『イロ、三人でお揃いにしよう。…イロと俺だけ同じ色にしよっか?』

悪戯っ子のようにハニカんだその姿さえ

大切な大切な想い出


その影が朧気になる事など、


【Only】


腕が足が腹が、背中が痛い。

浴場のタイルの上、好き勝手に殴られ蹴られた俺はうずくまるように倒れていた。
どれ位時間が経過しているのかはわからない。
けれど、濡れて重くなった服が完全に冷たくなってしまう程度には経っているのだろう。
どこかの角でぶつけた時から、脳が左右に揺れるように痛んで、いっそ意識が落ちれば今だけは楽かもしれないのに、と案外頑丈な自分の精神力を恨んだ。

まぁ、かと言って本当に気を失ったとしたら、それはそれで目が覚めた時が怖いが。

「生きてるー?てか意識あんのな、意外」

やめておけばいいのに、目の前でヒラヒラと手を振って見せる男を咄嗟に睨んでしまう。
だが男はそれに反応して怒る事もせず、気持ち悪い顔で笑った。

なんなんだよ、もう。
気が済んだなら早くどっか行けよ。
足りないなら足りないでさっさと終わらせてくれ。

そう言ってやりたいが、喉からは掠れた空気が微かに漏れただけだった。
急に腹に力を入れたからか、筋肉痛を酷くしたような痛みと共に咳が出る。しかも厄介な事に喉を血液らしきものが逆流してくる始末。
内蔵イってたら焦る。
同じ所ばっかり蹴り過ぎなんだよ、こいつら。
バカの一つ覚えかってんだ。

もう、どうでもいいけど頭が割れそうだ。
視界もおかしい、歪む。

「なぁ、こいつまだいけそーだぜぇ?もうちょいいっとく?」

ふざけるな。
お前の目は節穴か。
少しは被害者の気持ちってのを考えてみようと思わない…んだろうな、低脳すぎて。

「ん…や、せっかくだからマワしちゃわね?」

ビクリ、無意識に体が震えた。

「いーね!可もないけど不可もない顔だし、割と小柄で色白だし?」
「おっまえ褒めてんのか貶してんのかわっかんねーよ!」

男達の下品な言葉も笑い声にも、内心でツッコむ余裕はなかった。

こんな奴らに抱かれるなんてゴメンだ。絶対に嫌だ。
それならば、この場で殴り殺される方が幾分かマシだとさえ思う。
あくまで僅差だし究極の二択に変わりはないのだけれど。

思うように動かない体を気力だけで持ち上げ、無謀だと頭ではわかっていても、逃げようと入り口まで這おうとする俺の正直な体。
芋虫みたいで滑稽だなんて現実逃避している場合ではない。

そんな屈辱、俺の人生経験には不要だ。

だかやはりその行動は赤ん坊が大人に刃向かうようなもので、動きに気づいた男に易々と足首を捕らえられた。
ズルリと引き戻され、悔しさに唇を噛むことしか出来ない。

「おーっと、どこ行くのさ雨竜くん」
「まさか逃げれるなんて思ってねぇよな?どう見ても無理だってわかるよなー?」

乱暴に仰向けにされ、三人がそれぞれ足と腰と背中にまわり冷たいタイルに押さえつけられる。
顔を上げると、膝上辺りに体重をかけて乗り上げている男と目があった。

弱者をいたぶる事が至上の喜び、とでも言わんばかりに目を細め、口元に笑みを浮かべさせている。
顔の造りは爬虫類系なのに、何故か酷く獰猛な獣に見えた。

もうダメかもしれない。
諦める方が、楽かもしれない。

目を閉じて聴覚を遮断し、唇を噛み締めて世界を受け入れる事はとても容易い。
いつでもそうやって俺は俺を甘やかしてきた。

諦める事は、俺にとって一番の自衛策だったから。

一人の男の手が、俺のスウェットにのびる。
スローモーションのように頭に流れ込むその映像情報を認識した、途端。

キモチワルイ
キモチワルイ

レン、

『イロ、俺だけのイロハだよな』

頭の天辺から足の先まで鳥肌が立ち、肌が震えた。

「…っさわるな!!」

こんな事、こんな事!
まだ鮮明に思い出せるレンの感触を、こいつらごときに!

「お前らみたいなカス野郎は一人でマスかいてろよクソがっ!」

喉が枯れてはっきりと聞こえないかもしれない。
そう思いながらも痛む腹に力を入れ、口端から血が流れるのにも構わず叫んだ。

すると気迫に押されてか、足に乗り上げていた男の重心が俺から外れた。
これを逃さない手はない。

男の下から足を無理矢理抜き、無防備な鳩尾目掛けて力一杯足を突き出す。

「いっ……!」

反撃までされると思っていなかったのだろう。

モロに蹴りが入って腹を苦しそうに押さえる男に、俺を拘束していた男達も力を緩めた。
その隙に後ろの男に後頭部をぶつけ、身を捩って拘束から逃れる。
後は一目散に脱衣所への引き戸を目指した。

走れる。大丈夫、骨は折れてない。
真っ直ぐ走っている自信はあまりないけれど、脱衣所はもうすぐだ。

このまま廊下へ出て、コンビニ店員か管理人室のおじさんに助けを求められれば。

「おいコラ待て!!」
「押さえろ、外に出すなよ!」

けれど、俺の反撃など微々たるものだ。
男達はすぐに復活し、追いかけてくる。
怪我をしている分、こっちが不利。むしろ勝てる要素など皆無だった。

あと少し、あと少しで、脱衣所をでられる、のに。
諦めちゃダメだって思ったのに。

「つーかまーえた」

引き戸に手をかけた俺の手首を掴む男の手。
視覚と触覚の両方から伝わる絶望に、息を吐いた。

もはら抵抗する気力を根こそぎ削ぎ取られた俺は、男達のするがまま、引かれるままに脱衣所の床に倒された。
続けざまに馬乗りになった男に頬を殴られたけど、もう、どうでもよかった。
考える事すら面倒くさい。
何も見ない。何も聞かない。何も言わない。
理不尽を受け入れる準備だけは完璧だ。他の何もを拒絶する。

「マジありえねぇこいつ。ケツ裂いてやる」
「おっま、蹴られたからって非道すぎんだろ」
「ん?こいついいアンクレットしてんじゃん」

アンクレット

その単語を律儀に拾ってしまった俺は、再び我に返ってしまった。
渾身の力を込めて怒鳴り、無茶苦茶に暴れる。

「はなせ…っ…触るな虫けらがっ」
「ふーん…大事なもんなんだぁ…へぇ」

睨んでも叫んでも暴れても、男達の下品な笑い声は止まない。体の拘束も緩まない。

男の一人が、俺の右足首にある赤い石のアンクレットに指を絡ませた。

「やめろ、やめてくれっ」
「さっきのお礼、してやんなきゃなぁ」

足首に石と糸が食い込む。
男に無理な力をかけられているアンクレットは今にも千切れそうだった。

「やめろ……っ!!」

ブチリ

嫌な音がした。
今まで堪えていた涙が、堰を切ったように溢れる。
男達がそれを見て馬鹿にしたように笑う。

俺の視界には、パラパラと飛び散る赤い石が映っていた。
胸の奥を抉られたみたいな痛みが走る。

体よりなにより、一番大切な想い出が汚されたようで、涙が止まらない。

もうあれしか残っていなかったのに。
一番愛おしい想い出だけを身につけてここに来たのに。

二人を傷つけた俺には、大切な想い出すら残させてくれないのか。

「さてと、ヤりますか」
「イエース!」
「よっと、」

ゴチン、と俯せにされて頭と床が音を立てた。
ダラリと弛緩した体からスウェットと下着が共にずり降ろされる。

後ろで腕を組んで押さえられ、頭を床に押しつけられて。
それでも俺の頭の中はレンの事でいっぱいだった。

胸が痛い。
殴られたのが何だ。強姦がなんだ。
もう潰れてしまい、そう。


「っやめろ!」

男の汚らわしい一物が抱え上げられた俺の後孔に当たり、俺が目を閉じた時。
目の前にある引き戸がけたたましい音を立てて勢いよく開いた。

「おい見張りはどう…っ」
「なんで、…ぎゃぁっ!」
「ひぃっ」

止めに入った声は誰か。
男達はどうして小さく悲鳴を上げたのか。
そう考える前に俺を押さえつける手と気配が消えた。

殆どぼやけた視界と思考で現状を確認しようと頭を上げた時、ふわりと何かが俺を包む。

鼻腔を擽る香水、自分に被せられた、部屋で見慣れたパーカーの色。労る事など忘れたかのように俺を抱きしめる腕と体温。

「雨竜…見つけるのが遅くなって、ごめんな」

そこで漸く、木津に抱きしめられているのだと気付いた。

後頭部と背中に手のひらの暖かさを感じて、どうしてと考えるより先に、不覚にも安心してしまった。

あんな酷い言い方して傷つけたのに。突き放したのに。
助けてくれたのか。

「…き、ずっ…!」

少しだけ。
そう自分に言い訳をして、木津の服を握りしめる。
そうしてからやっと、自分の手が震えている事に気付いた。

情けない。
そう思っても涙は無遠慮に木津のTシャツの胸元を濡らしていく。
ぐっと強くなった包容に、大丈夫だって言われてる気がした。

「木津、とりあえず風紀室に行くぞ。頭も待ってっし」

背後から急に聞き覚えのある声が聞こえ、俺は思わず振り返った。

「あ…あんた、…なんで、」

眩いばかりの金髪。
萎縮してしまいそうな美形。
中庭の木の下で出会った仮眠男がそこに居た。

「え、知り合い?」
「…まぁな。詳しい事は後だ。行くぞ」
「そっスね。雨竜立てる?ごめん、ズボン上げるよ」
「え、あ、」

おかしな展開に言葉がでなくて金魚みたいに口をパクつかせていると、手際よく木津にズボンと下着を上げられた。
濡れていて気持ち悪い上に、ルームメイトに情けない場面を見られ甲斐甲斐しくズボンを上げてもらった俺の顔は真っ赤だ。
今の俺は穴を掘って入りたい気分だった。
コンクリートでも大理石でもいい、掘らせてほしい。
一週間は籠もっていたい。

状況が状況だとは言え、自分から縋りついてしまうなど。

とりあえず木津と離れるように距離を置くと、木津は困ったように笑って立ち上がった。
目を合わせないように自分も立ち上がろうとして、俺は固まった。

「あ…アンクレットが…」

散らばった赤い石に手を伸ばす。
小さな一粒を手のひらに納めると再び涙が溢れた。
力の入らない体を叱咤し、這うようにして落ちた石を拾い集める。
入り口付近だった為に、あまり広範囲に飛んでいない事が救いだった。


木津と仮眠男の視線にすら気付かず、夢中で石を拾い集める。

ここに放って行く事なんて出来ない。形はなくても、レンがくれた宝物なんだから。

「あ…」

拾おうとして、指先で弾いてしまった最後の石がコロコロと床を滑る。それは仮眠男の靴に当たり、止まった。

ゆっくりと見上げると、拭う事を忘れていた涙が顎を伝って滴り落ちた。

切なげな表情を浮かべた仮眠男は、足下の小さな石を拾い、俺の前に膝をついた。
綺麗な薄い色の瞳が俺を射抜く。
拾い集めた石達が俺の手の中でコロリと音を立てた。

「大事なもんなんだろ」

俺の手を取り、その中心に仮眠男が石を置く。それをぎゅっと握りしめた。

「あ…りがとう」
「っ、」

全部かどうかはわからない。
けれど、想い出はまた俺の手の中に戻ってきた。そんな気がする。
悲しいけど嬉しくて、自然と笑みが零れた。
仮眠男が息を詰めたのにも気付かず、赤い石だけを見つめる。

瞬間、重力に逆らって浮き上がる俺の体。
小さく悲鳴を上げて反射的にもがいた時、至るところが痛みを訴えてきて俺は動きを止めた。

「じっとしてろ」
「じゃあ行きますかー」
「あ、あのっ…」

抱き上げられた事を理解した次には仮眠男と木津が歩き出していて、落ちないようにと思わず男の首にしがみついていた。

重いのではないのだろうか、とか、男子高校生を持ち上げるってどんだけ怪力なんだ、とか。
ついていけない現実に、頭はどうでもいい事ばかり意識して現実逃避をしようと試みている。

けれど、背中を叩く手がバカみたいに心地よかったから、俺は全て放棄して仮眠男の肩に頭を預け力を抜いた。

床で伸びている男がチラリと視界に入ったけれど、目を閉じれば俺を包むのはシトラスの香りと仮眠男の体温。

涙を堪えるのはもう限界で、俯く振りをして自分の腕に瞼を押しつけた。

ただただ、仮眠男の体温は暖かかった。