宿題を全く提出しない馬鹿だが、過去に一度だけ、彼の全体力気力時間を注ぎ込んで制作した作品がある。
小学五年生の夏休み、自由研究だ。

たまたま激しくド派手に転んだ馬鹿は、何を思ったかその膝小僧の傷を、

カサブタが消えるまで

と称して、毎日毎日ポラロイドカメラで写真を撮り、冊子で纏めて提出したのだ。

当時、馬鹿を担任した新任教師は涙した。

出来栄えは素晴らしい。が、現代の子供の思考とはこんなにも夢がないのか、と。
廊下に飾っては下級生に怯えられる可能性もあり、でもキラキラした目で褒め言葉を待つ馬鹿は目の前に居るし。

担任は悩んだ。

ひたすら悩んだ挙げ句、もう少し真っ直ぐな方向に純粋な子供と接したいと、保育士になった。

馬鹿が宿題をしなくなったのは、それからである。


【馬鹿とよびかた】


「革命」
「革命返しー」
「ぬぉぉぉっ!革命返しを革命返しー!!そして上がりー!俺すごい俺最高俺天才!」

大富豪
それはすなわち
青春だ

してやったり顔のヨシさんに便乗して四枚のカードをテーブルに叩きつけると、ゴウと二人面白くなさそうな顔をした。
ふふん、その悔しさを押し殺すプライドと表情筋は尊敬するが、それすらも俺の勝利を煽るものだと思い知るがいい!

「あー面白くなーい。馬鹿のくせにー」
「俺お金のかからないゲームは激つよなんですよふふふん!」
「あー、その顔捻り潰したいなぁ」
「負け惜しみですかヨシさん!あ、ごめんなさいごめんなさいその手引っ込めて下さいお願いします」
「プライドないのか」
「ないね!」

プライドでお腹膨れるなら振りかざしてみせるけれども、俺は何より自分の顔と服装が大事なんです。

咄嗟に頭を散らばったトランプに擦りつけるように下げると、意外と節くれだったヨシさんの手の平が不服そうに引っ込んだ。
一命を取り留めた。これを人は九死に一生と呼ぶのだ。

「もー面白くないからやめ。ねぇ、総長起こして来てよー」
「えぇ!?俺がですか!?」
「何さー、嫌なのー?」
「遠慮と欲求の狭間で揺れておりますが!」
「ならいいじゃーん。欲求に忠実に寝顔でも拝んでおいでー」
「うおぉぉぉー!!行ってきます隊ちょ、…あっ…」

ニンマリしたヨシさんに煽られるまま気分の高まりを伝えようと、ソードマンポーズから流れるように目潰しピースをヨシさんに向ける。
いつもは驚いたヨシさんに怒られるのだが、今日は手の平ごとパチンと叩き落とされてしまった。

行き場の無くなった腕は寂しげにブラリンチョ。俺の気合いも収まらずにブラリンチョ。

「…いってきます」
「え…キミそれだけでこんなに凹むのー…?」
「馬鹿だから」
「あー成る程ねー」

ケラケラ笑う声を背に、俺は階段をミシミシ昇る。
いいんだい。気合い入れようが入れまいが総長の麗しき寝顔が俺を癒してくれるさ。

不完全燃焼した気分が燻るのはこの際無視だ。帰り道にでもどっかのヤンキー集団に突っ込めばいいんだ。
ヨシさんなんて…ゴウなんて……っ!!

「犬のウンコ踏んじゃえばいいんだー!!!」


「馬鹿だ」
「馬鹿なりにダメージのある出来事を模索したんだねー」

+++


起こせと言われたものの煩くして寝顔を見過ごしたくない俺は、細心の注意を払いながら二分十四秒程かけて扉を開閉した。
物音一つ立てずに閉じた扉の内側に入り込み、窓際の陽辺り最高な場所に設置されたなっがいソファに横たわる人物を遠目に眺める。

あぁ、これは絵画だ。芸術だ。

冷たい視線は瞼の下に成りを潜め、濃い睫毛が揃った縁に陽射しが当たってキラキラと輝いている。
黒い髪の毛まで輝いて、いつものダークな愛しの総長がやけにきらびやかだ。

「かっこいー…」

思えば最初、俺がまだペラペラのぺーぺーだった時、初めて参加した大きな喧嘩で総長をちゃんと見たんだ。
真っ黒い特攻服は一見、夜に紛れて目立たないはずなのに、俺にはこの人の後ろに後光が見えた。

そして、ぼーっと見すぎて殴られそうになった危ない時颯爽と現れ、俺に背中を向けたまま相手チームの奴をぶっ飛ばした総長は、振り返って言ったんだ。

……えっと、

「何だっけ?」

ニコリともせずに高い場所から俺を睨みつけた表情だって今も覚えているのに、あれれ。

「思い出せないぞぉ…………………………まいっか!」

きっとあんまりにも格好良かったから、これ以上メロメロにならないように頭が制御しているに違いない。

そう纏めた俺は、音を立てないよう靴を脱いでそろそろとソファへ近付いた。

遠目から見ても格好いい総長。近くで見たら殺人的です総長。
なんですかその格好よさ。もしやハーフですか?

「そうちょー…?」

今日はこの後どっかで喧嘩する予定だなんだとヨシさんが言っていたから、本当なら声を張り上げて揺り起こすべきなのだろう。
けれど無理。俺には無理ですヨシさん。
この神懸かった寝顔を俺の手で崩すなんて、そんなそんな!

俺死刑!

見下ろすのもなんだかいたたまれなくて、でも触るに触れないからとりあえずソファの横にペタリと座りこんだ。
ぐっと近くなった距離のせいで、珍しく香水の香りが漂う。
でもそれは少し、甘めな。

「そーちょー、彼女…?」

うおぉそれって何だが嫌だなぁとか、胃がきゅぅぅと締め付けられるみたいなこれ何なんだとか。

相変わらず陽射しに埋もれる総長は綺麗なのに、俺の勝手な想いのせいで汚れたらどうしようって不安になった。

どんどん欲張りになってってるのは俺にも自覚はある。
前までは同じチームで居られればよかったし、幹部になってすごくすごく近くなったのも死ぬほど嬉しかった。
なのに、最近の俺は自覚する程酷い。

気持ちだって伝えれたし仲間で居られるし。
そんな恵まれた事ないはずなのに、香水一つで嫌な気持ちが生まれてしまう。

「総長…ごめんにょ…悪気はないつもりなんですけど…俺も一応男だったみたいっス…」

いやもうホント申し訳ない。
そんな気持ちに苛まれながら寝顔を見つめていると、何の前触れもなく総長の瞼がパッチリと開いた。いや、少しでいいから唸るとかしてほしかった。俺の心の準備が!

「…何やってんだお前」
「いえ決して寝顔を見に来た訳ではありませんよ!」
「見に来たんだな」
「違いますよあわよくばマウストゥーマウスなんて思ってませんよ!」
「してねぇんだな」
「ちょ、何故にそんな拭ってらっしゃるの!?」

ゴシゴシとこれみよがしに唇を袖で拭いた総長は、長い溜め息をついて腕で目元を隠した。
総長は眼光が見えないだけでグッと優しげに映るんだ。別段笑みを浮かべているわけでもないのに。

それが俺の色眼鏡のせいなのか、総長の顔立ちのせいなのか、フィルターのかかった俺にはわからなかった。

「ヨシさんが、もう起きろって言ってます」
「揃ってんのか?」
「店にはヨシさんとゴウだけです。トキ達は現地集合だって聞きましたけど」

起き上がった総長は、ふるりと一度頭を振って床に足をつけた。
その動作を見守る俺を見て、ポツリと。

「お前、ヨシとかゴウとか、下っ端は皆名前覚えてんのか」
「え。まぁ、はい。俺馬鹿だけど名前覚えるのは得意なんですよ!」
「俺全然覚えてねぇわ」
「総長らしい無関心さ!素敵です!」

総長が首をまわす度に、コキリと小気味いい音が鳴る。
作った拳を高く上げたままの俺が鬱陶しかったのか、思いの外強い力で叩かれて上半身がよろけた。

「俺の名前は覚えてんのか?」
「え?」
「まさか、総長って名前だなんて思ってねぇよな」

意外な質問に思わず固まる。
そのままの体制で見上げた総長は、楽しいですと言わんばかりに唇を歪めていた。
ううん、素敵!その小馬鹿にしたような笑顔堪りません!でも質問がいただけません総長!

「そ、んなそんな…俺ごときが総長のお名前を口にするだなんて烏滸がまし…い…」
「おい。語尾が小さくなってんぞ」
「うはは!下に降りましょうか!ヨシさんが寂しくて泣い」
「マジで知らねぇとか、んなこたねぇわな?」

たらーん。
冷や汗が背中を伝う気配。
立ち上がりかけた俺の頭を力一杯手の平で押さえた総長を上目に伺うと、笑顔は成りを潜め代わりに不機嫌そうな眉間のシワのオンパレード。
ちょ、俺絶対絶命ですかそうですか。

だがしかーし!

「総長は総長ですーーーっ!」
「あ、こら!チビ餓鬼!」
「愛してますー!」

戦う、魔法を使う、アイテムを使う、逃げる。
俺が総長とエンカウントして使えるコマンドは最後の一つだけだ。
チビは男として少々困る事もあるが、大抵の場合俺はそのハンデをフルに利用する事が出来るのだ!
ずざーっと逃げ出した俺の背中に怒鳴り声が聞こえたが、ごめんなさい総長、レベルを上げて出直させて下さい。
このまま大敗してゲームオーバーとかシャレになりません。だって人生にセーブポイントはないから!
…今の俺かっこよくね?

「あ、…キミ!どこ行くのー!」
「レベル上げしてきますー!」
「はぁー!?」
「教会に強制送還されたくなーーい!!」


(だってだって、あなたの名前一つで俺は、きっと愛しさに泣いてしまう)
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