「信じれば救われる」

そんなもの。

キリストと花言葉だけで十分なんだよ。


【Nihilism】


部屋に戻った後、ゴロゴロしている間にどうやら俺は眠ってしまったらしい。
しかもかなりぐっすりと。
気がつけば時計の針は夜の11時15分を指していた。

確か最後に時計を見た時は5時だったから、軽く6時間は寝ていた事になる。
いくらなんでも寝過ぎだろう。夕飯も食べ損ねた。
だからといって今じゃ食堂も開いてないし、作る気分でもない。
寝る前にグルグルと余計な事を考えていたせいか、何だか無駄に空腹感がある気がする。

「……コンビニ行くか」

メロンパン、食べたい。

そう思い至って自室で寝ているであろう木津を起こさぬよう、静かに部屋をでた。

+++

「ありがとうございましたー」

コンビニを出ると、店内からだるそうな間延びした声が聞こえた。
ここは学生しかいないのに、24時間営業の意味はあるのかと聞きたい。
それでもこの時間にこうしてメロンパンを買えた俺としてはありがたいのだけれど。

「さっさと帰って食べよ…あーシャワー浴びたい…」

どうせならば着替えを持ってくるんだった。一度大浴場に行ってみたかったんだ。
横を通り過ぎるのが名残惜しい。

「ねぇ、キミ」

でかいフロはいい。広いし、思いっきり身体伸ばせるし。
部屋の風呂も寮とは思えない設備なのだが、やっぱりこう、気分が違うし。

「ねぇってば。そこの袋振り回して歩いてるキミ!」
「…俺か」

やっぱり。
気付いてはいたけど、少ない可能性に賭けて気付かないフリをしていたのに。

面倒くさい…。

そう思いながら振り向くと、少年が二人笑いながら立ち止まった俺の前に立った。

「そうそうキミ。雨竜依路葉君だよね?」

あー…この人、見た事がある。
わざわざ一年の教室まで来ている先輩だ。
……木津に会いに。

もう一人の人は、知らない。
けれど、部屋で大人しく寝ているべきだったと頭を抱えたくなった。

「ちょっとおいで」

嫌です。面倒くさいです。

そう言えればどんなにいいか。
けれど名前は割れているし、ここで逃げ帰っても何の解決にもならないのだろう。

後々長引く方が面倒くさい。果てしなく。
仕方ない。ここは言う事を聞こうではないか。

「はい」

記念すべき初呼び出し。
さっさと帰れる事を祈る。

+++

そりゃあさ、さっきまで俺は大浴場に行きたいな、なんて思っていたけど。
思ってはいたけれども。

それはフロに入りたいって意味であって、決して服を着たままお湯の中に突き落とされたいって事ではない。

さいあく。

「マジうぜぇよお前。同室だからって調子乗ってんなよ」

いやいや、乗ってないから。

俺からしたら一々突っかかってくるあんたらのがうぜぇんですよ。

「聞いてんのかよ、なぁ」

ガッと髪を鷲掴みにされて、力任せに上を向かされた。
俺の毛根が悲鳴を上げる。
禿げたらどうしてくれるんだ。本気で訴えてやろうか。

「やめてくれませんか。あんたにこんな事される筋合いないんですけど」

目があったからそう言うと、ウザス先輩が目を細めた。
それにしても、木津の前と態度が180度違うのはどうゆう事なんだ。まぁ、ちゃんと男だったんだと若干安心してしまったのだが。

「お前さ、今の状況わかってる?」
「えぇ勿論。これから後ろの方々にフルボッコされるんでしょうね。先輩一人じゃ何も出来なさそうですし」

濡れたままの服が気持ち悪いし、空腹感もそろそろ限界。
その上毛根虐めときたらさすがの俺でも苛々する訳で。

つり上がっていくウザス先輩の瞳を見て、明日は欠席確定だと内心嘆息しながらも一度開いた口は止まらない。

「ホント先輩って木津と話す時は猫被りだったんですね。女子みたいにクネクネしてるから、股間に何もついてないのかと思ってました」
「この…っ!」

言葉の終わりと同時に、乾いた音と左頬に鈍い痛みが走った。
先輩の顔は般若のように歪んでいる。でも平手ってどうなんだ。
本来、黙っていれば美少年の部類に入るのだろうに、これでは興醒めだ。
100年の恋も冷めるねこれは。

「好きにしろ」

俺の髪から手を離したウザス先輩はこちらを一睨みした後、興味を失ったように背中を向けた。

途端、浴場入り口に座り込んでいやらしい笑みを浮かべていた三人の生徒が立ち上がる。

ニヤニヤと貼り付けた笑みでウザス先輩の肩を叩いた一人は「例の件頼むぜ千鳥」と囁いた。
何せ風呂場だから丸聞こえなんだが。

どうやらこの為だけに、何やら取引をしたらしい。そこまでする程同室者である俺が憎いのか。
ほとほとその思考回路には驚きを通り越して感動さえ感じられる。

それで本当に、木津が自分のモノになるとでも思っているのか。
ここの人間の大体が温室育ちだとは思っていたがもはやここまでとは。

「男の嫉妬って醜いですよね」

遠ざかる背中に声をかけた。
どうせ何を言っても事態は好転しない。
ならば言いたい事は言っておくに越したことはない。どうにでもなれ、だ。

「今のあんたじゃ、木津は一生あんたなんか好きになれませんでしょうよ」

あんな、底抜けに優しい奴なんだから。

精々上目遣いの練習でもしやがれ。振り返ったウザス先輩へそう吐き捨てて口角をぐっと上げ、中指を突き上げた。

「ぶっ殺す…っ!」

その言葉が、はじまりの合図だった。


鳩尾に拳がめり込む痛みにゆっくりと瞼を閉じた。

思い馳せるのは、いつでもお前。

『イロ、何でもかんでもすぐ諦めんな』

ダメだな俺。
レン、まだその癖は治りそうにないよ。