晴天、そんな言葉が相応しい。
人でごった返すフロアに降り立った俺は、三年ぶりの故郷の空気に酔いしれ………る暇もなかった。

「水上さん!養生を終えて日本に帰って来た今の気持ちは!?」
「復帰後の世界コンクールでの準優勝、その時の心境を!」
「これからの活動方針は!?」
「まずは日本で何をしたいですか?」

いつの間に俺が帰国する情報を掴んだのか、ワラワラとマスコミが俺を囲む。芸能人でもないのに、ご苦労な事で。

でも、少しは。

「大切な人を捜すんですよ」

一番最後に聞こえた質問に笑顔で答え、面白い程見事に固まったマスコミ達に背を向けた。

「光、どこか行きたいところはある?」
「うん、高校に…行きたい」
「わかったわ」

母さんの運転する車の後部座席に乗り込み、記憶と少し違う日本の景色を窓から眺める。


渡った先の病院で急いで検査をし、適合者の心臓を移植した。
心配されていた拒絶反応もなく、信じられない程すんなりと、俺は生きる権利を手に入れた。

長いリハビリ生活の後、丁度開催されるコンクールに無名で参加した。たくさんたくさん苦労と心配をかけた人に、恩返しがしたかった。

部屋でひっそりと奏でるのもいいけれど、どうせなら、大きな舞台で派手好きな母さんを喜ばせたかった。

まぁ、そこで大層奮闘しちまったから、騒がれ出して大変な訳だけれど。

見慣れた景色が視界を埋め尽くす。毎日通っていた通学路を通り、車は少ししか居られなかった大切な、あの場所へ。

「母さん、」
「もう、マネージャーって一回くらい呼んでくれない?」
「はは、マネージャー、俺歩いて帰るから」
「大丈夫なの?」

まだ心配そうな母さんに手を上げて答え、門前に降り立つ。

何も変わってない。
司と出会った場所。

日本に帰ったら、まずここに来ようと決めていた。

「元気かな…」

司の手術が成功したのかどうか、俺に知る術はなかった。
けれど、生きてる。
だって司は、待ってると囁いた気がしたから。

俺に嘘を吐かないって知ってるから、こんなにも気持ちは穏やかだ。

不用心な開け放たれた玄関から勝手に入り、あの音楽室を目指す。
鍵はなくても大丈夫。もしこの三年で何かがない限り、あの鍵は壊れたままだろう。

ピアノと不規則に並んだ机、太陽が差し込むと埃がキラキラ光って、司がいっつも神秘的に見えてたっけ。俺がピアノの椅子に座って、司はピアノの足下に座って。
最初は黙ってるくせに、10分も経たない内に「こっち来い」って。

ガラリ、と扉を引いた。

「…変わらないなぁ」

思い描いていた通りの景色が目の前に広がって、堪らなくなった。
記憶の中の司が、ともすればいつもの窓際に佇んでいるような、都合の良い錯覚さえ見てしまいそう。

フラフラとピアノに近寄って、椅子に座った。ヒンヤリとした感触を楽しんで頬を押しつける。

条件反射の如く流れ出した涙が、ピアノの黒い体に水溜まりを作り始めた。

つかさ、会いてぇよ

「つかさ……俺、ダメんなっちゃいそうだっつーの…」
「そうか。お前はダメな奴なのか」

やっぱり、お前は

「俺が居ないと。な」
「つ、かさ……!?」

望み続けた愛しい声、その方向には誰も居ない。
心臓がいい音を立てる。あの時は恐怖から、けれど今回は、暴発しそうな期待から。

「そう言えばそこからじゃ見えないんだったか」

そう言って、教室の隅の床から誰かが立ち上がる。
求めて止まない、愛しい人。

「"俺の惚れた生身のままで傍に居ろ"だったか。ったく、動けたら抱き締め殺してた。あんな殺し文句どこで覚えてくるんだ、光」
「バッカじゃ、ねーのっ……!」

何でここに居るんだとか、体は大丈夫なのかとか。
それ以前に久しぶり、とかなんとか、言うべきだったのかもしれない。

でも俺はそんな当たり前の事をすっ飛ばして、少し大人になった司の胸に思い切り飛びついた。

「司っ司…っ」
「おかえり」
「っ…ただ、いま!」

力強くまわされる腕が、三年間の寂しさを愛しさで覆い尽くしていく。
酸素と共に吸い込むフレグランスは、一時も忘れた事のない香り。
「お前の人生を俺にくれ」

(もう離さない!)
END