの指輪は俺の体温で暖かくなっていた。

「感受性が豊かなのよ!私!静貴君がどんな、気持ちで、っ出て行ったのかって」
「静貴は」

「静貴はきっと、悲しんでない」

ひゅっと香織が息を飲んだ。

「どうしてそう思うの!」
「俺が浮気している事を静貴は知っていた。なのに今まで一度も、…一度も、泣きつかれた事などない。好きだと言われた事だって、数える程しか…っ」

静貴が俺を好きでない。

その言葉を口にする事は、酷く自虐的な気持ちになった。
自分で自分の胸を抉ったような。

勝手に視界が歪む。
久しく流す事などなかったものが、積もり積もったものを吐き出すかの如く。

静貴が座っていただろう椅子を指先でなぞった。

途端、愛しさが溢れ出す。

もう欠片も残っていないであろう静貴の温度を求めて、椅子に縋りついた。

「俺はっ、どうして…っ!」
「こう、き…」

静貴。静貴。静貴。
どうしてこんな事になる前に気持ちを聞こうとしなかったのだろう。
どうして浮気など繰り返したのだろう。

どうして。どうして。どうして。

「連絡、してみなよ」
「…出来るはずがない」
「ちゃんと向き合って話しなよ」
「そんな資格…俺にはない」

静貴にしろ、その友人にしろ。
連絡手段がない訳ではない。
それこそ、血眼になって必死で探せは見つかるだろう。大学も知っている。

けれど、拒まれたら?
もしも、いらないと言われたら?
そもそももう一度静貴の視界に入る資格なんて、俺には。


慰めるように香織が入れてくれたコーヒーは、苦いだけで死ぬほど不味くて。

お気に入りの角砂糖は切れていた。