10年に一度の大寒波だって、天気予報のお姉さんが騒いでいた。
それ、先週も聞いたなぁって呆れるのも慣れたものだ。
山奥にあるこの学園では、さすが山なだけあって天気が変わりやすい。
街よりずっと寒く、街よりカラリと暑い。
俺は、冬が好きだ。
大寒波が毎週やってきて、凍えた空気がここら一帯を覆い隠してしまえば、きっと雪が積もってくれるだろうから。
雪が積もったら、俺はあの日に戻れたり、しないだろうか。
教えてあげたいんだ。あの日、屈託なく笑う綺麗な人に恋した馬鹿な自分に。
好きになってはいけないよ。
その人は、君のものには、ならないんだから。と。
先週も今週も、大寒波はおろか、雨すら降らない快晴だけれど。
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一年前のあの日とは随分変わってしまったけれど、ずるい俺のせいで一線を越えたあの日とは、何も変わらないまま。
相変わらず俺と頼は、友人のような、そうでないような距離で傍にいた。
「嵐、お前テストどうすんの?」
「うん?俺一夜漬け!」
「アホか。毎日やれよアホ」
「アホって二回も言った!朔慰めて…!」
生徒会室で仕事をしてる最中、俺は呆れ顔の頼から逃げるように朔の背に隠れた。
会長席に座ったままの頼と、資料棚の前にいる俺と朔。今は絶賛お仕事なうだ。
「うーん、頼の言う通りだよ。嵐勉強しようよ」
「朔までそんな事ゆーの?はぁ…飽きちゃうんだよねぇ、一人でしてたら」
「じゃあ誰かとやればいいんじゃない?」
「それだとジャレつきたくなるから、勉強終わんない…」
朔の進言を悉く切り捨てて、俺は持ったままの分厚いファイルを抱き締めた。
勉強会しようよ、と何度か友人達と集まった事はあるが、そのどれもが惨敗だったのだ。誰か一人でも落ち着きのある、頼や朔みたいな奴がいればいいが、そういう奴はそもそも勉強会なんて来ない。よって、ふざける奴らばかりで収拾がつかなくなり、勉強にならないのが常だった。
「ジャレつくって?いつも何してるの、嵐」
「えー。ふっつーにプロレスが始まるよ?お菓子があると最悪。小枝でポッキーゲームとかやりだすー」
「短いね小枝」
「全力で殴ったよさすがにねー」
顔をひきつらせた朔は、それから苦笑する。
そう言えば頼が黙ったままだと、振り返ろうとした時だった。
「なら、俺が教えてあげようか?」
「ん?」
「嵐英語得意でしょ。で、古文が苦手。俺は逆なんだ」
「そーだったんだ!」
「そ。だから、教え合いっこしよう?」
マジ王子。なんて国の王子だよ朔。
キラキラ笑顔に有頂天になった俺は、ガバリと手を広げる。ファイルが床に落ちたがとりあえず無視して、目の前の王子を抱き締めようと一歩踏み出した。
「ーー嵐」
「っ」
それは多分、小さな声だった。
けれど、俺の耳はひとつの音も溢す事なく拾い上げ、頭で考えるより先に動きを止める。
「朔、こいつは俺が教える。お前は他当たれ」
「えぇ、そうなの?まぁ、頼がそう言うなら仕方ないな。科学のノートコピーしてちょうだい」
「はいはい」
変な体勢で固まる俺を微塵も気にする事なく、朔は最後のファイルを棚に押し込んでデスクへ戻る。
そして荷物を持って、じゃあまた明日ねと生徒会室を出て行った。
「最近気付いたんだけどさー」
「何?」
「朔って天然…?」
「今更。とんでもねぇぞ、あいつ」
パタンと閉じた扉を見つめる俺の視界に、鍵を閉める頼の姿が映る。
そして振り返り、目が合って。
その瞬間背筋をかけ降りていった何かを、世間では恐らく快感と、呼ぶのだろう。
「より、」
「お前さ、言ったよな。他の男に触らせんなって」
「うん、ごめんねー?」
「勉強、するなら俺とだろ。一度やってみたかったんだよ、勉強会」
「見てくれるの?今まで誘っても来なかったのに」
「お前だけなら行った」
だこら、そーゆー口説きはやめてくれないかな。嵐くん死んじゃうかもしれない。
頼はまだまだ固まったままの俺に近付き、落ちていたファイルでパコンと俺の頭を叩いた。
「あんま騒がしいのは得意じゃねぇんだよ。知ってんだろ」
「うん。ホント意外だけど頼人見知りするもんねー」
「うっせ。ところで」
にへらと笑いながら真っ直ぐ立った俺の顔に、影がかかる。
ふいの出来事に驚いて目を見張れば、ほんの少し高い位置にある蒼い目が、すぐそこまで迫っていた。
やばい。息が出来ない。瞬きが出来ない。
だって、口が近すぎて、このままじゃ当たってしまうし、それはしてはいけない事で、だから、だから。
「小枝のポッキーゲーム、やってねぇだろうな?」
ふっと上唇に触れた吐息が、ぞわりと鳥肌を立てた。
近いよとも、小枝短すぎて無理だよとも言えないまま、俺はゆっくり瞬いた。
「…なら、いいけど」
頼がそう言って顔を離し、漸く呼吸の仕方を思い出したような気分だった。
指先までが痺れる緊張感が、まだ頭の芯に余韻を残している。
「来いよ、嵐。俺の部屋」
「…今日?」
「今日。明日も、明後日も」
「勉強、するの?」
「色々だろ。…帰んぞ」
頼はそれだけ言って、俺に背を向ける。
頼、俺は誰に祈れば、願えば、この浮遊感から解放されるんだろうね。
(淡い期待ばかり抱く愚かな俺を、どうせならいっそ、)