低く、低く、一文字一文字に濁点を付けたかのような声。
淡々と返す志方さんを他所に、壊れたブリキの玩具みたいにリビングの入口へ顔を向ける俺と羽田さん。

身がすくむような思いの中、空気の読めない涙が絞り切るようにもう一度流れて、頬に添えられた羽田さんの指に当たって壊れた。

「ヒナ泣かしてんじゃねぇぞクソピンク野郎がぁぁあっ!!」
「ぎゃー!!!!」
「ユズー!やめてやめてやめて!!いいいい痛い事はしちゃダメなんだよー!!」

初めてユズと話した時、悪魔と俺が零した瞬間の顔と同じ形相をしたユズが羽田さんを掴み上げる。
瞬時に青ざめた羽田さんの喉を締め上げるようにネクタイを引くユズの表情はどこからどう見ても本気で、俺は慌ててその腕に抱き着いた。
殺人なんてたまったもんじゃない。
何に怒ってるのかわかんないけど、話し合いで解決出来る事が多いのは確かだ。

「ヒナ…やめてほしいか?」
「うん!うん!やめてほしい!」
「じゃあ何で泣いてたんだよ」
「あ、あれは…!そう!羽田さんがあんまりにも面白い事言うから笑いすぎちゃって!」
「…今回だけだぞ出来損ないピンク」
「ぐえっ!」

咄嗟に思い付いた言い訳。さっき羽田さんに言い訳は出来なかったけれど、今回はうまくいったようだった。

高い場所から落とされて変な声を上げた羽田さんには申し訳ないけれど、まだ絞首死体になるよりかはマシだと納得してもらおう。

どうにか収まったらしいユズの怒りに安心して、俺はまたぎゅうと抱えた左腕を抱きしめた。

「ったくおーくん酷…い………わぉ……」
「珍百景候補」

起き上がって文句を垂れ、そして固まった羽田さん。
ひたすら観察するようにこちらを見る志方さん。

その二人の刺さる視線を受けながら俺は、カーペットに座り込んだユズの腕の中に収まっていた。
背中に回された腕にキツイくらい力が込められていて、逃げる事は無理そうだ。
押し付けられた制服の白いカッターからユズの匂いがして、そう言えば最初もこうして抱き留めてもらったなぁと現実逃避。恥ずかしいという単語は今だけ辞書から消えてほしい。

「何もされてねぇか?」
「うん、平気。心配ないよ」
「わりぃな…コンビニで知り合いに捕まっちまってよ…。もっと早く帰って来るべきだった」
「大丈夫だってば、心配性だなぁ…。二人共いい人だね」

ユズの心配して俺に脅しかけるくらい、とは言えずに笑う。
それでも結局は何もなかったのだから、早く落ち着いてほしくてゆういつ動く右手でユズの背中を何度か撫でた。

「すげー、おーくんがデレてんよー」
「うっせぇ黙ってろむしろ帰れ今すぐ帰れ」
「ユズ…酷い…」

やっと離してくれたかと思ったらまだユズは羽田さんにぶつぶつと文句を垂れている。それでも羽田さんは楽しそうで、一先ず安心だ。
俺はとりあえず、と、扉付近に置き去りにされたコンビニの袋を冷凍庫に仕舞いに向かった。

せっかく買って来たの、溶けてないといいけど…。

それから、俺も竜田揚げ食べたい!と今度は駄々をこねだした羽田さんの為に、何故かそのまま宴会へと移行することになった。

喧しく喧嘩するユズと羽田さんを放って準備に勤しむ俺を見兼ねてか、志方さんは黙々と料理を運ぶのを手伝ってくれた。無表情で口数はすごく少ないけれど、気が利いて優しいんだなと好印象。

「いいケツ」
「へ?今何か言いました?」

首を横に振る志方さん。
空耳かー、とおかしく思いながらも、着々と料理は出来上がっていった。

「ヒナー、もういいからこっち来い。マサと二人になったら孕む!」
「何言ってんのユズ…俺男だから孕まないよ」
「いーからこい!」

焦れたようにキッチンへ来たユズは俺の手を引いてリビングへ戻る。
幸いもう準備は終わって、流しの中に使った調理器具を浸けていた所だったから問題はない。

ソファの足元に座ったユズと俺と、その向かい側に座った羽田さんと志方さんは、ビールを注がれたコップを持った。勿論俺はお茶だけど。

「んじゃ!かんぱーい!!」
「何に乾杯すんだ脳タリンめ」
「か、かんぱーい」
「乾杯」

カチンと音を立ててぶつかる四つのコップ。

俺にとっては非日常な流れに、ウキウキと跳ねる鼓動を抑えるのは不可能だった。

「ヒナタちゃーん、おかわり!」
「はーい。ユズとマサ君は?」
「ん」

タロちゃん―そう呼べと言われた―から渡された茶碗を持って二人に問い掛けると、双方ともにずいと空の茶碗を俺に差し出した。

三人共ご飯を食べながらお酒を飲めるようで、見る間に料理が無くなっていく。
まぁ基本は男子高校生な訳で、どんなにアルコールが好きでもやはり食欲優先なんだろう。

少しばかり多めに炊けてしまう炊き込みご飯が残る事を危惧していた俺は、いらぬ心配だったとまた山盛りにご飯を茶碗に盛った。

「つーかてめぇら何しに来たんだよ。聞いてねぇぞ」
「えー?おーくんそれ今更すぎじゃねー?」
「うっせぇ黙れハゲ」
「ハゲてねぇし!!ふっさふさのピンクだし!」
「っは!そんだけ毛根虐めてハゲねぇ訳ねえだろ」
「どっちもどっち」

不毛なユズとタロちゃんの言い争い。最後に投下されるマサ君の正統過ぎる爆弾。
もう何度目かのパターンに飽きもせず俺は笑って、茶碗をそれぞれの前に置いた。

「仲良いね。コント見てるみたい」
「良くねぇ」
「超ー仲ヨピじゃん俺らぁぁぁっ!」
「トリオは嫌だ」

ケッと口を歪めたユズは仕返しのように俺を小突く。
全く力の入れられていない攻撃が可笑しくて、また笑ってしまった。