人生、まかり間違って何が起こるかわからない。
それは重々、それこそ座右の銘になりそうな程自覚していた、はずだった。
本当、何が起こるかわからないものですね。
例えそれが自分にとってどれ程ありえなくても。
それが人生なのだなぁ、と、人事のように呟く他、なかった。
【trouble】
「困った」
自室の机に腰掛けて、俺はそこに広げた可愛らしい便箋達に心底溜め息を吐いた。
ピンクの小花、黄色のリボン、水色の水玉、白と赤のチェック。
華やかな柄が描かれた便箋は小中学生の女の子が好みそうなアイテムだ。
現に手紙交換が流行った時期、アズがしつこく俺とレン宛てに渡して来た手紙達はこれと寸分変わらぬデザインだった。
だが、日常会話をわざわざしたためたアズの手紙とは違い、目の前に広げた手紙達の中身は大層意味のあるものだった。
黄色のリボンが描かれた手紙を手に取り、何となしに中身にもう一度目を通す。
「や、無理」
三行目で根を上げてしまった。
心無しか気分も悪い。
この手紙達を読む度こんな気分になるから、結局一枚とて最後まで読めた試しはなかった。
"愛しの雨竜ちゃんへ"
今日の体育はバスケットボールだったんだね。華麗にドリブルをする姿に、僕は思わずJr.がスタンダップしちゃって前屈みになっ
読めたのはここまでだ。
当たり前のように書かれている下ネタを笑うよりも、夥しい量の鳥肌が腕を覆い隠していく。
第一、雨竜と俺宛てに書いているものの、俺はその日見学だった。面倒臭くて。
だからドリブルしていないし、そもそも華麗ではないし、それ以前に俺にそんな欲望を向ける馬鹿なんぞ居ないだろう。
レンは例外だったんだ。少し人より美意識がズレていた。
俺はレンが言うみたいに可愛くはないし、身長も普通にあるし、どこにでもいそうな顔しか持っていない。
そんな要素を連ねてみずとも、つまり行き着くのは
「リクと間違えるなんて…」
あまりに哀れなので、馬鹿だと罵る言葉は飲み込んだ。
恐らくこの手紙達はリク宛てのものなのだろう。そして贈り主は名前を勘違いしている。きっと部屋のネームプレートを見て、何故か俺の名前を書いてしまったんだそうに決まっている。実際この手紙達はいつも玄関に挟まっているし。
どうして自分の好きな相手をもう少し調べないのかと呆れはするが。
わざわざこんなラブレターなどと古風な手段を取るくらいだ、内気で大人しい人なのだろう。
内容は些か大胆だけれど。
「うーん……」
リクに、伝えるべきだろうか。
普通ならリク宛てなのだから渡すべきなのだろうが、少し…いや、かなり内容が酷い。
今のところリク自身に何かアクションを起こした訳でもないようだし、いきなりこんな精神的にキツイものを渡すのは忍びない。
きっと卒倒する。もしくは落ち込む。
そんなリクを見たくはない。
だって、可哀相すぎるぞ。
うんうんと唸って手紙達を眺める事数分。俺は疲れ果てたのでとりあえず寝る事に決めた。
「あのさ…何か俺の顔ついてる?」
「あ、いや、何もない」
いつの間にやら凝視してしまっていたのだろう、リクが気まずそうに箸をくわえながら首を傾げた。
慌てて取り繕い自分の食事を再開するが、俺は未だあの手紙達の事が頭から離れないでいた。
昨日はついつい面倒臭くなって寝てしまったが、よくよく考えなければいけない由々しき事態なのだ。
差出人はきっと恋心を必死で書き綴ったのだろうし、内容は一先ず置いておくとしてそれを俺がこうして手折ってしまうのはいたたまれない。
だがリクの立場に立つとすればあの手紙は受け取りたいものではない。喜べない。
噂に聞く寮長辺りならば、何食わぬ顔で音読出来そうだが。
「リク、あの…何か最近変わった事はないか?」
「変わった事?例えば?」
「…私物が無くなったとか、視線を感じるとか」
つまりは言いたくないが、ストーカーだ。
三行しか読めなかったが、嫌というほどそれは理解出来た。
リクはポカンとした後、ふるりと首を横に振った。
「ないない。何それ」
「いや、気にしないでくれ。冗談だ」
「うん…?」
俺の煮え切らない態度を不審に思ったのか、リクは眉を潜める。
だがやはり今のところ手紙だけしか行動を起こしていないらしかった。
訝しげに見つめてくるリクを内心ヒヤヒヤしながら無視する事を決め込み、俺はまた、珍しく味気ない塩鮭を咀嚼するしか出来なかった。
どうするか。
リクに洗いざらい話してあの手紙を押し付けるか。
それはつまり丸投げとも言えるが、本音はそうしたかった。
ぶっちゃけ、手元に置いておくと悪寒がするのだ。
「でもな…」
ポケットの中身がカサリと渇いた音を立てる。そのせいで一段と長い溜め息が出た。
勿論あったのだ。あの手紙が、今日も。
あるかもしれないとリクより一足先に玄関へ向かったのは正解だったと言えよう。
俺の精神衛生上は不正解だが。
「はい今日はここまでー。教科書75、76ページの例題はテストに出るぞー、しっかり復習しとけー」
「…最悪だ」
教材を片付けながらの教師の声にハッとして、手元のノートを見る。
リクと手紙の事ばかり考えていたせいか今日の分の板書きをする場所は綺麗な白だけが広がっていた。
ダメだ、頭が痛い。
そもそも俺一人がこんなにも悩む事なのだろうか。
…ハイレベルなこの学園での一時間を、返せ、差出人め。
「イロハー、…頭痛いのかー?」
「うるさい何もない」
「え、何で怒ってんのー?」
「あぁもううるさい!」
お前のせいでもあるんだぞ!という言葉を飲み込んで、机の横にかけてある弁当袋を抱え教室を出た。
八つ当たりはいけない。
リクは何も知らないのだ。今は頭がグルグルしていて無理だが、後で必ず謝ろう。
声を荒げてすぐに襲いくる後悔に舌打ちした俺は、廊下を足早に駆け抜けた。
「先輩、に…うん。相談しよう」
そう口に出すだけで、心の負担が幾分か軽くなったような気がした。