あれからどれくらいの時間が経ったのだろう。
窓から見える景色が闇色に染まり、破けた服から覗く肌が寒さに鳥肌を立てた。
「よかったよ。あんがとね」
「またよろしく」
男たちは身なりを整え、最後に目隠しと口の中のものだけを取って教室を出て行った。
身体中がギシギシと痛む。
頭も、泣きすぎた目も、押し潰されたような悲鳴を上げていた喉も。
男の爪がえぐったお腹の皮膚も、強く捕まれすぎた腰も、長時間揺さぶられる中立てていた膝も、そして頼しか知らなかったはずの後ろも。
どこが一番痛いだろう。
そんな風に余所事を考えていないと、心が砕けてバラバラに散ってしまいそうだった。
+++
横向きになったままひたすら手首を動かしていれば、幸運にも拘束は緩みをみせた。
俺は無理矢理そこから片手を抜き、床について起き上がる。
「ひ、どー…」
見れば下半身だけではなく、顔や胸にも白濁が飛んでいる。勿論俺のものじゃないけれど。
力の入らない足腰。立つのを諦めて、ずるずる壁際へ這っていく。それを背にボタンの飛んだシャツをかき合わせ、ぼんやりと窓の外を仰いだ。
ここはどこの教室だろう。どの辺りまで運ばれたのかわからない。
結局のところ男たちの発言をまとめると、俺は誰かに薬を盛られていたらしい。
誰か、なんて悩まずともわかる。
俺が今日口にしたのは食堂のおばちゃんが淹れたちょっと薄い珈琲と、あの男の人がくれたプリンだけだ。
まぁ、もうそんな事どうだっていいんだけど。
朝までここに居れば、少しは動けるようになるだろうか。
でもそれだと、中に出されたものが俺を二次災害に巻き込むかもしれない。しかし動けないのだから手はない。
「…我慢、すれば、いけるかも」
慣れているなんて言いたくないけど、後ろが痛いのにはまぁまぁ慣れている。
一先ず自分の居る場所は確認しておこうと、俺は壁伝いにゆっくり立ち上がった。
かなりの時間をかけて立ち上がり、近くの机に手を乗せる。そして一歩踏み出せば、膝がかくんと崩れて倒れた。
「…っ」
机と椅子を巻き込んで床に落ちた俺は、そのままの姿勢で息を止めた。
俺は男だから、ちょっと掘られたからって死にたくなる程参ってる訳じゃない。
けど、なんか惨めでみっともなくて、このまま消えてしまいたくはなる。
「情けな…」
ふは、と空笑いを溢せば、響いて身体が痛かった。
もうなんか、全部いいや。そんな気分になって、目を閉じる。
しかし教室の扉を開く音が聞こえ、俺は大袈裟な程ビクリと肩を震わせた。
「誰かいるの?」
「…朔?」
暗い室内に、朔の声が響く。
俺は唖然と名前を呼び、横たわった椅子の足に手をかけて身体を起こした。
「え?…、嵐!?」
目が合う。見開いた朔のそれは、こぼれ落ちそうなくらいだった。
「…っ何があったんだ!」
ほ、と安堵する。
俺よりずっとずっと取り乱しているその表情が、逆に俺の心を落ち着けた。
「ん、何も、ないよー」
「そんなわけあるか!こ、こんな、嵐…っ」
駆け寄ってきた朔に抱き起こされて、その腕に身を預ける。ちょっと落ち着いてと言うと、何故か大声で怒られた。
「誰にされたの!」
「…わかんない。朔はどうして、ここに?」
「今帰るとこで…物音がしたから、見回りに…」
「そっか。助かったよ、どうやって立とうかなって思ってたんだー」
朔が居るなら肩くらい貸してもらえるかも。そう思って笑えば、朔は珍しく眉間にシワを寄せた。
「…なんも、助かってなんかないじゃないか。嵐、先生に言いに行こう。保険医ならうまく対処してくれる」
「嫌だ」
「だけど嵐、」
「嫌だ行かない」
男が男にレイプされましたなんて、どんな顔で言えばいい。俺は今日の事をなかった事にしたいのだ。
バチが当たったのだと、思い込んで消化したいのだ。じゃないと、様々な痛みで頭がおかしくなりそうだから。
つっけんどんな俺に、朔は心底困った顔をした。
朔の言いたい事はわかる。だけど、俺にもこれは譲れなかった。
「…なら、せめて頼には話そう」
「どうして。嫌だ」
「嫌だじゃない。頼に話さないなら、俺がこのまま担いで保険医の所に行くよ」
「…どして頼なの」
「会長だから。トラブル対応の責任者だから。嵐が大切だから。ねぇ、ちゃんと話してないんだろ。どうして話さなかったの?伝えなかったの?」
矢継ぎ早に問いかけられて、俺は耳を塞いだ。
聞きたくなかった。朔の口から、頼の名前を。
「わかった。わかったから。保険医の所には行きたくない」
「なら頼のところに、」
「それは明日でいいよね。シャワー浴びて寝たいんだ俺…大丈夫だから、何ともないから、お願い、今日は見逃してほしい」
止めのつもりでそう言えば、朔は黙って俺の手に鍵を握らせた。馴染みの固さだ。それは生徒会室の鍵だった。
「ここからなら生徒会室の方が近いから。なんなら仮眠室で休むといい。もし嵐の部屋に、嵐を襲った奴が来たら…だから…」
あぁ、朔ってなんでこんないい奴なんだろう。
天然だし空気も読まないけど、ちゃんと俺の気持ちも先の事も察してくれる優しい奴だ。
頼も、そういう所を好きになったのかな。
それならば、素直に祝福出来なかった嫌な奴な俺が敵わないのも、頷けた。
「せめて送らせて。それくらいはいいだろ?」
「…ありがと」
小さく笑った朔は、俺をおぶって生徒会室へ送ってくれた。
でも、この後何が起こるのか知っていたなら、俺はこの時迷わず保険医を選んでいただろうなと思う。
+++
生徒会室で暫くじっと回復するのを待ち、小さなシャワー室で汚れた身体を流した。
至れり尽くせりのこの生徒会室には、代えのシャツやタオルも完備している。
俺はそれらをありがたく拝借して、仕事部屋のいつものソファに転んでいた。
数日ぶりの生徒会室だ。
当たり前のようにここへ来て、仕事をして、頼や朔と戯れていたのがずっと昔の事のように思えた。
煌々とした明かりの下で、静かに懐かしい記憶を辿っていく。
あの頃に、戻りたいな。
何の理由もなく、二人の傍で、頼の顔を見て、笑い合いたかった。
そして同時に、もうそれが叶わないのもわかっていた。
朔にはあぁ言ったけど、頼に今日の事を話す気は更々なかった。知られたくなかった。
頼にだけは、こんな情けない顔を見せたくなかった。
出来る事なら誰とも顔を合わせず、せめて外傷が言えるまで部屋の外にも出たくないと思っていた。
「意外と堪えてる、かもー…」
「何がだ?」
「!?」
突然聞こえた声に驚いて飛び上がった俺は、そのままソファから転げ落ちた。
無体を働かれた身体が思い出したように軋む。ギリギリテーブルで頭を打たなかった事だけが救いだった。
「え、あ、なんでここに」
「忘れ物。お前こそ何やってんの」
生徒会室に入ってきた頼は、自分のデスクから書類を取り出しファイルに入れた。
久しぶりに聞く声が脳に染み込んでいく。目は、怖くて見れなかったけど。
「別に…なんでもないよー」
「へぇ」
頼は適当な返事を寄越し、そのまま扉へ向かう。
俺は床に座り込んだまま、早く出て行ってほしいと内心繰り返していた。
泣きそうなのだ。
レイプなんて大した事じゃない。けど、なのに、頼が近くにいるだけで、すがり付いてしまいたくなる。
俯いて足音を聞いていた俺は、その音が止んだ事を不思議に思って顔を上げた。
パチリと視線が合う。あ、と思った時には遅かった。
頼の顔がしかめられたのを見て、慌てて俯く。
「人の顔見て泣くなよ」
「あ、わ、ごめん、ちがくて、」
「何がちげぇの」
「嵐くん生理中だから情緒不安定なんだよねーあは、ごめんねー」
「ふぅん。情緒不安定な時は、セックスする時触らせるんだ」
「え?」
ひんやりとした声だった。
涙で滲む視界の中、蒼い瞳の視線を辿った俺は、慌てて捲っていた袖を下ろす。
赤く擦りむけた手首の傷は、どう前向きに捉えても拘束された痕にしか見えない。
「あー、と、いや、これは」
「何?触られんの大嫌いって、俺を縛ってたのは誰だっけ」
「、ごめん」
「謝るくらいなら、俺にもやらせろよ」
「…は?」
理解が出来ていなかった。
ツカツカと近付いてくる頼を、唖然と見上げる。
その冷めた表情からは、何の感情も読み取れなかった。
「あの、何…言って」
「だから、やらせろよ。慣れてんだろ。シャワー浴びたって事はどうせさっきまでやってたんだろうし」
「冗談きついよ」
「やめろって言ったのに俺に目隠ししたの、お前だったはずだけど」
頼の手が胸ぐらを掴み、強引にソファへ投げ出される。
そのまま覆い被さられれば、体力を使い果たした俺には成す術も、反論の言葉も持ち得なくて。
しゅるりと抜かれたベルトは、俺の手首をきつく締め上げた。
「嘘、だよね、嘘だって、言って、頼、ねぇってば…っ」
目を見開いて見上げた俺に、頼は薄く笑みを浮かべた。
見た事のない表情だ。頼らしくない、軽薄なそれだった。
「こういうのが好きなんだろ?ド淫乱だもんなぁ」
「…っちが、う、やめて」
「嘘つき。誰でもいいんだろ、お前」
「頼…っ」
押し退けようと手をつき出しても、頼はそんなの物ともせずにネクタイをほどいた。
そして、そのネクタイで俺の視界を、奪って。
「や、やめ、やめてやめて…っ!」
「うるせぇ!」
手のひらが口を押さえつけ、言葉が塞がれる。
ズボンを下げられ、足を開かされ、そこに固いものが当たって。
「…っ!?」
自我とか、矜持とか、そんなものが跡形もなく壊れていく。
閉ざされた視界の中、浮かぶのは男二人の手と、声と、蹂躙していく熱、そして痛み。
心臓が恐怖でバクバクと脈打ち、声にならない叫びが声帯を震わせた。
ぱ、と口から手が離れていく。
その瞬間身体を貫いたのは、誰の熱だったのだろう。
「あ、あああっ」
「きたねぇな」
「や、めっい、あっ頼!頼!」
収まりかけていた痛みがぶり返す。
幾度となく開かれたそこに、男は遠慮なく体重をかけて突き刺した。
より。より。たすけて。より。
いたい。怖い。より、助けて。
むちゃくちゃに暴れながら、何度も何度もその人を呼んだ。
訳がわからなかった。自分がどこにいて、誰に抱かれていて、どうすればいいのかも。
けれど、何度呼んでも、頼は来てくれないんだ。
「るせぇ、呼ぶな」
「よ、……っ」
「そんな声で、名前を呼ぶな。吐き気がする…っ!」
肌を打つ音がする。
熱くうだっていた頭の熱は、その言葉と共に冷めていった。
名前を呼ぶ事すら拒絶された俺に、助けてと願う言葉は吐けないからだ。
「…く、は…っ」
男の荒い息。打ち付けられる痛みは、何故か遠退いていった。
俺は身体を弛緩させ、だらりと横を向く。
「あら、し…っ?」
どこかから、聞き覚えのある声と言葉が聞こえた気がするけれど。
もう、どうでもいいやと思った。
頼は来ない。だってこれは、嘘をついた代償なのだ。
ズルい手で、頼を手に入れたと勘違いしていた俺への罰なのだろう。
それならば、受け入れるしかないじゃないか。
もうどこも痛くはなかった。
胸さえも、何も感じなかった。
(頼に嘘をついた罰なら、一時の幸せの代償なら、どうぞ好きなだけ持っていって、この恋心ごと全て)