かわいい猫さんは、好きですか?

【ごろにゃんの日】

ゆっさゆっさと肩を押されている。それはもう、ゆっさゆっさと。

俺は目を閉じたまま手を伸ばし、暖かい生き物を探してシーツの上をまさぐった。
そうして手に当たったものに頭を乗せ、ふぅと息をつくーーが、その幸福感は背中に走った衝撃と痛みで吹っ飛んだ。

「起きてってばー!頼!」
「いてっ。…あ?」
「おーきーて!重い…」

小さく付け足された言葉に驚いてパチリと目を開く。
するとそこは真っ暗で、俺はどこで寝てたんだろうと瞬いた。

「え。嵐どこ?」
「どこに話しかけてんの…それ俺のお腹だよー…」
「あ、マジだ。わりぃ」

どうやら目の前の黒いのは嵐のTシャツらしく、俺が頭を乗せているのは太ももだったようだ。
ぼんやりする頭を振って起き上がる。すでに座っていた嵐は、何故か非常に情けない顔でガバリと抱きついてきた。

「あ、嵐?」
「よーりぃ…!どうしようどうしよう…!」
「何が?怖い夢でも見たか?」
「頼は一体、俺をいくつだと思ってんの!」

ぐずった声がべらぼうに可愛い。俺の首をぎゅうぎゅう抱き締めてくる嵐は、全然痛くない力加減で肩をピチパチ叩いている。

あー可愛いすごい可愛い幸せー。

何やら慌てている嵐には悪いが、寝起きの頭はそれだけで埋め尽くされていく。
しかしちゃんと話を聞いてやろうと、落ち着かせるために嵐の頭を撫でてみた。

「!」
「…え?」

びくっと硬直した嵐。
俺は手の端に当たった、髪とは違うフワフワしたものの感触に首を傾げる。

「嵐、お前頭になんか付い…えっ!?」

ふ、と視界の下の方で、逆立つ長い何か。
俺の知る限りそれは猫科の動物にある尻尾とかいうものにそっくりで、て、え?

「嵐!?これなんだ!」
「知らないよ頼のばかーっ!」
「どっからどう見ても尻尾じゃねぇか、て、耳!?」
「うわぁんだから早く起きて助けてって言ったのに頼のばかばかばか!」

半泣きで俺から離れた嵐は、頭をしっかり手で押さえたままこちらに背を向けてベッドに踞ってしまった。
そうすると、こちらに向けられるのは小ぶりな尻だ。
尻と、…スウェットから窮屈そうに飛び出てペッシペッシとシーツを叩く、尻尾。

嵐の手の隙間から見える耳も尻尾も、ツヤツヤふわふわした黒で、俺は気が遠くなるのを感じていた。

「う、嘘だろ嵐…」

なんだよその可愛い格好は…!

+++

人生で初めて感じた『萌え』というものに気絶した俺は、それからすぐに文字通り叩き起こされ(嵐の平手はかなり痛かった)、漸く事の顛末を話し合う事が出来た。

嵐曰く、朝起きたら生えていた、との事だ。玩具かと思って引っ張ってみたら飛び上がる程痛くて、慌てて俺を起こしたらしい。
なのに何で気絶しちゃうのバカ、と涙目で言われて俺は息も絶え絶えだった。

しかし嵐の可愛さに悶えている訳にもいかず。

何故こんな事になったのかと二人で頭を突き合わせて考えてみた。変なものは食べたかとか、魔法使い的な何かと擦れ違ったんじゃないかとか、もしかして二人揃って夢見てんじゃねぇのと頬のつねり合いもした。
上記を見て察するに、未だ俺たちは絶賛パニック中だ。魔法使いってなんだよアホか。

結局原因がわからず、原因がわからない以上治す方法も皆目わからず、とりあえずは耳と尻尾がある以外身体におかしなところはないと確認したので、仕方なくそのまま過ごす事にした。

幸い今日は休日で登校の必要がない。
しかしーー生徒会室には、仕事をしに行く必要があった。

「ねぇねぇ頼、耳見えてないよね…?」
「大丈夫だ。それより尻尾痛くねぇか?」
「うん、ちょっと窮屈だけど平気…」

嵐の頭には俺のニット帽。尻尾はズボンの中に押し込み、もし万が一飛び出ても隠れるようにとブレザーの中に俺のパーカーを着せた。

余談だがそのパーカーは俺ですら大きいサイズで、背はあまり変わらないが細身の嵐が着たら更に大きい。言わずともわかるだろうけど、彼シャツの応用版みたいで鼻の下が伸びるかと思った。
最近朔の視線が痴漢を見る女子高生みたいに刺々しいのは、きっとこういう態度が原因だろう。

とまぁ、そんな風にガチガチに隠してやってきたのは生徒会室の前。
不安そうな嵐がぴたーっと俺の斜め後ろにくっついているのに幸せを感じながら、見た目だけは重厚な扉を押し開いた。

「おはよ。遅いよ頼も嵐も。早く席について仕事して」
「おう、わりぃ」
「おはよ、朔…」

室内に居たのは朔だけで、一先ずホッした俺たちはいそいそと席につく。
朔は明らかに挙動不審な嵐を見ても特に何も言わず、パソコンを睨み付けていた。

「早瀬兄弟はまだ来てねぇのか?」
「ん?早瀬達は、週明けの朝会の準備に行ってもらったよ。頼と嵐が居ない時に俺がここを離れる訳にはいかないからね」
「そうか」
「そのまま直帰でいいって言ってあるから、頼は代理お願いね」
「了解」

平然と朔との会話が出来て一安心だ。挨拶以降一言も喋らない嵐を不思議そうに見てはいたが、朔の中でうまく納得したらしい。さすが天然。恐らく「寝不足かなー嵐」くらいにしか考えていないだろう。

「部活勧誘会の企画書、上がってきたやつ机にまとめてるから後よろしく」
「あぁ、これな。オッケー」
「それと部費の件…嵐、一通り目は通したけど細かい調整は頼むよ」
「え!?う、うん!」

おいこら嵐動揺しすぎだろアホ、可愛いな。

話を振られた瞬間大袈裟にびくーっ!と肩を跳ねさせた嵐は、ブレザーの袖より長いパーカーで机上にあるペンを床に転がした。

カチャンコロコロ。

なんとなく間抜けな音の中、固まる嵐と、嵐を凝視する朔、朔の出方を見る俺という不思議な空間が出来上がってしまった。

「嵐…」
「は、はい!」
「拾わないの?」
「拾うよ!ごめんねすぐ拾います仕事に戻っていただいて大丈夫ですはい」
「なんか今日おかしいよ?大丈夫?」
「ぜんっぜん大丈夫!あははー…」

しどろもどろで、いかにも隠し事してます!な態度の嵐は、しきりに俺へヘルプ光線を向けてくる。
いや、な。その前にお前もうちょい落ち着け。

しかしさすがの天然朔でもその態度には違和感があったようで、ついにはガタリと席を立ってしまった。まずい。慌てて俺も立ち上がり、素早く朔の腕を掴む。

「頼、何?」
「いや、今日は嵐に絡むな。朝からあんま調子良くねぇんだよ」
「そうなの?」
「そ、そー!ちょっと熱っぽい?みたいなー…でも仕事くらいなら出来るから、そっとしといてほしいなー、なんて…」

少しどもったが援護射撃はギリギリ合格だ。
疑わしげに嵐を見る朔が再び椅子に座るのを見て、俺は自分のデスクに戻る為背を向ける。

熱っぽいのだから、パーカーとニット帽も不自然ではないだろう。後は今日中に片付けておかなければならない仕事だけ処理して、すぐ部屋へと帰ればいい。明日になっても治ってなかったらどうしようとか、まだ問題は山積みなのだ。こんなところでヒヤヒヤしていたら身がもたない。俺じゃなくて、動揺しっぱなしの嵐が。

「っていうかさぁ」

背後で足音がした。え、と思い振り返った先で、まん丸く見開かれた嵐の目と視線がぶつかる。

「熱っぽいなら帽子被っちゃダメでしょ常識的、に、…ん?」

避けも抵抗も間に合わなかったらしい嵐の頭から、ペロリとニット帽が奪われた。
ふぁさっと赤いウェーブが上から下へと揺れて、目立つ黒の三角がピクピクと動く。

あぁ、やっちまった。

思わず俺が片手で額を押さえたのと、遅れて理解した嵐が小さくえ?と呟いたのは同時だった。

「…」
「…」
「…」

長いこと三人でつるんでいるが、こんな風に耳が痛い程の沈黙は初めてだ。いつもふにゃんふにゃんとよく喋る嵐は涙目で震えているし、空気を読まない分場の雰囲気を壊してくれる朔はじっと黒い耳を見下ろしているし、言わずもがな俺は嵐の涙目可愛いわーと現実逃避している。

収拾のつけ方がわからない。もうどうにでもなれ。

相手は朔だしいいや、と匙を投げようとした瞬間、朔は大袈裟に深く長い溜め息を吐き出した。
びくっ!と嵐が大きく震える。まるで人馴れしていない本当の猫のようだ。もしくは悪戯がバレて飼い主に怒られる直前の猫。つまり猫に見える。段々と耳に対する違和感がログアウトしている自覚はあった。

「あのさぁ嵐?そういう事は早めに言おうね?」
「…え?」
「はぁ…まぁいいや。ちょっと待ってて」

朔はそれ以上何も言わず、足早に生徒会室から出ていった。呆気にとられて閉じた扉を見つめても、そこに朔は居ない。

「え…何、反応ねぇの?」
「え、え、頼なんで?」
「知らねぇよ…」

今の内に部屋に嵐を連れ帰るか、と脳裏を過るが、そうしてしまえば待ってろと言った以上朔が怒るので実行出来ない。

立ち上がったままの俺とニット帽を被り直した嵐がオロオロしていると、やがて扉が開き、ガラガラとワゴンを押しながら朔が戻ってきた。何事?

「お待たせ、嵐。さ、こっちにおいで」

ポカン口継続中の俺達を無視した朔は、ワゴンをローテーブルの横につけてカチャカチャと準備?を始めた。
じっと見守っている間に、俺は口許をひきつらせながら椅子に腰かける。天然は手に負えないと改めて感じたからだ。

「食堂のおばちゃんに、猫も食べられるメニューを用意してもらったんだ。早くおいで、あらニャン」

簡潔に言おう。朔は嵐がおかしな耳を生やしていようがたいした問題と捉えていない。
更に前向きに、楽しそうに、魚ばかりが乗った皿を着々とテーブルに並べ、爽やなキラキラスマイルを惜しげもなく見せてくれた。あらニャンってなんだよ。最近妖怪系ゲームにはまってるのは知ってるけどそれは酷いだろ。

「……」
「あらニャン固まっちゃってどうしたの?食べないの?あ、頼は仕事しててねそれ今日提出だから」
「…よ、より…」

たすけてヨー、と目で言われたので、手に負えないヨー、と返した。
とりあえず付き合いも長ければ気心も知れているので、行ってやれ、とこっそり合図する。

不安そうな嵐は朔の笑顔にビクビクしながら、ソファの真ん中にチョコンと腰かけた。

「さ、どれから食べる?」
「え、ええっとー…」
「選べない?仕方ないなぁあらニャンは。あ、お部屋の中ではお帽子取ろうね」

どこかウキウキとはしゃいでいるように見える朔は、ニット帽をポイと取って嵐の隣に座る。
そしてフォークを手に、切り分けたカツオのタタキを刺して嵐の口許に差し出した。

「はい、あーん」
「あ、あーん…?」

ちょっと待て。俺ですら嵐にあーんした事ねぇのに何で朔が先にやってんだ。
握ったペンが軋む。しかし朔はそんな事気付かないし、嵐は嵐でさっきまで死んだ魚みたいな目をしてたくせに、カツオを口に放り込まれてから急に目を輝かせている。

「美味しい?」
「美味しい…!なにこれ、これってこんなに美味しかったっけ…!」
「そりゃ、猫だから。猫は魚好きだろ?こっちも食べる?鮎の塩焼き」
「たべるー」

餌付けかよ。

「おいしー…」
「よかった。いやぁ、夢だったんだ、人型の猫と触れ合うの…あらニャン可愛い」

あぐあぐとアユにかぶりついている嵐を、朔はうっとりと見つめている。
その視線が気持ち悪いくらい甘ったるくて、俺は鳥肌が立つのを感じていた。

「お前、そんなメルヘンな夢持ってたのかよ」
「当たり前だろ。知らないの?陽の当たる〜坂道を〜自転車で駆け登る〜」

一切こちらに視線を寄越さないままの朔を見て、一瞬キレそうになったのは許してほしい。話す時は相手の目を見る、だなんて言うキャラじゃないとは重々承知しているが、今だけはキャラ崩壊どんとこいだ。
話す時は相手の目を見て、後それ俺の男だからあんま見んな。

「ふぅ…お腹いっぱいー」
「じゃあご馳走さましようか」
「うん」

妙にうまい朔の歌をぶったぎったのは、魚料理を満喫した嵐の欠伸だった。
魚が異様に美味しく感じた上、満腹になってすぐ眠くなったのはもしかしたら性質が猫寄りになっているからかもしれない。ファンタジーの世界みたいに、ここからどんどん猫化が進んで最終的に猫になったらどうしよう。…飼おう。

「あらニャンあらニャン」
「んー…?」
「これなーんだ」

ご馳走さまの体勢のまま目をパシパシさせる嵐は、朔がポケットの中から取り出したものを見て小首を傾げた。

「…スプレー?」

嵐はわかっていないみたいだったが、俺はしっかりとそれが何か理解していた。理解して、朔のアホさ加減が手遅れの域だと知る。
つか、あの短時間で料理にくわえ、そんなものまで用意出来た朔が怖い。

「ふふん。これはね、こうやって使うんだ」
「っておい、朔待て」
「大丈夫、嵐はーー」

不思議そうな嵐の目の前で、先ほど外したニット帽にスプレーを吹き掛ける。
俺の制止を流した朔がそれをポフッと嵐の面前でちかつかせた。

「雄猫だから、きっと効くよーーマタタビ」

瞬間、嵐の目から焦点がなくなったのを見て、俺は慌てて立ち上がった。