そう言えばリクが言っていた。
先輩にはストーカー被害経験があると。

そりゃあんなにも完璧な男前なのだから、一度や二度あったとしても納得出来る。俺的には大変複雑なのだが。

もしかしたら、何か解決の糸口くらいは見つかるかもしれない。
ダメならダメで、それはそれ。そこから何とかする方法をまた一から考えればいい。

「おぉ、俺にも前向きな思考が備わったのか」
「みたいだな」
「うあぁっ!せ、先輩!びっくりするじゃないですか!」
「わりぃ」

突然後ろから聞こえた声に異常な程驚いた。独り言に返事が返ってくるのはある意味恐怖だ。

裏返った声のまま先輩を批難すると、先輩は悪戯が成功した小さな子供のように笑った。

「なんかめっちゃ急いで歩いてんの見えたから追いかけてみた」
「そうですか…今更ですがこんにちは」
「ちは」

玄関を出て中庭に差し掛かる手前。本当に今更な本日最初の挨拶を交わしながら、俺は歩調を緩めた。

先輩に聞いてほしくて急いでいたのだから、もうその必要はない。
のんびりと二人並んで歩きながら、そっと隣を見上げた。

「あの…少し相談があるんですが、かまいませんか?」
「んあ?いいけど…何についてだよ」

「えっとその…リクの事なんですけど」

お馴染みの木の下に着いて、揃って腰を降ろす。
胡座をかいた足に肘をついて、至極怠そうに先輩は手の平で顔を支えた。

とりあえず昼休みは時間の制限があるのだから、と、弁当箱を広げお茶を出す。
あまり話し安い事でもないから暗くなりそうだが、それに先輩を付き合わせる訳にもいかない。
食べながら聞けるようにセットし終え箸を渡すと、何も言わず先輩は受け取って食事を始めた。

「リク、ストーカーされてるみたいなんですよ」
「ぶっ!………へぇ」
「あ、先輩ご飯粒ついてます」

唐突過ぎたか、と反省しながら、先輩の顎についた米粒を取って口に運ぶ。
それで、と続けようと先輩に視線を戻すと、先輩は鋭い目を酷く丸くして俺を見ていた。

「…………あ、」
「…わりぃ」
「いえ……こちらこそ、すいません」
「謝る必要ねぇだろ、嬉しいし」

ボボボ、と熱くなる顔。
俺程ではないにしろ先輩の耳も少し赤らんでいて、それが余計自分のした行動の恥ずかしさを浮き立たせた。

ナチュラルに何をしているんだ俺は。今なら空気になれる。空気になって俺の存在を無にしたい。

微妙な沈黙が痛くて恥ずかしくて、妙に意識してしまって。
落ち着く為に深呼吸して、俺はまた口を開いた。

「そ、そそれで、そのストーカーの人、リクと俺の名前を間違えてるみたいで、毎日俺宛てで手紙が玄関に挟まってるんです」

一瞬で先輩の視線が強くなったのを、話すのに必死な俺は全く気づかなかった。

「中身はちょっと、あれな内容なんで、俺最後まで読めなかったんですけど…リクにはまだ伝えてなくて」
「あれな内容?」
「…俺の肌がチキンになるような内容、です。…それで、まだリクに被害はないみたいなんですけど……俺、これからどうしたらいいかわからなくて。先輩は何かいい案ありませんか…?、え、先輩?」

ぎょっとした。
カチャリと箸を置いた先輩は、憎々しげに校舎の方を睨んでいる。
恐る恐る声をかけた俺を振り返って、ズイと手の平を差し出した。

「その手紙、持ってんなら出せ」
「あ、は、はい!」

やはり後輩の危機だから先輩も怒ってるんだ。何ていい人なんだろう。
そんな感動を覚えながら慌てて今日の新着レターを手の平に乗せた。まだ中身は見ていない。どうせ読めないだろうし、リク宛てのものを俺が読むのは失礼かと今朝になって思い至ったのだ。

「今日の朝のやつです」
「イロは読んでねぇな?」
「はい、読んでません」

カサカサと封筒を開く音がする。
今日は有名な人気アニメのキャラクターがちまちまとたくさん印刷された、 青い便箋だった。
取り出した便箋を先輩が開く。
と、目もあてられない程鋭くそれを睨む先輩から、俺は咄嗟に視線を剥がし弁当に手をつけた。
怖い。何か怒っていらっしゃるようだ。
それは苛々と揺すられる膝からも伝わって来る。

きっと今日も、身の毛もよだつような文面が先輩の目の前で踊っているのだ。そりゃあ気分も害するだろう。

差出人ももう少しまともな文面を綴る事が出来る人間ならば、俺も応援する気になれたかもしれないのに。

「イロ」
「はい?」
「手紙、いつからだ?」

手紙から顔を上げて先輩に聞かれた事を、記憶を辿りながら指折り数える。
確か先週の頭からだから、もう9通目だ。今日は火曜日だから。

「先週の月曜日からです。それで9通目」
「ふぅん…」

そう言って、手の中の手紙をグシャグシャに握り潰す。
呆気にとられた俺を見て楽しそうに笑った先輩は、また箸を取った。

「あの…?」
「今日の放課後暇か?」
「え?あ、はい」
「じゃあ屋上に行く階段の踊り場に来い。いいもん見せてやる」

あまりにも楽しそうに。
けれど憤怒しているのを、こめかみに浮かんだ血管がしっかりと物語っていた。

「わかりました…」

それ以外の返事を、俺が出来るはずないのだ。

+++

面白いもの、とは何だろうか。

午後の授業をそればっかり考えて過ごした俺は、自分で思っているよりずっと馬鹿だ。
午前中も余所事ばかり考えていたくせに、これで成績が落ちたら親が泣く。

いや別にいいんだが。
何せ、慰めるのが面倒だ。

六限目の授業を終えそそくさと教室を出た俺は、昼休み先輩に指定された場所へと向かっていた。
そう言えば、この学園は屋上に出られるのだろうか。
小学校と中学校は安全の為頑丈に施錠されていたから、一度も屋上とやらからの景色を拝んだ事がない。

なくても困らないし目的は踊り場なのだが、妙な好奇心が頭を擡げた。

「まだ、か…」

真面目に授業を受けなかった分、体力は有り余っているらしい。
快調に階段を登り終え誰も居ない事に落胆して、登って来た階段に腰掛けた。

振り返って屋上へと続く扉を見ると、どうやら鍵は掛かっていないようだ。

先輩の言う"面白いもの"が済んだら、少し付き合ってはくれないだろうか。
出てみたい。屋上。
きっと今みたいな季節なら、気持ちいい風が吹いているだろう。

「まだかなまだかなー…」

誰も居ないのだから、と昔のCMを口ずさむ。確か、塾か何かのCMだった気がする。
母が割とおちゃらけた人だったから、たまにこうして歌っていたのを思い出した。

その時、階段を上がる足音が聞こえ口を閉じた。
聞かれるのは恥ずかしい。
早めに先輩が来た事に気付いてよかった。

だって相手はプロの歌手だし。