「いただきまーす」
「いただきます」

妙に行儀良く手を合わせたユズは、待ってましたとばかりにスプーンをグラタンに突き刺した。
キツネ色に焼けたチーズが裂けて、ホワイトソースを纏った具が湯気を立てながらスプーンに乗る。

おざなりに息を吹き掛けてそれを口に入れたユズは、予想外にも熱がる事なくもしゃもしゃと咀嚼した。

「熱くないの…?」
「ん、平気。うまい!うまい!」
「あ、ありがとう…」

もしかしたらユズの舌は鉄で出来てるんじゃなかろうか。
料理を日常的にしている主婦なんかは、少し位なら油に指を入れても平気ーなんて皮の厚くなった人も居るけれど、焼きたてのグラタン位なら舌火傷しないよー、なんて人は聞いた事がない。

やっぱり悪魔と人間を比べるのは失礼…?

それこそ失礼だろって事を考えながら、俺もグラタンにスプーンをさした。

今日の夕飯はグラタンとサンドイッチ、コンソメスープとササミサラダ。
どうやらユズには野菜の好き嫌いが殆どないらしく、スープもサラダもみるみる完食されていく。

いっそ清々しい程綺麗になっていく皿に、俺は知らず笑みを浮かべていた。

「ヒナー」
「ん?」
「おかわり」
「ちょっと待ってて」
「ん」

気持ちがあったかい。

明るい部屋で誰かと会話をしながらとる夕飯は、家族と住んでいる時以来の美味しい食卓だった。

+++

「お風呂ありがとね」
「ん」

ユズの家は、彼一人暮らしだとは思えない程綺麗だ。
今までどうしていたのかわからないけど、部屋も廊下もキッチンも、バスルームもトイレでさえ。
物が少ないって訳ではないのにきちんとあるべきものをあるべき場所に仕舞われてて、小まめに掃除機やら拭き掃除やらしているのか埃もあまり見かけない。
とりあえず俺は、バスルームにカビが生えてない事に驚いた。

パジャマ用にと渡されているTシャツとスウェットのズボンを履いて、肩にタオルをかけたまま部屋に戻る。
ソファに腰掛けてテレビを見るユズは、ビールを煽りながら手を上げて返事をした。

「…ユズって、いっつもビール飲んでるね」
「麦茶と変わんねぇだろ」
「元を辿ればどっちも植物だけどさぁ…まぁいいや」

隣に座った俺に飲みかけの缶を差し出して首を傾げるユズにいらないと断って、俺もテレビへと視線を向けた。

「あー…懐かしいなぁ、この芸人さん」
「ヒナからすりゃ二年前のテレビだもんな。こいつ消える?」
「急に居なくなっちゃった」
「やっべウケるー。これ消えるとか想像出来ねぇんスけど」

当時爆発的に流行った一発ギャグを繰り返す芸人さんを見て、ユズは肩を揺らして笑う。
俺は既に二年前に見飽きてしまっていて、少しも笑えなかった。

まぁ、ユズが笑ってるからいいかな。


「あ、そうだ。ヒナここ座れ」
「?なに?」
「いーから来る!」

唐突に自分の足の間、床部分を指差したユズは、俺の腕を引いてそこに座らせた。

何なんだと振り返ろうとした俺の頭を掴み、前に向けさせたユズは何やら後ろでカチャカチャと音を立てている。

「ゆ、ユズ…?」
「別に何もしねぇよ。怖がりだなーヒナは」
「そんなこ、ぅひゃ!」
「失礼しまー」

ブオン、と唸る音が聞こえたと思ったら、後頭部に温風が吹き付けられた。
流されて前に来た髪の毛がくすぐったくて目をつむると、その髪の毛を梳く指の感触。

熱くないように音の正体、ドライアーを揺らしながら、撫でるように動く優しい指先。

驚いたけれどこの音じゃ話せないし、後ろ向いたらきっと顔で温風を受けてしまうから、俺は黙ってされるがままにソファへ体を預けた。

髪の毛を乾かしてもらうなんて、初めてだ。
勿論美容室くらい行くけれど、ユズにやってもらう方が何倍も気持ちいい。

まるで髪の毛の一本一本に神経が通ってるんじゃないかってくらいに。


柚綺という人間は、なんて優しい個体なんだろう。
俺なんかに惜しげもなく与えて、何も返せないのにも関わらず。

少し滲んだ涙は、髪の毛を避ける振りしながら拭ってしまった。