痺れるほどの冷気に身を預け、仰向けになって見た寒空はカラリと澄んだ青色だった。

ダッフルコートから出た指先が、敷き詰められた雪のせいで赤くかじかむ。それでもそこで転んでいたのは、多分、寒さより幅をとった心地よさから離れがたかったからだ。

そんな俺を呆れた目で見下ろした男は、恐らく冬の空より蒼く澄んだ瞳をやんわりと笑みで細くし、普段より幾ばくか優しい声色で笑った。

「すげぇな嵐の髪。雪の中に赤い花が咲いてるみてぇ」

俺はいつものように軽く言葉を返せずに、ただ、その人を雪の中から見上げていた。

+++

好きな人、いる?

渇く舌を動かして、そう問いかけたのは俺だった。
短くも長くもない片想いは、もう一年になる。

俺と彼ーー相原頼は、共に進級し、一緒に生徒会なんてものに入って、進みも戻りもしない友人関係を築いていた。

透き通った金髪に、蒼い瞳。学園1イケメンと名高い頼は、名前の通り頼り甲斐のある、男から見てもかっこいい男だった。

好きだ、と思ったって、俺は何も言わないつもりだった。
叶わない恋を告げて友人関係を壊したくはなかった。二兎を追ってはいけない。手を伸ばして掴めるものを、俺は手離したくなかった。

「嵐?何、急に」

頼はソファで携帯を弄りながら、ふっと俺を見て笑う。
床に座って雑誌を捲るフリしていた俺は、その苦笑に笑顔を向けた。

つい口を出てしまった問いだった。こんな事を訊くつもりなんてちっともなくて、でも動揺すると変に思われるから笑うしかない。

「やー、なんとなくさぁ、頼最近変だなぁって」
「どこが?」
「よく携帯見て笑ってるしー。俺の天性の勘が閃いちゃった気がするんだよね!」
「アホなのにか」
「アホはアホでも使えるアホだよ俺」
「アホだな」

吹き出して笑う頼は、携帯を閉じてソファに沈む。それからやんわりと目を細め、溜め息を吐いた。

「好きな奴な…居たらどうすんの」
「え」
「訊いてきたのは嵐だろ。何、そのすっとぼけた顔」
「い、や…いやいや、だって、頼、男に興味ないって言ってたじゃん?」
「なんで男だと思うんだよ」
「ここ男子校だよ?最近外出てないよ?俺ずっとつるんでんだからわかるよ?」

ヒヤリとした背筋を悟られないよう、矢継ぎ早にクエスチョンマークを飛ばす。
好き、と。伝えるつもりはない。それは頼がこの学園では珍しいノンケだという理由もあったからだ。

その根底を覆されて困るのは、他でもない俺自身だった。
男だからと諦めていた恋に、男でも大丈夫だなんて期待を持たされるのは、勘弁してほしかった。

「何、俺に好きな奴が居たら困んの?」
「うん、困る。…俺遊んでもらえなーい」
「アホ。遊ぶに決まってんだろ」

はっと鼻で笑った頼は、面白くなさそうな顔で携帯を撫でた。
そこには、誰の連絡先があるんだろう。じりじりと胸を焼く嫉妬は、この一年で慣れたもんだった。

頼は目線を漂わせ、思案するように俺を見下ろした。
蒼い瞳が何を考えてるのかわからなくなって、逃げるように雑誌に向き直った。

「好きな奴、いるけど」
「…うっそ」
「マジ。…全然相手にされてねぇけど。普通に男」
「誰?」
「教えねぇ」

鼓膜を震わせた笑い声は、自嘲気味だった。
斜め後ろの男はそれきり黙りこんでしまう。俺は雑誌のページを捲る事なく、詰めていた息を吐いた。

「ありえないね、頼が相手にされないとか」
「そういうもんだろ。もう今更、好きだなんて言えねぇんだ」
「片想い、長いの?」
「…季節は一周まわってんな」

愕然とした。
俺は一年と少し、この男に恋をして、ずっと傍にいたのに。
それと同じだけ誰かを想っている事に、今の今まで気づかなかったんだ。

「嵐は?いねぇの、好きな奴」

煮えたぎった嫉妬が焦げ付きそうな俺に、そう問い返したのは頼だった。
胸が痛い。頼だよ、と言える勇気が俺にはなかったからだ。

「…そりゃ、いるけど」
「は?聞いてないけど」
「それは俺の台詞だしー。…頼、男同士の話なんて聞きたくないだろーなって、思ってたから」
「誰?」
「教えない。頼が言ったらね」

軽い声を意識して言ったおかげで、頼は俺の揺れ揺れの感情には気づかなかったらしい。パタンと雑誌を閉じて、頼の隣に座る。友達同士の距離は、いやに広くて心細い。

いいなぁ。どうして頼の好きな人が、俺じゃないんだろう。
ずっと一緒に居たのに、俺じゃ彼の心はもらえないんだろうか。その好きな人と俺だったら、絶対俺の方が頼を好きなのに。

「ねー頼」
「何?」
「傷の舐めあいっこしよーよ」

立てた膝に顎を置いた。頼が驚く気配が伝わってくる。

今までは、頼はいつか女の子と付き合って結婚とかするんだろうなって思ってたし、それなら天地がひっくり返っても俺には勝ち目なんてないなって、諦めてた。
けどさ、頼の好きな人が男なんだったらさ。

ちょっとだけ、俺にも頼をくれないかな。

「どういう意味だ」

頼に顔を向けると、真剣な表情が俺を射抜く。
ともすれば怖くて泣きたくなる自分を叱咤して、俺はゆるりと笑みを浮かべた。

「俺も、好きって言えないんだ。失恋するってわかってんの。でも、ずっとさ、大好きで…ホント、好き過ぎて頭おかしくなりそーなくらい、好きで」
「……」
「だから…慰め合いっこしよーよ。で、いつかこの恋を諦めれたら、酒の肴にしよーよ、この話を」
「お前、」
「頼、セックスしよーよ」

言ってしまった、と思った。

絡み合う視線が、俺の心を絞りとっていく。大きく早く動く心臓を悟られないよう、ぎゅっと膝を抱いた。

ずるいなって思う。
結局は身体だけでも欲しいって思ってる俺は、それでも友達としての頼を無くしたくないんだ。
どんな形でもいいから、頼に触れたかった。そういうもんだろ。そうしたらいつか頼に恋人が出来た時、祝福してあげれるような気がした。

頼は黙ったまま俺を見つめ、やがて大きな溜め息と共に目を逸らした。
拒絶されるならば、冗談だと笑い飛ばさなければならない。その見極めを間違えたら、俺は頼の傍に居られなくなるだろうから。

けれど、頼の発した言葉は想像と少し違っていた。

「お前、受け身なんてやった事ねぇだろ」
「え?」
「俺は無理だぞ、受け身にまわんの」

それは、つまり、俺が受け身に回るならばいいと言う返事なんだろうか。それとも、受け身に回るのを嫌がると見越した、拒絶なんだろうか。

でも、そんなのどっちでもよかった。
いの一番に「無理だ」と言われなかった事実が、俺の背中をバシバシと押していた。

「ぜ…全然いいよ、俺後ろ初めてじゃないし!」
「…んだと?」
「経験あるんだから俺が下のがいいよね。慣れてるから自分で準備出来るし!」
「慣れてる…?」

ぐ、と低くなった頼の声が、怒りに染まっていた。
それに気付いた瞬間、さっと血の気が引いていく。怒りの理由なんてわからないけど、俺の発言が原因である事はわかる。
もしかしたら、友人がそういう事を慣れてるって言ったのが気持ち悪かったのかもしれない。

本当は口から出任せで、俺は未だに童貞処女だけど。

「あ、と、ごめん。やっぱ、俺じゃ慰めらんないよね」
「嵐」
「ごめ、え?」

突然肩を掴まれて顔をあげる。
思った以上の至近距離にあった蒼い瞳は、どこか欲を含んでいた。

「慰めてやるよ。だから…てめぇも俺を慰めろ」

どうせ、好きな奴には振り向いてもらえねぇんだから。

心底蔑んだ目と心を抉る言葉が心地よかった。結局俺は、頼からもらえるものだったら何でも欲しがる貪欲な男なのだ。

どうせ、振り向いてもらえない。
どうせ、頼は俺のものにはならない。

どうせ、…俺は頼に、好きだって言えない。

「…任せてよ。ベッド、いこ」

頷いた頼と、寝室に向かう。
心臓はバクバクと喧しく騒いでくれるから、こんな事やめた方がいいよって泣く良心の声が聞こえなくてすんだ。

「ねぇ頼、好きな人に出来ない事、しよ」
「…あぁ」
「その人の名前、呼んでもいいよ」

俺は笑えていただろうか。
いつものように、軽く、ふざけた調子でいただろうか。
好きって気持ちが、伝わってしまってなかっただろうか。

泣かないで、頼と、居られるだろうか。

(少しだけ、少しだけください、ほんの少しだけで、いいから)