「ど?」
「うん、すっごくカッコイイよ」
「好き?」
「だーいすき」

さぁて、新しい二人の形をつくろうか。

【新しい家族のカタチ】


ニャー、と、空気の読めない猫が甘えた仕種でヒナとユズの間に座り込んだ。
正座をした二人の隙間は非常に狭い。のにも関わらず侵入し、しかも自分の心地良い体制を探して目を閉じた猫は、ある意味大物と言えるだろう。
そんな愛くるしい猫を空気が読めないと称する理由は、今のユズとヒナの状況にあった。

「…お父さん、息子さ」
「君にお父さんと呼ばれる筋合いはない」

聞いての通り、ただ今ヒナの両親に会いに来ているのである。
ちなみに上の問答は既に片手以上は繰り返されており、未だユズの言葉は最後まで形を為さずに終わっている。

「父さん、そう頭ごなしに言わなくても…」
「日向は黙ってなさい」

ヒナは父親、洋次の一喝に押し黙り、隣のユズを横目で見てからうなだれた。

ユズの正面、着流しに身を包んだ厳格そうな雰囲気漂う洋次は、腕組みをしたまま鋭くユズを睨んでいる。
ユズと父親の間に当たる面で澄まし顔のまま伏せ目に正座しているのは、ヒナの姉、雛乃である。
母智佳子はキッチンへ行っている為不在。

どうしたもんか。
ヒナの心労は増えるばかりだ。

獅子威しの風流な音と、空気の読めない愛猫パスタの可愛らしい鳴き声をもってしても、この張り詰めた空間はどうにもならないようで、ヒナは隙あらばユズの様子を伺っていた。
元々自我の強いユズの事だ。こんな頭ごなしに押さえ付けられては我慢ならないんじゃないだろうか。
こめかみに青筋が浮かび出したら、なんとかして今日は帰ろう。

そう決心するヒナを他所に、ユズは伸びた背筋を崩す事なく洋次を見据えていた。

「大河内くん、と言ったな」
「はい」

ふいに洋次が口を開く。
ヒナの内心はヒヤヒヤ。背中に冷たい汗が流れてしまいそうだ。

「歳はいくつだ」
「二十歳です」
「卒業後はどうするつもりだ」
「父の会社で不動産経営を学びながら仕事をします」
「ほぉ?継ぐつもりか」
「ゆくゆくは」

テレビで見るこういった場面でよく聞く質問だとヒナは人事のように聞いていた。
実際その時は漠然と、いつか自分もこうやって彼女の父親に質問される日が来るのだろうと思っていたが、いやはや人生とはわからないものだ。
彼女の立場を味わうなんて、なんと貴重な体験だろうか。

「日向とは、いつからだ」
「高校一年生の時です」
「何を言う。君が高校一年生の時日向は中学生。ここに居たが?君の住む町とは全然離れているじゃないか」

洋次の眉間にシワが寄る。
そう言えば過去に飛べる事を言ってなかったとヒナは慌てた。

「父さん、俺がユズと会ったのは高二の時なんだ」
「日向…意味がわからないぞ」
「えと…過去に飛べるようになりました」
「え?」
「は?」

洋次と雛乃の素っ頓狂な声が重なった。それに少し微笑んで、ヒナはユズと出会った経緯を事細かに話し始めた。
涼子の事、それから、間違った時間に飛んでしまった事、そこでユズの世話になっていて、それからずっと、好きだった事。やっと会えた事。
隣に当人が居る為羞恥心に駆られたが、詰まりながらも必死に話すヒナの言葉に二人は真剣な顔で聴き入っていた。

「って訳で…」
「成る程、…そんな事が」

目を閉じて唸った洋次は、やがて顔を上げた。ユズも身構えるように、伸びた背を更に伸ばした。

「お父さん、息子さんを俺に下さい。必ずなんて事は言いません、ですが、120%幸せにします」

深々、重厚なテーブルに額をぶつけそうな程ユズが頭を下げた。
それに倣ってヒナも同じように。
長い沈黙。数十分程にも感じられたが、実際は数秒程度だったのかもしれない。
重い溜め息をわざとらしく吐き出した洋次は、渋い顔を見せた。

「ならん」
「っ父さん」
「……」
「だって…だって、」
「と、とうさん…?」
「?あの…」

わなわなと俯いた洋次の肩が震え出す。だが、さっきまで低く響く厳格さをこれでもかと滲ませていた声色は、震えて高くなっていた。
隣の雛乃までもが同じように震え出して、ヒナとユズは目に見えて狼狽え出した。

何が起こったのかと顔を見合わせる二人が無意識に距離を詰めた、瞬間。

「だってまだまだ他の奴なんかに大事なヒナを取られたくない!」
「ぎゃーっはっはっはっはっ…!ちょ、親父マジ似合わねーんだけどウケるー!」
「…は?」
「…は?」

わぁぁぁと涙を零しながら、子供のように駄々をこねはじめた洋次を指差して、今まで一言も発さなかった雛乃がいっそ下品な程大口を開けて笑い出した。時折ひくつきながら、畳をバシバシと叩きながら呼吸困難に陥ってしまっている。

さっきまでの重い空気はどこへ。
そう二人が間抜け面を晒すのも致し方ないと言える。

これは誰だとユズが現実逃避に身を任せようとした時、洋次の背後の襖が勢いよく引かれ、そこから大きなトレーを片手で持った智佳子が入って来た。
と、思ったら。

「あんた!なっさけない泣き声台所まで響いてるよ!恥ずかしい!どけ!」
「あうっ!チカちゃぁーん!酷いよぉー!!」
「母さん…あの…ちょっと説明してほしいんだけど…」

じゃないとユズが遠くに行ってしまうと、ヒナが懇願するように智佳子を仰いだ。
智佳子はどっかりと腰を下ろし、今や横座りでオネェ系と見紛う洋次とは正反対に、胡座を掻いて豪快に笑った。

「いんやー、悪いね大河内君。こいつがどうしても、娘はお前なんかにやらん!てやつをやってみたいって言い出したもんだからさ。あ、海老煎餅は好き?」
「はぁ」
「どうぞ、粗茶ですが。それにしても男前ねぇ。ヒナよくやったぞ。…おい洋次!雛乃も!ヒナの旦那の面前で醜態さらしてんじゃねぇよ!」
「はーぁ、笑った笑った!」
「うぅぅぅ…っ」
「「おっさんマジうぜぇ」」

初対面時からのあまりの豹変ぶりにユズは目の焦点を失っていた。
聞いてないぞとヒナを恨めしげに見遣る。その視線を受けて、気まずそうにヒナはこめかみを掻いた。

「うん…なんか今日は変だなって思ってたけど…こうゆう事だったんだね」
「これがデフォルトかよ…」
「うん…」

どんだけ面白い人間に囲まれて育ったんだ。その割にはまともに育っていて、ユズはこれが奇跡なのかとお茶を啜った。

「ちょ、きみ!」
「はい」
「ヒナを返しなさい!」
「あ、すいません、無理です」
「うわぁーん!!チカちゃぁーん!」
「諦めな。しつこいとヒナに嫌われるよ」

人格破綻とも言える豹変ぶりに驚きはしたが、親しみやすくなったのは確かだ。
終いには智佳子の膝にかじりついて泣き出した洋次から、ユズは智佳子に目を遣った。

「今日、本当はお伺いを立てに来たんじゃないんです。事後報告です。ヒナをもらいました」
「あんた顔だけじゃなくて中身も男前みたいだね」
「お母様には負けますよ」

ふふふ、ははは、と爽やかな笑顔が飛び交う。
黙ってお茶を飲みながら煎餅をボリボリ食べていたヒナも、そこで漸く安心したように笑んだ。

「もっと反対されるかと思った…」
「あらどうして?」
「だって、その」
「ひーちゃんは性別の話ししてんでしょ。なぁひーちゃん、あのさ、勘違いしちゃいけませんぜ」
「姉ちゃん?」

煎餅があまり好きではないのか、自分のポケットの中から小分けにされたバタークッキーを取り出して食べていた雛乃が心外だとでも言うように目を伏せた。そして真っ直ぐヒナを見る。
しつこくしゃくりあげる洋次以外が黙って次の言葉を待っていた。

「あたしら家族はさ、ひーちゃんの事がだーいすきな訳よ。ちっさい頃から一人ぼっちで居るあんたの事がすごく心配だった。それこそ初めは一人暮らしなんかさせたくなかったんだ。でもね、あたしらも思った。ひーちゃんを庇って庇って守っててもひーちゃんの成長を邪魔するだけだって。なんてったってこの美し過ぎる雛乃様の弟が、世間から愛されない訳ないしね。そしたらやっぱり、あんたを愛してくれる人間をあんたが愛して、あたしらの前に連れて来た。ひーちゃんが選んだ人間だってだけで、男だろうがオカマだろうが、宇宙人だったってあたしらは歓迎なんだ。そこんとこわかってる?」

ま、ちょっとは小姑させてもらうけどね。
気障たらしくウインクをユズに飛ばした雛乃は、一息ついたようにお茶を飲んで顔をしかめた。バタークッキーには合わなかったようだ。
ヒナと同じ色の髪を鬱陶しげに後ろへ流して、じっと唇を噛み締めるヒナを見据えた。
今にも崩れそうな儚さを湛えつつも気丈に背を伸ばすヒナは、傍らのユズに少しもしなだれるような弱さを見せず、やがてやんわりと、唇を綻ばせた。

「よろしくね、大河内くん」
「うちのヒナの事頼むよ、若造」
「こんな可愛くて優しくて頭良くて気立てのいい子は他に居ないんだから浮気したら殺すから」
「父さんも参加するぞぉぉ!」


「ユズ、…はは、ふつつか者ですが、どうぞよろしく」


照れ臭そうなヒナを三人は小突きながら、さてどうすると言わんばかりの意地悪い顔をユズに見せた。

面白い人達だ。
厳格かと思われた父親は息子溺愛の泣き虫で。
最初こそおしとやかに微笑んでいた母親はまさにカカァ天下。
ヒナと似た顔で大口開けて笑うのは、姉。

いつだって絶える事なく愛しいと訴えてくる瞳をユズに向けて、奇跡のもたらした宝物は、やはりくすぐったそうに眉を垂れた。

「あぁ、ずっと一緒に居よう。愛してんぞ、ヒナ」


ニャー、と、珍しく空気を読んだパスタが、祝いだと言うようにユズへ腹を見せた。

END