流されてる。
流されてるぞ俺、しっかりしろ。

椎寺陽、大学二年生。

現在、番犬様のお家のお風呂で体育座りなう。


【あなた専用】



腕を動かすと、ちゃぷんと水紋が出来てゆらりとまた穏やかさを見せ付けた。
幼稚園の頃、水に慣れさせる為に皆でビニールプールを囲み、誰が一番面白い模様を作れるかなー?とはやし立てられて必死にジャブジャブ腕を動かした記憶が蘇る。
陽君それ水飛沫だねーと先生は笑っていた。でもその先生に淡い恋心を抱いていた俺は、自分の手元を見て先生が笑んでくれただけで嬉しかった。

あの頃の純粋な俺、どこへ行ったんだ。
少なともこんな、こんな、こんな…っ!

「変態男を大人しく風呂で待つ俺…ないなこれは!!」

変態のへの字を口に出した後はすぐ声のボリュームを下げた。だって思ってたより響いたんだもん聞こえたらやばいじゃん俺死亡フラグ!

高校の卒業式から、番犬様こと志方将也は今も変わらず、何をとち狂ったか俺のケツを追いかけ回している。男の、しかも俺みたいな普通野郎のだ。

親友の旦那様、大河内柚輝様や割と天使な羽田太郎様と並んでも引けを取らない彫刻のような男前。すらりと伸びた身長に小さい顔、あまり話さないから目立つ事はないが、実は滅茶苦茶いい声の持ち主。
脱げば腹筋割れてるし、思春期の名残はと背中を確認してもニキビ跡一つない。頭もいい。これはやる気になればの話しだけど。

そんな天の加護を受けまくりの腹立たしい男なのだから、別に俺じゃなくとも、いい女も男も選り取り見取りだろうに。

…まぁ、黙って立っていればの話しだったりするけどな。
そりゃ彼女でも出来たら解放されるかなと目論んだ事もあるが、あの人に自分の紹介したいたいけな女の子が餌食になるのかと思ったら実行に移せなかった。あの人と渡り合える程変態な女の子なんて、そんじょそこらには転がっていないのだ。

「ケツの形、かぁ…」

ケツの形が好き。
いいケツ。
ケツ揉みたい。

普段あまり話さないあの人が口を開くと、大抵はこの3つがお目見えする。
しかも何か視線を感じると思って振り返ると、あの人はそれが例え道の真ん中であっても堂々と俺のケツに熱視線を浴びせているのだ。

もうケツだけ誰かと交換したい。
俺がそう泣くのも致し方ないだろう。
けれど、けれど聞いてくれ!

俺はまだ!バックは新品なのだ!

「あれ?奇跡じゃね?」
「何が?」
「俺が処女な事ぎゃあああっ!」

ナチュラルに返事をしてしまい叫ぶ。
浴槽の端に背中をぶつけ、先程まで穏やかだった湯船は激しく水音を立てうねった。

ガラリと扉を開いて入って来た番犬様は、無言でシャワーを捻り頭から湯を被る。今日も素敵な腹筋ですね、ちょっとエロい。

「非処女になっとく?」
「遠慮します!」
「じゃあケツ揉みたい」
「あなた様そればっかですね!!」

てめぇの脳内それしかねぇのか!
言いたい事の半分弱を込めた丁寧な言葉を返す。だってほら怒らせたら無理矢理とかそんなオプションあるかもしんないじゃん。

番犬様はきゅ、とシャワーを止めて、小さく笑う。何が可笑しいんだと身構える俺を端に寄せて、ざぶんと湯船に入ってきた。

「こっち」
「そっちあっちどっち!」
「うるさ」
「ぎゃ!」

体育座りを更に頑張って小さくし、出来る限りの距離を取る俺の腕を引き、番犬様は満足げに息を吐く。
ちょい待て。ステイ。番犬様オン俺。ふざけんな変態…!

「陽嫌がるから」
「、え?」
「抱いて泣かれるのは好きじゃない」

離れようとした俺の肩を抱いて、番犬様のでっけー手がポンポンと後頭部を叩く。
でかい男が二人風呂で抱き合って何やってんだ。そう思わなくもない。
けど、冷静になればなる程、俺の方がおかしい事に気付く。
出会った頃なら、こんな風に大人しく風呂で待機なんてするはずないんだ。じゃあどーゆー事だよ。
わかってるから言わせないでくれ…!

「…あなたは、ケツが好きなんでしょ」
「うん」
「じゃあ、…俺じゃなくて、いいんでしょ」

いやだな。ふてくされた子供みたいな声。駄々っ子丸出しだ。

「じゃあ陽」

濡れた髪を緩く引かれて顔を上げる。
見慣れた仏頂面。片側だけ長い前髪の下に、消えない喧嘩の跡があるのを知っているのは、俺の他に何人いるのだろう。

「お前は、キッカケなく人を好きになれるか?」

静かな問いだった。会話が成立している。
クエスチョンがあり、アンサーを求めている。それだけで不思議と目の前の男に関する情報を得た気になる。

「何年もケツしか好かれてないって、本気で思ってるのか?」
「思ってました!」
「非処女にしてやる」
「ぎゃー!」

馬鹿正直に手を上げて答えると、くわっと怖い顔をした番犬様に耳朶を噛まれる。痛い痛い、ちょ、痛いってばマジで!

「いた、痛いっす!」
「好き」
「っ、」

離れた歯の代わりに今度は低い声が鼓膜を震わせる。
まだ痛い方がマシだったかもしれない。優しく背中を支える腕も、今まで無理矢理事に及ばなかった意味も。

「陽も、そうだろ?」

俺を見つめる視線が孕んだ色も。
気づかなければよかったのかもしれない。


コクンと頷いてしまった俺はあろう事か番犬様にマウスとぅーマウスをかましてしまいサカられて大変な思いをするのだけれど。

うん。まぁ。
終わりよければ全て良しって事で。

「ケツも好き」
「はいはい」

END


(あなた専用"オレ"!)


将也の好みは、スキニージーンズを綺麗に履けるケツなのです。陽のもやし体型が仇となった。