馬鹿には四人の姉が居る。

長女花純(かすみ)30歳。
人妻の花純は実家の近くに尻に敷き済みの旦那を脅してマイホームを建てさせ、馬鹿の様子を足しげく見に来ている。
近所でも有名な恐妻の彼女の名前の由来であるカスミソウ、花言葉は「清らかな心」である。

次女蘭(らん)29歳。
両親亡き後会社を継ぎキャリアウーマンとしバリバリ働く彼女は、週に一度馬鹿に洋服を送るのが趣味だ。社内では鬼社長と恐れられている彼女の名前の由来である胡蝶蘭、花言葉は「清純」。

三女芙蓉(ふよう)28歳。
一番実家に居る率が高い彼女は漫画家で、記憶に新しい麻婆豆腐の姉は芙蓉である。ゴウが一番のお気に入りで、弟はアンポンタン受けだと豪語する辺り書いている漫画のいかがわしさが匂う。
名前の由来である芙蓉の花言葉は、「繊細な美」。

四女椿(つばき)27歳。
蘭の会社で平社員を勤める彼女は、何故かいつも上司に敬語を使われている。一番馬鹿と顔が似ている為とても愛らしいが、見た目に騙された同期の男性社員がこぞって会社を辞めていく不思議な魔力を持っているらしい。疲れた時は弟の布団に包まると休まるのだとか。
名前の由来である椿の花言葉は、「控えめな美徳」「最高の愛らしさ」。

四人の癒しは馬鹿な弟。
好きなタイプは弟よりも馬鹿で可愛い男。
両親が付けた優しげな名前に見合う女性になるには、些か無理があったようだ。


【暴君と無口時々策士】



何故だ。

「よーくかんがえよおー、馬鹿はかわいいよおー…あ、語呂合わねぇな。…じゃねぇ!!」

手先で流行りの無料携帯ゲームをしながら、懐かしいCMの替え歌をありえない歌詞で歌った自分を殴りたくなった。
だがそんな事をすれば痛い思いをするのは自分なので、結局携帯を逆向きに畳むだけに留める。

そして俺は思うのだ。
この一連の動作が何度目か、と。

確か最初は某忍者漫画の17巻を破いた。次はゲーム機のリモコンを床に叩き付け、粉砕。それから珈琲カップを投げた。この携帯は、何台目?

ゲーム機のリモコンとカップは俺のものだから少し涙が出そうになったが、漫画と携帯はさっき一階で下っ端から巻き上げたものだからダメージは少ない。
まぁそりゃ泣かれるだろうが、やっちまったもんは仕方ないし。

俺が一番ダメージなのは、それに至るまでの思考回路だ。

「…っくそ」

頭をガシガシ掻き回して、ソファに思い切り体を投げ出す。
窓際だから外がよく見えるはずなのに、そこからは曇り空の憂鬱な景色しか見えなくて余計苛々が募った。

午後から雨が降ると気象予報士が言っていた通り厚い雲の下、路地を歩く人の手には傘が持たれている。
こんな空模様だというのに、集団で笑い合う学生達にはそんな事全く関係ないみたいだった。

大学生は暇で困る。
ゴウや馬鹿チビみたいにこの時間まで学校に通っていれば、面倒臭いが気は紛れたかもしれないのに。

「もうすぐ来んのか…来んな、馬鹿」

あの日。馬鹿を送った挙げ句同じ場所で一夜を明かしたあの日。
ずっと思い出すのはその事だった。
そもそも思い出すというのは語弊かもしれない。そう言えてしまう程常に考えているのだから、これはもしかしたら始末におえない状況な可能性もある。

あの広い家で、一人。
あんだけ美味い飯が作れるようになるくらい一人でいたから、あいつは帰ろうとした俺に無意識に擦り寄って来たのか。
そうだったとしたら何かムカつく。
俺だったから擦り寄って来たんだと、馬鹿正直に言わせたい気分だった。

「んでだよ、俺ぁホモじゃねぇ」

言わせてどうする。
意味のない優越感に浸りたいのか、そもそも本当にそこに意味はないのか。

あったらどうする。
…一生の不覚でしかない。

男に求愛されて喜ぶ趣味なんて、持った事はない。

「総長」
「あ?…ゴウか。何だ」

音もなく(言葉のアヤではない。本当に音を立てなかった)今俺が居る二階の部屋の扉を開いたのはゴウだった。慌てて視線を遣った自分を何を期待していたんだと口汚く罵りたい。
相変わらず何を考えているかわからない仏頂面からまた路地へ目を向ける俺に、あまり会話らしい会話を交わした事などないはずなのに馴れ馴れしく、ゴウは口を開いた。

「読む」

何をだ。


訝しげに見ると、奴は手の中で綺麗に鶴の形をしたものをこれまた丁寧にただの紙に戻していく。
開く事前提に折ったんなら、それは無駄な労力でしかないだろうに。
そしてゴウは、感情のない声色で淡々とそれを音読した。

「今から質問する。総長は答えろ」
「えらい上から目線だなおいコラ」
「総長元気か」
「無視とはいい度胸だな舎弟如きが」
「総長はあの馬鹿をどう思ってるんだ?」

仮にも総長に向かって。それ以前に自分は彼らからして年上だ。
態度はともかくも敬語くらいは使うべきではないか。それかどれだけ崩れていたとしても、だ。
馬鹿をギリギリ可愛い方の幹部だと称するならば、ゴウは勿論可愛いげのない方の幹部である。
まぁ、こんなにも長く言葉を発するゴウを見る事は後にも先にもなさそうだから新鮮味はあるが。それとこれとは別。

一度痛い目に合わせておくかと睨みつけたはいいが、だがしかし、開いたはずの俺の唇は何の音も奏でずゆっくりと閉じられた。

真っ直ぐに俺を睨むゴウと、睨み返す俺と。
長いようで短い沈黙でお互いの腹の中を探ろうなど、無理があるとわかっていたのに。

「好きなのか、好きじゃないのか」
「何が言いてぇ」
「どちらにせよ答えてやる気があるのか、ないのか」
「あってもなくてもてめぇに関係ないと思うけどな」

明確な答えも、それに行き着く方法すらも見当たらないのだから、どっちも無理な話なのだ。
むしろ探している途中なのにこうして横槍を入れられる事が腹立たしくて堪らない。
つまり現状としてあの馬鹿を放置しているのに代わりはないが、それを指摘される謂れもない。

「誰かに取られても知らないよ」
「黙れ」
「と、書いてある」
「ちょ、作戦と全然ちがーう!」

グシャリと鶴だった紙を握り潰したゴウの後ろで、今度はちゃんと音を立てて扉が開いた。些か喧しいが、この方が気味悪くなくて安心する。
薄々そうだろうなと思っていた原因であるヨシが、慌ててゴウの背後から紙を取り上げた。

「……ヨシ」
「あははー、ま、そゆ事だからー。ほら、ゴウ行くよー!」

ヘラリと笑ってごまかそうとするヨシはゴウの腕を引いて階下へ戻ろうと促す。
大方、ヨシ的面白い方向に俺とあの馬鹿が道を踏み外すようにと願っての事だろう。迷惑極まりない。
白けた視線で二人が出て行くのを待っていると、突然ゴウがヨシの手を振り払いこちらへ振り向いた。

「総長」
「あ?んだよ。作戦は練ってから来やがれ」
「本当に知らないから」

キィンと耳鳴りがする。
それは恐怖すら感じる程の静けさに室内が包まれたせいか、ゴウの声を頭が理解するのを拒んだからか。

「あんまり酷いと、先に手を出す」
「ゴ、ゴウ…?どったのさー、いきなり…」
「あれが俺のモノになっても、」

ヨシが緩く目を見開く。
俺はと言えば、呼吸をする方法を忘れたように体が動かないでいた。


「あんたに文句は言わせない」


(殴り殺したくなる衝動の、意味は)
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