「何なんだ!お前達付き合ってるのか!?依路葉…俺というものがありながら!俺の気持ちに答えてくれたからここに来たんだろう!?」
「ぁあ?寝言は寝て言」
「先輩、いいです」

ガンガンと痛む頭を起こして、ちゃんと立ち上がった。
先輩の言う面白い事とは、この事だったのだろう。
つまりは、ストーカー退治の場面。いやまぁ、面白いが。
…俺が当人でないのなら、な。

「依路葉…」
「うるさい。話し掛けないで下さい」

うだる頭をグラリと傾けて、その人を睨み上げる。
不愉快だ。気分が悪い。頭も痛いし。
何より、俺は昼食時以外に先輩と居るのがあの寝込んだ時以来で、楽しみにしていたのに。
…あ、腹立って来た。

「なぁ、何あの手紙」
「読んでくれてたんだな!」
「読む訳ねぇだろ馬鹿かお前。最初の三行で朝飯吐くわ気色わりぃ」
「い、依路葉…?」
「気安く名前呼ぶんじゃねぇ100年早ぇよ!お前が呼べる頃には先に死んでてやるけどな!」

ひくりと口許を震わせた男が滑稽だ。
随分久しぶりにこんな汚い言葉を遣った気がする。いや、木津の親衛隊に襲われた時以来、か。
そう考えれば頻繁と言ってもいいかもしれない。

「お前マジで目ぇおかしんじゃねぇの。何が可愛いだ。こちとら15年とちょっと毎朝鏡見てっけどんな事一度も思った事ねぇよ」
「いや、あの」
「喋んなっつったろ」
「…」
「よし、そこに座れ。お前の大好きな依路葉様が言ってんだから座れるだろ…?」

腕を組んでそう言ってやると、男は千切れそうな程頭を縦に振って大人しくその場に座った。
そして俺はまた、苛々。

「誰が同じ高さで座れっつった。一段下がれ。正座」
「っはい!」
「よーしよしよし。……何か言いたい事はあるか?」

何ともまぁ従順に細い階段に正座した男は、何故だか少し恍惚とした表情で俺を見上げた。
屈強な男が自分に従う、端から見れば異様な光景。
あぁ、俺も男なんだなと実感。

「依路葉…様!好きです!」
「へぇ」
「俺はもうチンコビンビ」
「黙れ出来損ない。俺を見て勃たせんのは構わない、が!手紙にしたためるな。俺に言うな。近付くな。マスかくなら部屋で大人しく、一人でやってろ!想像くらいなら許してやるよ。…満足?」
「私めには充分です…っ!」

キラキラした目で俺を見る男は、自棄に満足したように笑った。

一応近付くな宣言をし終えた俺は、頷くのを見届けた後しゃがみこむ。頭が痛い。もう帰りたい。


「…イロ、もういいか?」
「………」

振り返ると、少し驚いたような顔で立ち尽くす先輩が居た。
そうだ、先輩も居たんだ。
だが、先輩にも、腹が立つ。

「先輩、それ下さい」
「これ?いやこれは風紀に提出…」
「ください」
「…」

先輩に何て事を言ってるんだと自覚はあった。
嫌われるかもしれない。
でも、それは仕方ない。これが俺だし、それ程今は興奮している。

受けとったテープレコーダーの中を開けて、テープを取り出す。
その黒いフィルムを、勢いよく一思いに引っ張り出した。

「!イロの鼻歌っ」
「本当に撮ってたんですね…。さて、これで証拠はなくなりました。あなたは風紀にお仕置きされる事はありません。その代わり、今後二度と俺に近づかない事」
「遠くから見るのは…」
「どうぞご自由に。さぁ、早くお帰りなさい」
「イロ…」

ピョンピョンと、喜び勇むように階段を男が駆け降りていく。聞き分けのいいストーカーで本当によかった。

俺は溜め息のように吐き出された先輩の声に反応して、ゆっくりと振り返った。

「…いいのか?」
「いいんです」
「怒ってんのか?」
「怒ってます。……先輩と、中庭以外で会えるの、楽しみにしてたんです。なのに」

あぁ少し、いやかなり今の俺鬱陶しい。
そう後悔したのもつかの間、先輩はまた優しい腕で俺を抱きしめてくれた。

「わりぃ。…手紙の内容、酷いから腹立っちまって」
「心配してくれ、ました?」
「ったりめぇだろ」

そうですか、と頬が緩む。
笑うなと言いたげに抱擁が強くなって、少しの息苦しさと、たくさんの愛おしさ。

「…すいませんでした、取り乱して」
「あ?はっ、かっこよかったぜ」
「厭味ですか?」
「本心だ」

そろそろと、腕を先輩の背中に回す。
引かれないかなど思う事はなくなったが、如何せん、気恥ずかしくて。

結局、抱きしめ返せずに、服だけを握りしめた。

「…出掛けるか」
「、え?」
「次の休み、イロの携帯買いに行くぞ。メールも電話もしてぇ。な?」

二人きりで、と耳を擽る吐息のせいで、収まりかけた頭痛が再びやってくる。
でもこれは疲労からじゃない、血が上っているせいだ。

「俺も、先輩としたい、です」

ここぞとばかりに先輩の胸に頭を押し付けて、どこか熱っぼい溜め息を零した。
目をつむって、ただ先輩を感じて。

日常の中に、また先輩が当たり前になっていくのは、なんて素敵な想像だろう。

「………あぁ」

殊更キツクなった抱擁の影で、耐えるように唇を噛み締めた先輩の意図には、気付けなくて。

舞い上がった俺は、ひたすらに、早く休みよ来い、と願っていた。