途方もない達成感と吐きそうな緊張感の狭間で、俺は目を閉じた。
覚悟ならとうに出来てる。
もう大丈夫。

そう思っていたのに。

「そのまま、聞いて」

先輩の手があの頃のように、頭に乗る。
息を詰めた俺に構わず、静かな声色で俺の涙腺を刺激した。

「待ってたんだ。その言葉。ずっと、ずーっと、毎日毎日、俺と一緒にハート描いてくれた日から」
「せん、」
「ねぇ、なんで毎日手を繋いでたと思う?可愛くて仕方ないからに決まってんじゃん。俺ゆったよ?好きなタイプは意味わかんない子だって。キミしか居ないって、そんなの」
「せんぱい、」
「俺のが何百倍もキミの事好きなんだよ、遅いよ全く待ちくたびれた」

頭にあった手で両頬を勢いよく挟まれて、衝撃と痛みに顔をしかめる。だがそんな暇もくれてやらないと言うような強引さで顔を上げさせられた先には、背にある太陽なんかに負ける要素がないくらい、眩しい笑顔を浮かべた先輩がいた。

「先輩、…そん、嘘…」
「嘘じゃないし、好きだしめちゃくちゃ。じゃなきゃチューしないしハグしないし、キミやっぱモラリストだわ。キミの中の常識に、俺がキミを好きな訳ないって法律が登録されてるっしょ」
「…せんぱ……っ」

何を、何を言うのか、この人は。
先輩が言った事全てが、今すぐ心臓が破裂しそうな程嬉しい。なのに、それは絶望感と背中合わせだ。

だってそんなの、もう、遅いじゃないか。

だったらこんな事実聞きたくなかったと、自分が先に告白した事を棚に上げて詰りたくなった。

「ねぇ、」

何も聞きたくない。これ以上期待を持ちたくない。
諦める為に俺はここに居るのだと、何度も首を振った。
なのに先輩は、耳元まで口を寄せて囁く。

「結婚しよっか?」
「、は…?」
「キミのモラル、俺がぜーんぶ壊してあげる」

先輩が笑う。
全く意味の理解出来ない俺を余所に、脇の下に手を差し込んで抱き上げられた。その腕力もだが、この状況が信じられない。
固まったままの俺は、勢いよく開いた扉のせいで更に、硬直した。

「おっめでとー!」
「あっりがとー!」

口々に祝辞を叫びながら室内に入って来た人達は、皆一様に手を叩いている。
言うなれば頭真っ白状態の俺を抱えたまんまくるくる回って見せる先輩は、嬉しそうに大きい声でありがとうと叫んだ。

「は、ちょ、まって、待って先輩、意味がっ…」
「結婚式、嘘でーっす!」
「あぁそうな……はぁぁ!?」

必死で説明を求めたというのに、立ち止まって俺を降ろした先輩は、あろうことかふざけているとしか思えない台詞を堂々と吐いた。
それに沸き上がる周りの人。
今なら憤死出来ると、本気で思った。

「キミが俺に好きって言わなかったら、本当に結婚式しちゃってたけどね」
「嘘…」
「本当よ。そうゆう話しだったの。でもよかった、私はこんな意味のわからない男と結婚したくないもの」

そう言って一歩出てきた女性は、あの受付の女性だった。
腕を組んで仁王立ちする姿に、優しげな面影はない。

耳が痛い程沸き上がる観衆の中、何となく理解し始めた俺はまた、泣いていた。
だってそうだろ、こんなの、夢でも見れないくらい、しあわせな。

「先輩、らしいですね…」
「普通じゃおもしろくないし!ハート描いた仲じゃん!」

にーっと歯を見せて笑いながら、友人らしき人物から何かを受け取る。
それは忘れもしない、想い出の赤だった。

ずいっとバケツごと差し出して、先輩は言う。

「俺と結婚してよ。んでハート描こう、赤で。ね、頷いてよコウタ」

俺の返事なんて、あってないようなものだった。

「はい、ヤマトさん」

頷く事でこんなにも、人生ってやつは変わるのだ。
真っ赤なハートが乱舞する廊下は消されてしまったけれど、二度と消えない大きなハートを、もう一度。

あなたと描きたいから。

END