木枯らしに腹を立てる程度には寒い、けれど人の熱気に溢れ返る校舎内を目的の場所まで黙々一人で歩く。
文化祭当日である今日は、元より人数の多いこの学校を更に息苦しくしていた。

手作りチックなお化け屋敷に並ぶ客の間を通り過ぎると、その隣の教室からはソースのいい香りがして胃が収縮する。そろそろ鳴りそうだなと腹に力を入れて、そこから二つ隣の教室を覗いた。

小洒落た雰囲気のそこは先輩の教室で、机や椅子が学校のものでなかったらもっと喫茶店らしかっただろうなという程しっかりと作り込まれた空間が広がっていた。
客入りも上々なようで、忙しそうに走る店員さんがてんやわんやしている。
制服にも力を入れたのだろう。生徒達が着ている服は喫茶店というよりバーテンダーのようだった。

同じ時間に休憩が重なると前もって聞いていたから、いつもとは逆に俺が迎えに来たのだけれど、初めて来る教室は知らない人だらけで少々気後れしてしまう。
客か客じゃないのかと僅かに視線を感じながら見回していると、黒板の前辺りで何やら真剣にパンフレットに書き込んでいる先輩の姿を見つけた。

あまり大きな声で呼ぶのもどうかと思った俺は前の扉まで行き、小さく声を出した。

「先輩」
「ん?」

くるりと俺を振り返ったまま、先輩が固まる。固まるというか、じいっと凝視されているようだった。
解り難いかと苦笑いが漏れる。

「俺です。遅くなりました」
「…あ、嘘、何そのカッコ」
「俺のクラス、変な流行に乗ってまして。お目汚し失礼」

頭の先から爪先までを、先輩の不躾な視線が何度も行き来する。
俺が着ているのは所謂巫女衣装というもので、クラスの出し物は女装喫茶だ。他にないものをしよう!と盛り上がった割には普通だと内心ぼやいたが、中には際どい短さのセーラーを着せられた奴もいたから、まぁまぁマシな服装に当たった俺は文句は言えない。

だがやはり女物には変わりないので早く着替えたいのだが、如何せん人気があったようで、忙しいからと制服の入った紙袋ごと追い出されてしまったのだ。

「着替える時間なくてそのまま来たんですが…なんかすみません」
「何謝ってんのー。超びびったけど普通に似合ってんよ」
「あはは、それはどうも」

あまり嬉しくない賛辞ではあるが、そこは恋心が魔法をかけた。
自然ににやけそうになる頬を引き締めながら、立ち上がった先輩と俺は文化祭を楽しむ為歩きだした。

「着替えたいので空き教室に行ってもいいですか?」
「着替えちゃうの?勿体ない」
「俺は男ですよ」

嬉しい、が。
今あなたの隣で歩いているのは女の子じゃなく、ちゃんとした男なのだと。
言えない言葉を詰めに詰めた台詞で何とか着替え終えるまで、先輩は多分15回は「そのままでもいーじゃん」と言ったと思う。

それを深読みし過ぎて傷付くのに、慣れる位。

ほとほと痛い思考回路へと成長してしまった自分が悲しいが、そんな事ばかり言っている間にも着々と時計の針が円周する。
気を取り直してからの文化祭は、仲のいい友人が見れば引くくらい、笑顔を振り撒いていたと思う。

楽しかった。純粋に。
たかが高校の文化祭だけれど、安っぽい仕上がりの露店巡りや、小さなコンサートも。
恐らく俺は、ただ隣に先輩が居たらそれだけで楽しいのだろうと、後になって思う。
そう、人垣に埋もれても離れない手の平が、俺の道標にすらなっていた。

「つっかれたねー」
「随分歩きましたもんね」

散々食べ歩き倒し一通り気になる出し物を周り尽くした俺達は、非常階段の下でぐったりと壁に背を預けて笑った。
太陽が西に傾いて風の冷たさがやけに頬を撫でる。もう少し暖かければもっと気分がいいものを。

「俺ねー、今日知らない子に好きなタイプってどんなの?って聞かれたんだ」
「積極的な方達ですね。何て答えたんですか?」
「んー、」

聞かれない方がおかしいだろう、とぼやきたくなる。
先輩を可愛いと思うのは俺だけで充分だが、格好いいと思う人は大勢いるだろうから。
蕾が開くような焦れったさで沸き上がる嫉妬なんてものは悟られてはいけない。こうゆう時、あまり顔に感情が現れない自分を褒めたくなる。

考えるように首を傾げた先輩は、コテンとこちら側に首を傾けて上目遣いで俺を見た。

「意味わかんない子がタイプ、てゆっといた」
「先輩、そんなに自分が好きなんですか」
「なんだとコンニャロ」

意味わかんない子、なんてそんなの、先輩そのものじゃないか。
漠然としすぎて、目標にも出来やしない。

うっすらと期待のようなものを感じていたにも関わらず残念な言葉が返って来て、いじけたくなった。
先輩、俺はあなたのタイプに、意味がわからない子に、なりたいのに。

「せんぱい、」
「んー?」
「写真、撮りませんか?」

何の変哲もないインスタントカメラを取り出してチラつかせる。
先輩は大きく頷いて、笑った。

腕の長さで敗北した俺の手から、カメラが先輩の手へと渡る。
小さなレンズに二人ちゃんと収まるように、限界まで寄り添って、肩も足も、頭もくっついて。

俺がとても焦っていた事、先輩は気付かない。
少しずつ寒くなる季節に比例して卒業ムードが漂うから、今頃時間制限がある事に衝撃を受けたり、していたなんて。

先輩も俺も何も言わない。
もしかしたら、何も言えなかったのかもしれない。

たった一つ、目に見える想い出が欲しかった。簡単に変えられるような携帯番号より、ずっと確かなもの。

たった一枚の写真、そして、

「ね、ギューってしていい?」

たった一度のゼロの距離。

これがどうか、最後の恋であれと涙を拭いた、秋の日。