今度は何!と目を白黒させる俺を放って、高山先生は雄叫びを上げながら一番近かった恐面の先生の首に巻き付く。
大声で耳が痛かったのかその先生は一瞬眉をしかめたものの、すぐ立ち直って溜め息を吐いた。

「順ちゃん俺はもう嫌だ!何なんだこの展開は!俺は何か呪われているのか!?なぁ、なぁ、どうなんだ!」
「あー…うっせぇな……もう高山死ぬしかねぇんじゃねぇの」
「そりゃないだろぉぉぉ!!」

順ちゃん、と呼ばれた恐面先生は、本当に面倒臭そうだ。投げやりな態度で高山先生の相手をしながら、反対側のデスクにいた白衣を纏った先生に手で何やら合図をした。

高山先生もだけれど、聞く限りややこしすぎる生徒を指揮するにはやや頼りなさそうな風体をしている。順ちゃん先生は大丈夫そうだけれど。
白衣の先生はスラリとした体に似合う栗色の髪を鬱陶しそうに耳にかけて立ち上がった。
そして俺にニッコリと笑いかけて、手招きする。

あぁ、この先生がお弁当を渡してくれるのかな、と思い、近付く。

「小宮山君、こっちへおいで」
「あ、はい」

見た目通り優しそうな声、優しそうな話し方。
インパクトの強い高山先生で若干疲れていた俺は、その癒し系オーラに和みつつ後ろをついて職員室の入り口へと向かった。

「あの、先生がユズのお弁当渡してくれるんですか?」

入り口の扉を引いた先生は、振り返ってまた笑う。
そしてポンポンと俺の頭を撫でた後、ガッシリと掴……掴んだ?

「誰があんな糞ややこしいガキに自ら関わるかっつーのボケーぃ」
「え……うひゃ!」

そう、掴んで、何と先生は俺を廊下をポイと放ったのだ。
そして驚きのまま声の出ない俺にハン、と鼻で笑って、あの癒し系のお顔をいけずそうに歪める。

「1ーC、4階だ。途中絡まれねぇよーに気ぃつけな、子猫ちゃん」

それだけ言って、パシンと扉が閉まる。
サァァ、と引く血の気を煽るように、授業終了のチャイムが鳴り響いた。

「う……嘘……」

ガヤガヤと、授業中でも聞こえていた喧騒が段々大きくなる。
誰にも会わず平和に帰路につく事は、もう叶わぬ夢となってしまった。

「い…行く、しかないよな…」

とりあえずビクつきながら階段へ向かう。
そりゃ、あの先生もあの性格ならこの学校でもやっていけるはずだ。癒し系だなんて何故思ったんだろう。詐欺だ。これはもう犯罪だ。

そう恨み言を連ねても、階段を四階まで上がらなければいけない事実は変わらない。
一年生が四階という事は、ニ、三年生の階を経なければならない。

誰かに出会う前…というか、誰かにカモられる前にお弁当を渡すのを諦めて帰るという手もあったが、ここまで来て帰れるかといらぬ頑固さが顔出した為に実行出来そうになかった。

爪先だけで音を立てないように、なるべく早く階段を駆け上がる。
妙な緊張感からか、たいした運動量でもないのに心臓がバクバクと鳴っていた。

いわばホラー映画を見ている感覚に近い。主人公が冷や汗を流しながら逃げているにも関わらず、ひたひたと幽霊が追い詰めるシーン並の恐怖感だ。
姉さんは、この逃げ惑う主人公を見るのが楽しくて堪らないと笑い飛ばしていたけれど、実際の幽霊さん達とは似ても似つかないグロッキーな幽霊は俺にとって怖いものでしかなかった。

「仕方ないよな…姉さんドSだし…」
「ふーん。そんな姉ちゃんなら怖いわな」
「そうなんだよね…俺には優しいんだ、けど、……え?」
「やほー美人さん」

三階の踊り場に差し掛かった時聞こえた相槌に思わず返して、俺は青くなる。
あぁ前タロちゃん達が来た時もこうしたなと思いながら、グギギと横に見た。

真っ赤な髪を立たせた人と、ツルピカスキンヘッドが眩しい人が、いい笑顔。
手を振り返す勇気は、ない。

「なーにしてんの?ここの生徒じゃないね」
「だな。侵入者か?なんちって」
「ははは…こここここ、こんにちは…」
「はいこんにちは」

馬鹿か俺挨拶してる場合じゃないだろ!
引き攣る頬を隠せないまま、俺は壊れた玩具みたいな声でこの場に似つかわしい笑い声を上げるしかなかった。

カツアゲか、リンチか。
どちらにせよ参った。リンチしかない。

お金をこっちの時間に持って来ていないし、歩いて通える距離だからお弁当箱しか持っていない。
ならば行き着くのは、結局サンドバックだ。

「ん?それ弁当?」
「誰の?」
「い、一年の…」

ここで素直にユズの名前を出していいものか。
携帯も使えないしユズの番号も知らないから、俺がこうしてここに来たのは完全な独断だ。

ちゃんと栄養のあるものを食べてほしいと思ったからであって、我が儘。
こんな事でユズに迷惑がかかったら本末転倒。意味がない。

俺は言葉に詰まって、視線を漂わせた。

そうしている間にも二人の友人らしき人物がわらわらと集まってくる。もう失神寸前だった。
睨まないで下さいお願いします。怖いんです本当にあなた方の、お顔が!

「一年の、誰?」

ジロジロと観察するような視線が、俺の頭から爪先までを往復する。いたたまれないのに逃げる事も出来ずに、俺はただ目をキツクつむった。

「ヒナタちゃん?」
「え……あ、タロちゃん!」
「わー!ヒナタちゃんだー!どしたのどしたのどしたのー!え、何で囲まれてんの何してんのー!?」

タロちゃん、君はまごうことなき天使なんだね。
突然階下から聞こえた知り合いの声に、その姿に、安堵から腰が抜けそうになってしまった。