これ程までに人を憎いと思ったのは初めてだった。

なぁ、その首


絞めてもいいか

【hatred】

手荒く振りほどかれた手が、じんわりとした痛みを感じ始める。
先程まで和やかに隣で笑っていた存在は、いっそこの世の終わりだと嘆くような顔で、背中を見せた。

「木津、行け」
「え、シノ先輩は、」
「イロ連れて寮に戻れ。俺も用が済んだらすぐに帰る」

立ち上がった木津は混乱していたようだったが、早く行けと背中を押すとすぐにイロを追って走り去った。
一先ず木津に行かせておけば安心だろう。イロはあれで運動神経がいいから追いつくのに苦労するかもしれないが、逃げ続けたとしてもまぁ恐らく木津の体力勝ちだ。

「ちょ、待っ」
「てめぇは行かせねぇよ」
「っ…!何だよ!離せ!」

木津に続いて後を追おうとした男の腕を掴んで引き留める。
焦ったように振り返ったその顔には、ありありと煩わしさが浮かんでいた。

そこそこ力もありそうな奴だが、こちとら何年も喧嘩で鍛えているのだから力では負けない。
そもそも、こいつには何が何でも全てにおいて勝っていたいと幼稚な闘争心がざわめいた。

「お前がレンか」
「はぁ?だったら何だよ!」
「へぇ。お前が」
「あの!」
「ぁあ?」

クソ野郎の影から顔を出した女が、若干青ざめた表情で俺を見上げる。
思わず低い声が出たが、怯えながらもその女は口を開いた。

「ここじゃ、人目が………移動、しませんか、お話があるん、です」
「アズ、こんな奴にっ」
「レンちゃんは黙ってて!追い掛けたってイロちゃんは戻ってこないよ!」

ぐっと口ごもったクソ野郎は、静かに俯いた。中々尻に敷かれているようだが、どうでもいい。
俺は腕時計で時間を確認してから、女に向かって頷いた。

「だりぃなクソ…着いて来い」
「わかりました。それと…追い掛けませんから、レンちゃんの腕、離してあげてください」

恐怖からか、女の声は震えている。
掴んだままの腕の下、垂れ下がった手はキツク掴み過ぎたせいか変色しかけていた。

謝罪する事もなく解放して、店を出る。
今にも追い掛けそうなクソ野郎の服を今度は女がしっかり掴んで、後ろを着いて来ていた。

コイツがレン。
イロの心の中で踏ん反り返る男。
痺れた腕を摩る姿が、いい気味だと帽子を引き下げてほくそ笑んだ。

+++

デパートを出て携帯ショップへ向かい、イロの新しい携帯を受け取る。
無言のままの空気など気にせずに、近くにあった喫茶店へと二人を促した。
カランコロンと陽気なベルが鬱陶しい。本当ならばあのまま、楽しそうなイロを見ながら帰って、今度は二人で出掛けようと約束を取り付けるはずだったのに。
そしてまたはにかむイロを独占出来たのに。

奥まった場所にあるテーブルを案内される前に陣取り、向かいに座った二人を見る事もなく店員を呼ぶ。
注文は俺の独断で珈琲三つ。聞いてやる義理はない。

俯く女と睨んでくるクソ野郎をまた放置して、イロの携帯を取り出して起動した。
こんな奴らの顔を見ているよりも、イロの持ち物を弄っている方が何倍も幸せだ。きっと、イロは俺が触ったって文句一つ言わない。
むしろ恥ずかしそうに、唇を尖らせるだけ。

「携帯持ってなかったのかよ」
「あ?イロのだ」
「っ!何であんたが勝手に触ってんだよ!つか何だよその態度!帽子くらい取れよ、常識だろ!」
「レンちゃん、落ち着いて…」
「うるせぇよ!やっと、やっとイロに会えたのに…っ」

視界の端でクソ野郎がいきり立つ。ガキ臭い言動にヘドが出そうだ。こんなんに捕まってたなんて、イロも大概お馬鹿チン。
引き続きがなるクソ野郎を無視して順調に電話帳の000欄を俺に設定し、帽子を取ってテーブルに落とした。
帽子のせいでいつもよりへたる髪をぐしゃぐしゃと掻き回して、クソ野郎を見る。

驚愕に目を見張る二人の姿が妙に笑いを誘った。

「AZUMA…」
「え!?ど、どうして!?」

女の性か、ミーハーなのか。
現状も忘れて頬を上気させる馬鹿な女には一概もくれず、クソ野郎だけを見つめる。
始めは驚いていたそいつも、徐々にまた俺をキツク睨みだした。

「テレビん中じゃヘラヘラしてるくせに…随分乱暴者なんだなアンタ」
「あぁ、てめぇが気に入らねぇからな」
「芸能人の外面貼付けてイロをたらしこんだのかよ」
「妄想も大概にしな」

一々この男は低脳で笑える。
背もたれに体を預けて足を組むと、ハッと我に返った女が慌てだした。

「あ、あ、あの!私は住吉梓(すみよし あずさ)と言います!こっちは新宮蓮(しんぐう れん)」
「興味ねぇよてめぇらの名前なんざ」
「なんだと!」
「レンちゃん!もういいから黙っててよ!」

挑発に乗りやすい。そこまで熱くなるのはイロの為?
だがそうやっていきり立つ度にイロの情報が遠ざかっている事に気付かないのはガキくさすぎて滑稽だ。
女は立ち上がりかけたクソ野郎の服を下に引いて座らせると、自分もきちんと座り直した。

「私達、イロちゃんとは幼稚園からの幼なじみなんです」
「で?」
「ちょっと色々ごたごたしちゃって、…イロちゃん、私達に…レンちゃんにすら何も言わずに、居なくなっちゃったんです」

悲しそうな顔をする顔面をえぐりたくなった。
爆発的な衝動は押さえられずに、けれど脳天気な店員が珈琲を運んで来た事で辛うじて霧散する。