臆病だと言われてもいい
情けないと笑われてもいい

ただ傷付く為に明日を生きるくらいなら
思い出だけに

溺れていたい

【FEEL】

あぁいい天気だ。
あぁいい風、さすが春だな。

あぁ今日もメロンパンは絶好調に美味しい。

「うっまー!もう俺超腹減っててさ、もう少しでじぃちゃんが迎えに来るトコだったよマジで。じぃちゃん生きてっけどな!……聞いてる?」
「この距離ですから聞こえてはいます」

何故。

どうしてあの時、他人に気を使って立ち去る、のコマンドを選ばなかったんだ。
あれか。普段から他人に気を使うスキルを身につけていなかったからなのか。仕方ないだろ、そんな気にならないんだから。

そんなこんなで、今の状況。
簡潔に話すと、木の下に並んで座って俺のメロンパンを贈呈しているのだ。不本意極まりない。

あー俺のメロンパン…。きっと俺に食べてもらいたかっただろうに。ごめんな、キミの事はきっと忘れない。

「なぁなぁ、名前なんてーの?」
パンをむぐむぐと咀嚼しながら仮眠男がこちらを向いた。

先ほど…というより、大分前から気付いてはいたが、この男とはあまり関わり合いになりたくない。元々誰とも関わり合いたくはないのだが。

というのも、ここ「洸瀞学園」は、進学率就職率共に高い、素晴らしい学園ではあるのだが、変な特色があるのだ。
一部の生徒を崇め、まるでアイドル、いや神様のように慕う者もいると聞く。
一部というのはこの男のような………つまり、顔がいい奴、だ。
その中でも、どこかの財閥の息子だったり、頭がいいだの運動神経がいいだの…あぁ不毛…。
しかも何故かとても整った顔立ちの人間をよく見かける。不思議で堪らない。

だが、俺自身忘れそうになるがここが男子校だという事は間違っても記憶から消してはいけない。
俺は高等部からの外部入学だからそんな思考回路は到底理解できないが、頼まずともペラペラと木津が話してくれるから、嫌でもその事について知る事となった。

木津が言うには、生徒会、風紀委員会、文化祭での人気投票上位組。俺が思うに、木津もその部類だとは思うのだが。

興味がない為入学式で話していた生徒会員の姿もあまりよく見ていないが、とりあえず顔がべらぼうにいい人間とだけは廊下でもすれ違わないようにしようと、先日決めたばかりなのに。

それは何故か。
理解に苦しむが、虐められたりするかららしい。

……木津がルームメイトな時点でもう遅いのではないだろうか。

「なーあー!名前は?」

この学園、非常に面倒くさい。

「…名乗る必要がありません」

チラ、と仮眠男に視線をやって呟いた。
友達の第一歩が名前を教える事ならば、友達になる気がないのだから名乗る必要もない。

すると、仮眠男の形のいい眉が面白いほど垂れ下がっていくではないか。
頭の上の耳が……見え……いやいやいや、ないから。
とうとう真っ昼間から幻覚を見るようになったのか俺は。
やっぱり慣れない環境は知らず疲れを溜めるものなのだろうか。

きつく目を閉じて、ゆっくりと開く。

そしてもう一度、仮眠男をみた。

「……」

眼科へ行った方がいいな。
…いや、精神科…脳神経外科か?
おかしい、どうしても見える気がする。
俺の中で仮眠男のイメージは犬と化したのだろうか。

「だってお礼したいじゃん、だから名前教えてよ」
「お礼は結構です。どうしてもって言うなら今日の事忘れて下さい」

クシャリとパンの包装ビニールを握り潰してコンビニの袋に入れ、立ち上がる。
制服のズボンを軽く叩いて、仮眠男に向き直った。

「では先輩…ですよね。サヨウナラ」

普通なら制服の胸ポケットに学年色のバッジがあるからすぐにわかるのだが、如何せん仮眠男はカッターだ。
だがこれだけいい成長ぶりなんだ。少なくともタメではないだろう。

スチャッと右手を上げ、踵を返して校舎へ。

踏み出したはず。
進んだはずの俺の身体は、その位置のまま。

何故か。
そんな事考えずとも、俺の手首を掴む感触が全て教えてくれる。

「足の次は手ですか。まだ何か?」

募るイライラをぶつけないようにため息で誤魔化してから振り返る。
意識せずとも眉間に皺が寄るが、仮眠男は気にも留めないかのようにニパリと笑った。

「教えてくれたら離すけど?」

本当に、餓死してしまえばよかったのに。少なくともそれで俺の平穏は保たれたはずだ。

男は相変わらずニコニコと笑う。楽しいと思える要素など、今ここには存在しないというのに。

こういう何を考えてるかわからない奴は苦手、だと思う。

あいつに、よく似ていて。

髪の色も瞳の光も、顔立ちも声も、違うのに。嫌だと思うのに、拒めないんだよ俺は。

振るまい方が似てるってだけで、あいつを重ねようとして。


「雨竜依路葉」
「イロハ?」

するりと俺の口から零れた言葉は、しっかりと仮眠男に届いたらしい。小さく繰り返して、腕を掴んだまま立ち上がった。
自然と見上げるようになると、男の手が頭の上に優しく置かれた。
それと同じ位、もしくはそれ以上、優しく微笑む意味がわからない。
髪を梳く指の意図が掴めない。

「イロハ。始まり。……すっげーいい名前だな」


『諦めないで。始まりはいつもイロハが持っているのよ』
『イロちゃん。きれいななまえだね』

『イロハ。イロハ。俺のイロは終わんねー始まりだから、』

「あり…がとう」

仮眠男の瞳が大きく見開かれる。お礼を言われるとは思っていなかったのだろうか。

恥ずかしかった。
けれど、名前を褒められる事はとても嬉しかったから。

だから、仮眠男の目を見て素直に笑う事が出来た。天の邪鬼な俺の精一杯のありがとうが、この男に伝わればいい。

そう思った。

だけど、危険だと感じた。

随分久しぶりに笑えたけど。
少し楽しかったと思う自分もいるけれど。

こんな人間が友達ならばと、思ってしまうけれど。

「それじゃぁ」
「待って俺のなま…、」
「聞く必要がないので結構です。お礼は、」

被せるように言葉を乗せて、腕を掴む手をやんわりと解いた。

「忘れてくれる事が一番のお礼です」

そのまま俯いて目を合わせる事なく、仮眠男に背を向け逃げるように走った。

たった数十分。
それなのに、どうしてこんなにも

でももうたくさんなんだ。
大切な人を失すのは。

傷つけられるのも傷つけるのも嫌だ。
俺は弱虫だから、逃げていたいんだよ。

後ろから声が聞こえた気がしたけれど、寂しいと呟く心ごと、聞かないフリをした