それから黙々と、俺と先輩は壁にハートを描き続けた。
時折背後を通る生徒が、足早に過ぎ去って行く。
それが正常な判断だと、俺はすごく可笑しくなった。

本来ならば俺もあちら側の人間だろうに。首の振り方一つで、こうも立ち位置を変えてしまえるなんて、人生とはこんなに楽しい要素を秘めていたのか、と。

それに気付かなかった事が口惜しい。そして、気付けた事が妙に誇らしい。

「この壁暗いよね」
「そうですか?」
「うん、中途半端な色で、俺はあんま好きくない。原色みたくはっきりしてる方がいい」
「そうなんですか」
「全部は塗れないから、赤でハート描いたら明るくなるかなって思ったんだ」

毎日見る壁が暗いと食欲も湧かないよね、と締め括った先輩は、ハートの真ん中にベチャリとハケを押し付けて、笑った。

それから、気付いた教師に怒鳴られるまで、ずうっと、ハートばかりを描いていた。
数メートルの間ハートが乱舞する壁は、賑やか過ぎてセンスがない。
ペンキとハケを放って逃げる最中、描きすぎたハートが名残惜しくて、ずっと見ていた。

先輩に引っ張られるまま逃げた先の三年生の教室で、俺達は襲い来る衝動に任せて、息が出来なくなる程、声を上げて笑った。

後で長い説教を受ける羽目になるのだろう。それさえも可笑しい。

「藤山の顔見た?ちょー般若!」
「見ました、あー可笑しい。俺体育で顔合わせるのに」
「そりゃご愁傷様」

まるで他人事のように(実際その通りだ)ケタケタと面白い笑い声を響かせて、先輩は傍らの机から通学鞄を肩に担いだ。
重たそうに膨らんだそれは、些か持ち辛そうだ。しかも中身は教科書類とは言い難い膨らみ方をしている。外は言うまでもなく、ごっちゃりしたキーホルダーやマーカーで書いた読めない筆記体で賑やかだ。

「一緒帰る?」
「はい」

ここでも俺は、迷いなく頷いていた。
そして何故だか差し出して来たペンキで汚れた手にも、自分の汚れた手を重ねた。

「先輩、また会えますか?」
「わかんないね」
「どうしてですか?」
「だってキミとは共犯者なだけだもん」

にー、と唇を限界まで横に引いて笑っていた。
ただ、やっぱり村人で終わらせたくなかった俺は、自分でも理解不能なまま。

「じゃ、付き合ってください」
「ん、いーよ」
「軽いですね」
「そっちのがしっくりきたんだって」
「あは、俺もです」

友達じゃ何か物足りないと思った。
非常に未知な会話だが、その方が、確かにピッタリのような気がしたんだ。

「帰ろ」
「はい」

あっさりしたエセ告白と、あっさりしたOKで、俺達は晴れて恋人となった。共犯者から飛び級で昇格。
自分から踏み外した道が、心の根っこで俺を僅かに攻めていた。

次の日にはハートの壁は無くなっていたけれど、俺の隣には、先輩が居て残念だと笑っていた。

そんな春の日。