レジカウンターを通り過ぎて一番初めに見える新譜コーナーの前では、しゃがみこんだリクが下段の方のジャケットを一つ一つ確認している。
その背後を通過して歌手別に並んだ棚の前で足を止めた先輩は、少し視線を巡らせてから一枚のアルバムを手に取った。
四人組の男性バンド。黒を主体としたジャケットに、写真なのか油絵なのか判断のつきにくい顔が四つ、アートチックに並んでいる。

「こいつらお勧め」
「JOKER?」
「そ。初めてテレビで歌った時こいつらもいて、すげぇいいメロディラインに感動したんだ。ロック系は聞く方か?」
「はい、バンドは好きですよ。アイドルグループとかは苦手なんですけど」

キャピキャピとした歌よりも、練り込められた歌詞と熟練のセンスで生み出される音が好きだ。インディーズでも、自分達で作った感のある作品が好きだし。

手に取って裏面を見てみると、14曲のタイトルが縦にポツンと記されている。
その全てが英語で、俺は早々と和訳を諦めた。

「これこれ。この5曲目が一番お勧め」
「先輩がそこまで言うなら欲しいなぁ…どうしよ」
「パソコンに入ってっから焼くか?」
「いいんですか?」
「じゃあ今日の夜焼いてやるよ」

嬉しそうに破顔した先輩は、俺の手からCDを棚に戻して移動を促した。
先輩ならいい曲たくさん知っていそうだなと思って、ならば他のお勧めも迷惑でなければ教えてもらおうかと陳列棚を何気なく見た所で、思わず俺は立ち止まった。

「ん?」
「先輩、先輩が居ますよ先輩!わー、先輩だぁ」

振り向いた先輩を気にせず引っ張って、今月のピックアップコーナーと大きいポップが踊る一角へと進む。
背後で嫌そうな雰囲気が漂ったが気にしない。目の前の、芸能人な先輩に俺は興味津々だった。

「あ、これこの前歌ってたやつですか?」
「あぁ」
「四枚目のシングルなんですね。こっちのジャケット格好良いです。すごい、先輩がビジュアル系衣装着てます!」
「……」
「格好良いですねぇ。そう言えば俺先輩の歌一曲しか聞いた事ないです。過去のシングルも焼いてもらえませんか?……先輩?」

今注目の、と長々しい紹介文の横に陳列された四枚を、それぞれ手に取ってじっくり眺める。
どのジャケットに写っている先輩も文句の付けようがないくらい格好良くて、しかも普段着か制服しか見た事ないものだから新鮮で興奮していた。
未だにほんのりと、別世界で笑う先輩に置いて行かれたような、寂しい気持ちになるけれど、前程ではない。
それは恐らく、首に噛み跡を残した日見せた傷付いた表情が俺のど真ん中に居着いたせいだ。

怒らせたと反省はしたけれど、しかしその中身は俺を更に自惚れさせるだけの内容で。
遠いなど、寂しいなど、あるはずがないと切実に訴えていた。

場違いかもしれないが、その悲しそうな顔に優越感を覚えたのもまた事実。

芸能人の先輩も引っくるめて好きだが、やはり俺の隣に居てくれる先輩が一番好きなのだ。
好きだから俺の知らない先輩を少しでも垣間見たい。聞きたい。
欲求に従って振り向いた俺に、何故か先輩は不機嫌そうな顔を見せた。

「どうしたんですか?」
「いや…」

珍しく目を逸らして、先輩は考えるように視線をさ迷わせた。
やがて重たげな口を開く。

「それも俺っつーのはわかってんだけど、なんかこう、ムカつくな」
「はい?」
「…ジャケット、格好良いか?」
「はい」
「俺は?」

ふ、と笑いかけて慌てて顔を引き締める。
もしかして、もしかして、もしかするのか?

俺は気持ちのまま笑んで、繋いだ手をフラフラと揺すった。

「かっこいいです」

一番、という恥ずかしい言葉は飲み込む事に成功した。
言わなければ伝わらないが、今はまだ、このままで。

「そうか」

先輩は嬉しそうに、やっぱり一番と称する笑顔で目を細めた。

「イーローハー!これ見ろよ!超キメキメポーズ!」
「名前を大声で叫ぶな!」
「んなもん持ってくんな!」

そんなやわい雰囲気をブチ壊す明るいリクの声。明る過ぎて殺意が湧いたのは恐らく先輩も同じだろう。
俺達の叱りをものともせず、リクはB5程度の大きさのチラシを振り回しながら走って来た。
おい周りの注目の的だぞ馬鹿。今日が土曜日だってわかっているのか馬鹿。

普段から視線に慣れたリクと先輩はあまり気にしていないようだったが、俺は気になる。こう、ザクザク刺さる興味と、店員の迷惑そうな視線が。

「見ろって、シノ先輩超カメラ目線」
「本当だ。キメてますね」
「木津お前後で覚えてろよ」

リクの手から俺に渡ったチラシは新譜の紹介のようで、一番上の広い場所で先輩がバッチリと格好良さを発揮していた。
上半身のみで黒いレザーを羽織った服装で、薄く笑いながら流し目だ。空いたスペースには筆記体で曲のタイトルが書かれている。

こうやって見たらますます芸能人なんだな、と感心する俺の横で、先輩はリクの奥衿を掴み、苦しげにもがく体を軽々と持ち上げて絞めていた。

「し、シノ、せん、くるっ、くるしっ」
「息が止まったら止めてやるよ」
「あはは、先輩、リク死んじゃいますよ」
「ぅぐっギブ、ギブギブ!!」

段々青から赤へと顔色が変わる頃、先輩は仕方ないとでもいうように鼻で笑ってリクを解放した。
力無く床にヘタリ込む姿は笑いを誘う。
こうなる事がわかっているのに懲りずに悪戯をするリクは、相当先輩に懐いているのだろう。



「………イロ?」
「イロちゃん!?」


え、と。

驚愕の声を上げたのは、誰だったのだろう。
俺か、先輩か、床とお友達なリクか。

心臓が嫌な音を立てて、跳ねた。

振り返る。俺達の目線が、一点に集中した。

「イロ」

太陽に透かしたら白く見えてしまうような金髪。
先輩とよく似たそれは、けれど散らす事なくハーフアップで、記憶の中のまま。
茶色いロングヘアーをお気に入りのバレッタで止めたそれも、記憶の中と寸分変わらない。

「レン、アズ…」

自分が口にした固有名刺を理解するよりも先に、後ずさって棚にふくらはぎをぶつけた。
どうしてと、掠れた声が出たように思う。時間が止まったみたいだった。

女の子の好きそうな笑顔をいつも見せていたレンの顔が、酷く歪む。
何かを手繰り寄せるような仕種で差し延べられた手が、俺を混乱させた。

「…っ」
「イロ、やっと見つけた」

レンの踏み出した足と、アズが掴んだままのレンの腕を認識した瞬間に、俺は先輩の手を振りほどいて、逃げた。
掴もうとするレンの腕を避けて、涙を溜めるアズを見ない振りして。

先輩と、リクの呼ぶ声をも無視して。

ざわめく人混みの中に、身を投げた。



俺は何も変わっちゃいない。
何も変わっちゃいないんだ。
あの時感じた、やるせなさと情けなさと、醜い嫉妬心。酷い依存。
変わったのは一つだけ。

恋情のパロメーター。
薄れゆく恋心の代わりに、どうしようもない恐怖心が、高まっただけ。

ほら。だから会いたくなかったんだ。