広すぎる曇り空から、自分に向けて雪が落ちて来る。
戻って来たんだと理解して、ぐっと目を閉じた。

泣いちゃいけないんだよヒナ。
ユズと約束しただろ?

ユズの言葉は絶対なんだ。
もし、もし迎えに来てくれなかったら、死ぬ間際に馬鹿みたいに泣きながら恨み言を言ってやるんだから。

「ヒナタ君、…ヒナタ君」
「え?」

俺を呼ぶ声に驚いて瞼を開く。
そこには俺を見下ろす顔が二人分微笑んでいて、思わず飛び起きた。

「涼子さん!真さん…っ!」
「あぁほら、背中に草がたくさんついてるわ」
「本当だ。制服なのに」
「あ、あの、あの、」

和やかに俺の背中についた草を払う二人に、今度はじわりと歓喜の涙が滲みくる。
それもやっぱり意地だけで引っ込めて、渇いた口内を潤す為に唾を呑んだ。

「会えたん…ですね…」

うっすらと透けた二人は、しっかりと手を繋いだまま笑った。
そして反対の手を同時に伸ばして、俺の頭や肩を撫でるように叩く。

「少し勘違いをしていたけれど…ありがとう、ヒナタ君」
「あなたのおかげで、真さんと会えたのよ。もう、ここに一人で縛られる事もなくなった。…ありがとう」

うん、と頷くしか出来ない俺を、二人はまた優しく撫でる。
ちっぽけな事しか出来なかったのに、とても幸せそうだった。

「僕達はもういくよ。…もうこの世に居ていい存在じゃないからね」
「新しい場所で幸せになるの。素敵でしょう?」
「はい…っ」
「ねぇヒナタ君」

悪戯っ子のように笑った涼子さんが、真さんの肩に頭を預ける。
どんどんと後ろの景色がはっきりと見えて来て、あぁさようならの時間なんだとわかった。

「ヒナタ君は優しいからきっと幸せになるわ。ううん、ならなきゃダメなのよね」
「涼子さ、」
「あなた達の為なら、頑張っちゃうんだから」

泣き濡れてやつれたあの日の涼子さんが幻だったんじゃないかってくらい、涼子さんは綺麗に笑った。
待って、と声が出る前に、頭を撫でていた真さんの腕が見えなくなり、そして。

「もう少し、待ってなさい」

光の粒が雪に負けないくらい白く輝いて、曇り空へ、消えた。

「消え、ちゃった…」

伸ばしかけた腕はついに何も掴む事なく、膝の上に落ちた。

悲しむ事はない。
だって経緯はどんなものであれど、あの二人はあんなにも幸せそうだった。
俺の未熟な物差しで計った幸せを押し付けて、悲しむなんて言語道断なんだから。

「でも……もっと、お話ししたかった、なぁ…」

相変わらず水の膜を湛えた瞳を、曇り空に向ける事でごまかした。

例えば、人の記憶は必ず薄れゆくものだと言うけれど、俺は確実にこの出来事を忘れないだろうと思った。
そうする事が誇りだし、俺自身、忘れたくなどない。

朧げだった存在価値を、確たるものにしてくれた人。彼に会う道を、意図なく作ってくれた彼女達。
どうしてこの大切な記憶を薄れさせる事が出来ようか。

きっと明日になればもっと強く、明後日にはもっともっと強く、会いたくなる。
なら一年後には、膨らんだこの気持ちがどうなるのかと考えて、一人笑った。

「上限なんてないんだろうなぁ」

膨らみ続けるのだ。
爆発してしまう時が来るとしたら、それはユズとまた、会えた時。

「………小宮山?」
「え?……え?」
「小宮山だよな?」
「あ、う、うん!」

いっそこのまま、日が落ちるまでここで寝そべっていようかなんて思い始めた俺を、何となく聞き覚えのある声が引き止めた。
振り返った道沿い、俺の背後には、同じ制服を来た人が吊り気味の目を丸く見張ってこちらを凝視していた。
あんまりにも見てくるから、意味もなく焦る。

「あ…俺わかる?」
「えと、うん。隣の席の…」
「おぉ!知ってたのか!椎寺!椎寺陽(ついじ よう)!」

名前、思い出せなかったんだけど。
椎寺君は俺が覚えていると勘違いしたのか、嬉しそうにスポーツバッグをぐるぐると振り回して笑う。
学校の人にこんな風に接してもらえたのは初めてで、戸惑ってしまった。
そんな俺の様子に気付いたのか、椎寺君は慌てたように俺の隣に腰掛けて、器用に眉を垂れさせた。

「ごめん、ちょいはしゃぎすぎた」
「あ、いや、いいんだ。ただ…学校の人と普通に話すの、初めてだから」
「あー…それな…小宮山いっつも無表情なんだもん、皆怖くて話しかけれねぇよ」
「え!?」
「え?」

ちーんと沈黙が流れる。
椎寺君の言う意味がわからなくて大声を出してしまった俺のせいで、椎寺君までが固まってしまった。

「俺、無表情…?」
「え、うんかなり」
「嘘!?」
「ううう嘘じゃねぇよ!小宮山めっちゃ人気あんのに、話しかけんなオーラが出てるから皆近寄れねぇの!」
「出してないよっ」
「超出てるから!」

椎寺君の言葉が宇宙語に聞こえる。
何言ってるんだろうこの人、とジト目になる俺に慌てて、椎寺君は目の前で両手を振った。
そして気まずそうに耳の後ろを指で掻いて、そろそろと視線を宙にさ迷わせた。

「ファンクラブとか、あんだぜ、小宮山」
「…」
「マジだって信じろよ!」
「えー…」
「あーもう!俺だって話しかけたかったんだぜ!?でも無表情の小宮山怖い!」
「じゃあどうして今は平気なの?」
「そ、れは…」

ユズ、それからユズのクラスメイト達のおかげで、少し対人関係の免疫がついていたみたいだ。
挙動不審すぎる椎寺君が何だか面白くて問い詰めると、更に気まずそうに口をヘの字に曲げて見せた。

「だって、さっきの小宮山すげー笑ってたんだもん。今だ!って思った訳」
「俺笑ってた?」
「うん」
「そっか」

もっと笑え、だよね。ユズ。
君はこんな事も見越してそう言ったのかな。
だとしたら、ユズは俺の神様だね。

「…こ、小宮山」
「なぁに?」
「あの…よかったら、なんだけど」
「だから何ー?」

傍らに置いたバッグを両手で抱きしめた椎寺君は、チラリと上目遣いで俺を見た。
クラスの中心でわーわー騒いでいる姿しか知らないから、とても新鮮で。

「暇なら、飯行きませんカ?」

ポケットの中の携帯を探って、ストラップを握り締めた。
白いガラス玉が埋まった、四つ葉モチーフのプレート。
ねぇユズ。そこに書いてある筆記体。意味わかってお揃いにした?

「うん、行く!」

―Always by the Side―

だったら早く、会いに来て。
こんな言葉じゃ物足りないから。