ふ、と。
しつこく耳に残る遊依の声が聞こえて居ない事に気が付いて立ち止まった。
三回お願いされたら手を引いてやるのも悪くはないかと思っていたのに。
「あ?」
振り返って目を凝らすと、目立つヘアバンドがチラリと人垣の隙間から覗いた。雑踏に混ざって怒鳴り声も少し、聞こえる。
喧嘩か?と野次馬が足を止めているようだった。
「…にしてんだあのアホ」
手のかかる奴。
そう溜め息をつくと同時に、俺の両足は忠実に来た道を戻り始めていた。俺って案外正直な奴。
「えー、じゃーカラオケ行こ?奢るからさ」
「いらんわ!誰がお前と行くかボケ!つか離せって」
「だって離したら逃げちゃうじゃん。俺好きなんだよねー、君みたいなタイプ」
くすんだ金髪野郎の背中と、そいつに腕を捕まれた遊依。
明らかに嫌そうな顔をしているにも関わらず、金髪野郎はしつこく食い下がっているようだ。
そいつの肩越しに、嫌悪と歯痒さで顔を赤く染めた遊依が、苛々と睨み上げている。
背後近くに立った俺と目が合った瞬間、その吊り上がった目がふいに潤んで、眉を垂れた。
なんだ、可愛い顔も出来んじゃねーか。
「残念だなクソ野郎。遊依は俺みたいな男前がタイプなんだよ」
くすんだ色の後頭部をがっしりと掴み、そのまま横に力一杯放り投げた。
体制を崩したそいつが慌てて振り向いた時にはもう遅い。
「せん、」
「これ俺の」
遊依の頭を引き寄せて抱き込むと、首の下辺りに収まった耳が瞬時に赤く上気した。
目を丸くする男に笑い返して、道を開けた野次馬達の間を通り抜ける。
盲人用信号機から流れる間抜けな音楽だけが、辺りに響いていた。