あ、初雪。
食堂で珈琲を飲んでた俺は、誰かの声で顔を上げた。
眼鏡越しの外の景色に、チラチラと白く埃みたいな雪が舞っている。
それはふわんふわんと風に乗せられ、やがて土の上にほんの僅かな跡を残した。

あれではきっと積もらない。
そう思ったら俺は雪から興味が失せて、眼鏡を直すフリをして、擦りすぎて痛い目尻を撫でた。

積もらないのなら意味はない。
しかし積もったところで、もう赤い花みたいだと笑ってくれる頼は居ないのだ。

+++

「こんなところに居たの」

二杯目の珈琲にミルクを入れるか否か悩んで結局そのまま飲み始めた頃、俺に声をかけたのは朔だった。

あまりのキラキラ爽やかフェイスに周囲が色めき立つ。
俺は堪らず苦笑を浮かべた。

「どしたの朔」
「どうしたもこうしたもないよ。頼と二人きりの生徒会室とか息が詰まりそうなんだけど?」
「詰まってないなら大丈夫だよー。俺が行っても、今仕事ないじゃん」
「今までは仕事がなくても来てただろ」

そうだっけ。忘れた。
そう言ってカップを口に運ぶと、朔は不満げに顔を歪める。俺は黒く波紋を立てる珈琲を見つめていた。

「おかしいよ、二人とも。何があったの」
「何もないよ。仕事が出来たら呼んで」
「嵐…」
「ほっといてくんないかなー」

カチャリ。ソーサーとカップが軽い接触音を立てた。
湯気で少し曇った眼鏡を手で扇ぐ。これはうどん食べれないな。

朔は暫く無言でその場に立っていたけど、やがて踵を返して食堂を出て行った。

本当は朔にこんな事言うつもりなんて、ないんだけど。
まだまだ頼への気持ちを整理しきれてないから、生徒会室で今まで通り仕事をするのは難しかった。

どうしても気になるのだ。
頼の言葉。頼の表情。頼の視線の先。仕事どころじゃない。やっと前に進み始めた頼に、俺の重い気持ちを悟られる訳にはいかなかった。

遠ざかる朔の背中。
無意識に目で追っていた俺は、見たくないものと判断して俯いた。

頼、と驚く朔の声。
どこいってたんだ、と不機嫌そうな頼の声。
二人の背中は並んだまま、気安い雰囲気で消えていった。

頼のうまくいった恋は、恐らく朔の事なのだろう。
あれからもしつこく気にしてしまう頼の行動。頼はひたすらに朔を連れ回し、朔の名前ばかり呼んでいる。

そもそも頼は人付き合いが上手くないから、交遊関係は俺と朔で作られていた。
好きな人が居ると言った時、頼は今更言えねぇんだと悲しそうだった。
その相手が朔なのだとしたら、成る程、厄介な片想いだ。

きっと朔は天然だからこれからも大変な思いをするだろう。だけど頑張って。二人が幸せそうだったらそれでいい。

そう思っているのも確かなのに、俺はダメな野郎だから。
頼と並ぶ朔を見たくなくて、二人から距離を置いた。

朔に、頼への気持ちを吐露した事も後悔している。
もし朔が俺に遠慮して頼から手を引いてしまったら嫌だから、やはり二人から離れる選択しかない。

どうか、並ぶ二人が当たり前になって、俺の胸が痛くならないように。そう祈っている。

「こんにちは」
「え?」

ずっとぼんやりしている俺の隣に、男が腰かけた。
プリンを二つ載せたトレーを置くのを見やり、驚いて見上げる。

「飴の人だー…」
「あ、覚えててくれたんだ。じゃあはい、プリン」
「あ、え、ありがと…?」

辞書で好青年と調べればこの人の顔写真が出てきそうな、そんな男だ。先日も中庭でぼんやりしていた俺に飴玉を差し出し、じゃあねと去っていった背中を覚えている。

「食べないの?」
「あ、うん。食べる…いただきます」
「どうぞ」

よくわからないけど、男が食べ始めたから俺もスプーンに手を伸ばした。
柔らかい卵色をすくって口に運べば、控えめな甘さが広がる。喉を通って胃に落ちて、それから漸く俺は今日の食事を忘れていた事に気付いた。

「美味しい?」
「うん」
「そ。よかった」

食べ終わったその人は、ただ嬉しそうに笑って席を立つ。
何のために俺に話しかけ、二度もお菓子をくれたのかはわからない。けど、邪気のないその笑顔はすごく癒されるなぁと思った。

「あり、がと」
「いいよ。君、死にそうな顔してるから、ほっとけなかっただけ」

そんな酷い顔をしているんだろうか。
仲の良い奴らは皆こぞって帰省してしまってて、更に超仲の良い二人から距離を置いている今、俺にそんな事を指摘する人は居ない。
帰ったら鏡見よう。そう思った時には男は居なくて、あぁ名前聞き忘れた、今度どこかで会えたらお金返さなきゃなぁって考えた。

「…かえろ」

ここに居ても、何もする事がない。更に何かをする気力もないのだから、散歩しながら部屋に帰って寝てしまおう。

立ち上がって食堂を出る。
やはり、雪は積もるどころか跡形もなく降るのをやめてしまっていた。

(一人でなければ、埃みたいな雪にでもはしゃげたんだろうなぁ)