さっき必死で逃げていた時も死ぬほど辛かったけど、それよりも酷く喉が乾く。
潤いのなくなった口内は喉以上に張り付いて、体が唾液を分泌する事を忘れてしまったようだった。
無音を保ったままの室内で、俺の激しく動く心臓の音が目の前の人物にも聞こえて、しまいそう。

何年先から?と、ユズは言った。
未来から来たの?ではない。
あくまでそれは決定事項と前提して、いつから来たのかを聞いたのだ。

俺のどの発言からそれらしい事が匂ってしまったのか考えるけど、一つも見当たらない。
だって俺は、名前と歳と高校と、住んでいる場所を答えただけ。

どこで?
どこで感ずいた?

「なぁ、答えろって」

ユズは急かすように笑う。
その完璧な笑顔の前で、あやふやにごまかすなんて芸当俺には出来そうになかった。口は自然と開く。比例するように、視線は下がる。

「…どうして、わかったの」

肯定。
それは終わりを意味する。

久しぶりに俺をあの目で見ずに話してくれた人だったけれど、言ってしまえば終わりだ。
諦めてからは人とあまり関わらないように生きて来たせいか、懐かしい他人との関わりが酷く名残惜しく感じる。
それでもきっと、視線を上げたらユズもあの目で俺を見るんだろう。

好奇心の入り混じった、化け物を見るような目で。

『お前人間?』

中学時代仲の良かった友人の、そんな心ない一言が頭の中でまた広がった。

「ヒナ、顔上げろよ」
「…ヤ、だよ」
「うっせ、上げろっつったら上げろ」

青いシーツばかりを見つめていた俺に痺れを切らしたように、ユズの指先が視界に入った次の瞬間には俺の顎にそれがかかった。
ぐいと上向けられて、必然的に俺を見つめるユズの瞳とかちあう。

「…っておい、無表情で泣くな」
「泣い、てない」
「そら無理があるだろ。あーもう…ほら、泣くな泣くな、よーしよーし…」

けれどそこには覚悟していた俺の嫌いな目はなく。
訳のわからない悲しさから勝手に出てきた涙を見て、ユズは少し慌てる。

幼子にするように俺を抱き寄せ、一定のリズムで背中を叩くその手の平は、想像以上に優しくて。

「…気持ち、悪くない、の…?」
「は?俺んな事言ったっけ?」
「い…言ってない、けど…」
「あーもーわかった、全部後回しだ。とりあえず泣き止め、べそかきめ」

とん、とん、とん。

不思議だった。

ユズという人物からは脈絡のないその優しさも、それがたまらなく心地いい自分の気持ちも。

ユズの意図がわからなくて早く泣き止みたいと思う一方で、泣いている間はこうして抱きしめていてくれるのかもしれないと期待が膨らんで、もう少しだけ涙が止まらなければいいのに、と祈った。


背中から頭へと移動したその手の平は、相変わらず暖かい。
相手は初対面であの悪魔だというのに、俺の脆い戒めはいとも簡単にほつれが生じて。
治まりかけた涙が更に溢れそうになって、俺は必死でそんな思考を頭の隅に追いやった。

「…何にそんな怖がってんのかとか、俺知らねぇけどさ。別にヒナの事気持ち悪いとか思わねぇし。だから、何で未来から来たのか言ってみろよ。そしたら何でわかったか教えてやるから」

高校生とは思えない、低くしっかりとした声が鼓膜を震わせる。
じんわりと、それがさも当然だとでも言うようにその言葉を受け入れた俺は、水滴で冷たくなった睫毛越しにうっすらと飲みかけの缶を見ながら口を開いた。

「俺…ずっと昔から幽霊ってやつが見えるんだ。見えるだけじゃない、話せるし、触れるし。でもそれがおかしい事だって、わからなくって…。家族以外の、仲の良かった友達とか、優しかった先生に気持ち悪いって目で、見られるようになって。それから友達、とか、いなくなって…。だから一人でこっちに出て来たけど、噂話って流れてくるみたいでさ…やっぱ一人ぼっちで。何の為に俺生きてんだろうって思った。俺は何の役に立つんだって」

そこまで話して、俺はユズの体からそっと体を起こした。
いつまでくっついて慰めてもらってるんだろうって、唐突に羞恥に襲われる。

恥ずかしさと僅かな恐怖をユズに悟られぬよう俯いて、深く息を吐き出した。